2015-09-05

http://anond.hatelabo.jp/20150905025127

皮肉洒落のない文章を書く人が非常に多い。

そういう人は、文に隙を作るとそこを攻撃される、と思っていて、自分がどのような表現をしたかったのか分からなくなっている。

文章表現を深く追求している人が書く、色気のない整った文章はかっこいいと思うけれど、普通の人が皮肉洒落感覚を忘れてしまっては、魅力的な文章は書けない。

工場でつくられた製品のような表現を書き連ねても、そのような表現は誰かに真似されてしまうし、味わいがない。

洒落っ気のない言い方をすれば、文章における洒落っ気には、多様な解釈を許すべきだ。洒落っ気に対して重箱の隅をつつくようなことをする読み手は、色気がない。

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>私的な文章を紡ごうとした時に、あるいは何かを表現したい時に皮肉洒落っ気を加えない人達が圧倒的に多い。

文意に隙を作れば攻撃される、という思いが慣習化した挙句張り付いており、自分がやりたかった表現起源すら忘れてしまってる。

>色気のない整然としすぎた文章も逆にかっこいい。でもそれはよほど突き詰めた人の放つ凄みであって、普通の人が感覚を忘れたら何も紡げない。

>隙間なく卵みたいにびっしり埋め尽くさなきゃいけないものは、やがて誰かが真似をする。そのうえ卵には味がない。

>それこそ飾らない、面白くもない率直な言い方をすれば、洒落っ気には解釈余地を残すべきだ。読み手表現に関して重箱の隅をやるべきではない。もしやってしまったらその人に色気がないのだ。

こういうのが元増田のいう卵のような表現なのかしら

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