いやいやおかしいでしょそれは、俺の言ってることは絶対正しい、そんなのおかしいから、具体的にはこことこれとあれが、これこれこういう理由でおかしいから、
って時が往々にしてあると思う。
それってまあ大事なことだとは思うんですよ。
だってそれが、自分のアイデンティティを守る行為であり、それがなくなってしまったら自分という個は存在する意味なくね?となってしまうのだから。
だから、そう思ってしまうこと自体は多々あることだし、別におかしくないと思うんですよね。
だからそれは良い。
ただ。
ただ、そうなる時というのは、今までの経験からいくと、(相手がいれば)相手にも言い分と、相手にも自分のアイデンティティを守るという使命と、個を主張する権利と、いろいろあるわけですよ。
自分にもあると同様に、相手にもあるわけです。
こういった場合は、ルールを決めているわけですから、なんで俺がそんなルールを守らないといけないのとかいう主張は当然認められないわけです。
一例ですが、他にも考えられますね。
でも、全てがそういう場合じゃないし、上のようなパターンはどちらかというとお互いの意見が合わない、視点が違うとか、些細なことで発生する場合が多いですよね。
そういう時って、どれだけ自分の意見が正しいと思って発言してみても、言い合いになる事が多くないですか?
それは、お互いがお互いの、生き方を主張していることに変わりないので、当然のことなんだと思います。
だから、そんな時は、相手の意見を聞いて、そういう生き方もあるんだな、と
思えるようになれれば良いと思うんです。
相手の意見が自分の行動や権利を侵害しなければ、相手が何を主張しようが相手の自由。 しかし、一般的に世の中で起きている争い事の殆どは、ある意見が他の誰かの行動や権利を侵害...
決められたルール・法律を順守していない場合は除外するということがかいてあるのになー
法律やルールを順守していない場合を除外してはいけない。 法律やルールは異なる主張と主張のぶつかり合いから発生する。 だから法律やルールは常に普遍的ではないし、非人道的で不...