2014-05-18

私刑制度感情から成り立っている

とあるウイルス作者の削除依頼がいろんなところに出されていると聞いた。

ちょっと調べてみると、その依頼を受けた方の「反省意思が足りない」「なんで消すの?」という

憤りにも似た、感想が多いこと、多いこと。

正直怖かった。

累犯を重ねた犯人には同情はない。

心配は常に自分に対してだ。

その感情がもしも、万が一、何らかの理由で自分に向けられるようなことがあれば...

想像だに恐ろしい。

批判は法律じゃなくて感情に基づくものばかりだったから。

反省を認めるのもまた感情だよ?

自分には無理ゲだと思った。

その人に嫌われたが最後、ずっと否定し続ける人は世の中に少なくない。意外といる。

反省しまたか?」なんて面だって聞く人が、他人の反省を認めるそぶりなんて一度だってなかった。私は出会えなかった。

そういった人たち、顔も知らない名も知らない感情を損ねた人たちに「反省」の意を示すのは並大抵のことじゃなくて、

払拭できなければずっと悪感情を持ったままだ。それゆえ、反省していないと見なされるわけで...

忘れられる権利、なんてものが今eu司法裁で取りざたされているけど、

そのうち、「忘れられる権利」は特定の人は絶対に適応すべきではないって声高に唱える人でネットの片隅は溢れるのだろうな。

再犯危険性などではなくて、ただ嫌だからという理由で。

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