2013-07-13

http://anond.hatelabo.jp/20130713213816

なんていうか、国公立大学ってそもそも官僚養成機関とか教師の養成機関で設置されたわけだから、知識を広めようとか思想を広めようという動きを、組織としてやらない気がする。

もちろん、教員一人一人はそういう考えを持つかもしれないけど、組織としての立ち位置としては、公平で、思想的に中立を維持するような。

現状を変えるっていうのは、なんであれロックなわけで。

それが、より開かれた教育を目指すっていう行動であっても。

やるとしたら、私学からかな。

大学ですらないかもしれない。

大学を、たとえば知識人集団に置き換えても問題がない。

大学名前を背負った、卒業証書が発行できないだけで。

松下政経塾のように、ブランディング出来れば、大学看板はいらないし、大学価値がそのブランド力ではない時代になれば、ブランディングすら不要なわけだし。

国が方針を決めて横並びにえいやって感じじゃなくて、バラバラに動いて、教育多様性が生まれるんだと思う。

あくまで少数精鋭で議論に拘る大学から、とにかく外部に知を発信する大学、すっげー偏った宗教教育を行う大学、そういうのがいろいろ出てくるんじゃないかな。

キモである教育の低コスト化さえ達成されれば。

幕末にいろんな塾が開塾したみたいに、春秋戦国諸子百家みたいに。

  • 慶応のやつは、計算ができるという意味では東大に劣るけど 優秀な奴が多い印象がある。 それ以外は、なんだろう、おしなべて差を感じない。 さすが、もと私塾とはおもった。IT分野で...

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