公私混同と言葉に在るように、社会に出ると時間の使い道が、自分のためと他人(公)の
ためとに分かれる。
最近思うのは、この自分の時間ってのはどこまでを自分の時間と考えるのだろうってこと。
自分解釈では、公私をもっと細かく分けると、次に分かれる。上から関係する人が多い活動。
・大勢で取り組む作業
・チームでの作業、会議
・親しい友達などと一緒にいる活動
・一親等や恋人といる活動
・自分ひとり
この「私」の時間の解釈で、その人の対人ストレスや時間の過ごし方がわかるのでは
と思った。「私」時間に、不特定多数の他人と交わるサークルまで入っている人は、
「私」時間が一人でいることまでおりている人の行動が理解できないかもしれない
「大切な自分の時間に外に出ないなんてなんで?」って考えられているのかもしれない。
僕は自分の時間ってやつは「自分一人」までで考えていて、対人のストレスを感じない
レベルが自分の時間だと思う。そういう領域に入ってくれる、一緒にいてもストレスが
少ない人が、伴侶となるのかなと思った。
もっと簡単に分類できるよ。 公 ・他人の都合に合わせる時間 私 ・自分の都合のみに合わせて使う時間 「公」と言えば、他人が介在する時間全部を指す。相手が「恋人」でも「伴侶」...