心の年齢はまだ、学生時代を脱しきれない大人は多い。
さて、この人の夢を考えてみよう。
「学校は大体中学か高校時代」なのは、大学よりも中高の方が青春や未熟のイメージが強いからだろう。
この人の夢には、「仲が良かった友人」や部活の仲間ばかりが登場する。
これは充実した学生生活を示すとともに、対比的に当時の現実が過酷だったであろうことを暗示している。
「現国の授業」のイメージはもう少し具体的な感情描写がなければ推測しづらいが、
おそらく、この人の心の糧、もっとも人生の役に立つ授業が、現代文だったのであろう。
つまり、夢が現実逃避の場であったと同時に、現実と向き合う力を得るところでもあったのだ。
学生になる夢をよく見ていた。 学校は大体中学が高校時代になるが、クラスメートは中学に高校と大学時代の仲が良かった友人などが登場する。そして毎回現国の授業がある。 部活も...
現実に学校を卒業して、実際にはもういい歳であっても、 心の年齢はまだ、学生時代を脱しきれない大人は多い。 通過儀礼の形骸化した現代では、心の成長はむずかしい。 さて、この...