2016-12-05

おまえら、ほんとうちの小学2年生と同じだな

うちの下の息子は、条件付きの文章というのが理解できない。たとえば「いい子にしてないと、おやつをあげないよ」というような文章だ。

これを言われると、かれは「おやつをあげないよ」という部分しか理解できなくて泣きわめく。理不尽おやつを取り上げられたと考えて「おやつおやつー」とだだをこねる。肝心の「いい子にしてる」なんてことには全く注意が向かない。

上の兄ちゃんは小さいこから、これを普通におやつがほしければいい子にしないといけない」と解釈できた。なので、この手の論理先天的に身についているものだと思っていたが違うようだ。「A→B」と「¬B→¬A」が同じものだということは人によっては、後天的教育で身につけるものらしいのだ。

いや、そもそも大人になっても身についていない人間が多いらしい。

保育園落ちた日本死ね」なんてのも典型的な「A→B」の一種だ。曰く、「日本死ね」はヘイトだ許されざることだ日本人としてありえない。うん、その通りだよ。それはすなわち「保育園落ちた」がそれと同じぐらい許されざることだ、ということをこの文章は主張しているんだよ。

しかネットには「日本死ね」という表現についての是非の論評だけがはびこっている。「ならば」がないだけでつながりを見抜けない。そしてそれを指摘する文章も驚くほど少ない。

大丈夫おまえら

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