うちの下の息子は、条件付きの文章というのが理解できない。たとえば「いい子にしてないと、おやつをあげないよ」というような文章だ。
これを言われると、かれは「おやつをあげないよ」という部分しか理解できなくて泣きわめく。理不尽におやつを取り上げられたと考えて「おやつーおやつー」とだだをこねる。肝心の「いい子にしてる」なんてことには全く注意が向かない。
上の兄ちゃんは小さいころから、これを普通に「おやつがほしければいい子にしないといけない」と解釈できた。なので、この手の論理は先天的に身についているものだと思っていたが違うようだ。「A→B」と「¬B→¬A」が同じものだということは人によっては、後天的な教育で身につけるものらしいのだ。
いや、そもそも大人になっても身についていない人間が多いらしい。
「保育園落ちた日本死ね」なんてのも典型的な「A→B」の一種だ。曰く、「日本死ね」はヘイトだ許されざることだ日本人としてありえない。うん、その通りだよ。それはすなわち「保育園落ちた」がそれと同じぐらい許されざることだ、ということをこの文章は主張しているんだよ。
しかしネットには「日本死ね」という表現についての是非の論評だけがはびこっている。「ならば」がないだけでつながりを見抜けない。そしてそれを指摘する文章も驚くほど少ない。
http://anond.hatelabo.jp/20161205111907 >「A→B」と「¬B→¬A」が同じ 排中律がなりたたない場合(直観論理など)だとその対偶は成立しないのでは?
モラハラだな。DV気質。 うちの下の息子は、条件付きの文章というのが理解できない。たとえば「いい子にしてないと、おやつをあげないよ」というような文章だ。 これを言われる...
別にモラハラだとは思わないが、何しろ次男にはあの言い方では通じないので「○○できたら□□していいよ」系の言いまわしにするように気をつけている。
俺が小学生なのはおちんちんだけだから
でも同じようなことで韓国死ねとか書いたら内容いかん問わず叩くよ