2014-07-22

どうしてこんな馬鹿げたことが

ガザ写真を見る。悲嘆にくれる父親が手にする幼子の頭はからっぽだ。薄い肉が見え、薄い頭蓋骨が見え、そしてからっぽの頭が見える。

阿佐田哲也の泥の話を思い出す。家が建ち人が暮らす街も少しめくればただの泥だ。東京空襲の後の話。人も少しめくればただの肉だ。わかりきってる。でもわかりにくいこと。

どうしてこんな馬鹿げたことが起こっているのだろう。そんな考えが湧く。でもたぶん逆なんだろう。どうしてこんな馬鹿げたことが起こらないですんでいるのだろう。

皮肉なことに軍隊があるからだろう。あるいは本当に9条効果かもしれない。どっちなのかはわからない。確からしさを語ることはできるが、いざとなるまでは確定しないし、いざとなったところでそれを受け入れるとも限らない。

戦争に負け犯され殺され他国に捕囚されても神を捨てず、神がいないからこんな目にあうわけではない、神はいるが今までの行いに不備があった我々に反省を促すため神は試練を与えたのだと考えたユダヤ人のような人たちもいる。

戦線から遠退くと楽観主義が現実に取って代る。70年も遠ざかったいまの日本ではどちらにしても大したちがいはないだろう。軍事的に考えようが、ロウソクを灯そうが。

しかし、それにしても。お前それガザでも同じこと言えんの?とは思う。煽りでも、なんでもなく。ただただ素朴な疑問として。からっぽの頭をした幼子を抱える父親の前には、ほとんどのものが無力化してしまうのではないかと思えてしまう。そういったファンタジーのなにもかもが。9条だとかロウソクだとか署名だとか小説だとか。

どうしてこんな馬鹿げたことが。でもちょっと考えてみれば我々はこんな馬鹿げたことばかりをしてきて今ここに至る。数万年、数十万年と。だからこんな戯言を言ってられるのもほんの束の間だろうから、ほんの70年前にはこんな馬鹿げたことをしていたにもかかわらず、せいぜいわーわー言うておこう。ぴーちくぱーちく。

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