「互助会」と名付けられたそれは、いくら手斧を投げつけられても消えなかった。水面に映った自分に石を投げつけるが如く、ただただ無意味な排斥が続けられた。
我こそは真のはてなーを自称するグループが、「真正はてな村(コミューン)」を名乗り活動を開始した。互助会的である者、はてな的でないとされた者には、たとえコミューン構成員であろうとも、容赦なく手斧が振るわれた。
コミューンが「はてブロ及び一部のはてダは互助会の温床である」として排除にかかったとき ブロガーにより「自由はてな同盟」が結成され、これに抵抗した。だが同盟も、内紛と分裂を繰り返した。両者の争いは「左手と右手が自らの内臓を殴り合っている」と揶揄された。
株式会社はてなの上場廃止とともに、京都の寒村に静寂が訪れた。はてな的とされたものは、何ひとつ残っていなかった。ただただ、増田たちが脱糞を繰り返しているだけだった。