読み返すと俺もお前もやっぱりある部分では成功の定義が年収にひっぱられてるんやよなと。
(逆にいうと、そんなことわかってて俺は飛び出した、お前がわかってないから白熱するのだ、
と君はいうかも知れんが、俺からみるとお前は少し日本の物語を軽くみて多少の誤算をしてるようにみえる、
多分今はわかってるんだろうけど、出たときの感覚とは違うのでは?これをいうとまた怒るかもしれんが。
あと日本語的にうまく言えてない所は容赦してほしい、例えば軽くみて、
その年収なんて能力だけできまってなくて、会社のおかれてる立場や都合で決まってるだけで、
決して需要と供給できまってるわけではなく。それこそ日本の従来の物語に依存していて。
そんなことがわかっていても、わかるようになっても。日本の物語を飛び出すと不当な村八分みたいなことがおこる。
そのときに自分の価値観と日本の物語があわない場合にそこから飛び出すことが実際的に年収では不利になってしまうと。
だから俺は成功?の定義自体を変えないと、少なくとも俺は日本の物語の呪縛から逃れられないような気がする。
(成功の定義自体が物語の文脈依存だからそれもとても難しいけど、物語をかえたいならどっかから手をつけないといけないし、
クリティカルで割と簡単な部分は成功の定義を変えることと考える)
それこそ人生かかってるなら綺麗事ではないよ。成功のあとにずっと?つけてるのもそういうこと。
年収の最低ライン?この言い方も嫌やけどそれなら決められる、この辺りが俺のリアルな感覚。
清濁合わせ持つという言い方があるなら今の俺にとってはこの辺りかな。