ぐずったりわがまま言ってたりする子供に、叩いたりつねったり罵倒してるのをたまに見かけるんだけど
そのたびに心が痛んでしゃーない。
恐怖で心を支配したら、そりゃあ楽だし即効性あるよな。
恐怖を学習していうことをきくようになるかもしれないけど、これって何か解決になってるのかなといつも思ってる。
自分は祖母がまさにこういうタイプの人間で、祖母の家にいる時は気が気でなかったよ。
叩いたり罵倒したりしてしつけすると、恐怖心がまさって、何が問題だったのかわからなくなるんだよな。
たとえば、電話してる祖父に、描いた絵を見てもらいたくて話しかけた時、まず耳を引っ張られてはたかれて怒鳴られたことあるんだけど
叩いて怒鳴った後に「何で電話中に話しかけるの」と言われても、もう恐怖で思考停止してるから、何かを考えて学んだりする余裕なんてないんだよな。
とにかく「電話中に話しかけたら怒られる」ことはわかっても「取り込み中に邪魔してはいけない」って発想に至らんという。
まあこれは自分のIQとかそういうのもあるのかもしれんが、低IQこそ常日頃から考えさせる訓練しないと、それこそ「言われたことしかできない人間」になるわけなんだよな。
暴力をしつけとして用いることは、その場限りの即効性と、その後注意をよく聞くようになる(顔色をうかがうようになる)以外に、何のメリットがあるのかわからない。
まあ親にとってはその二つは代えがたいメリットなのかもしれないけど。
でもなあ、子供にとっては判断基準が親にどやされるか否かになりがちだし、逆に親の目の届かない範囲でなら羽目をはずしたがるし
上下関係があるなら、暴力を振るう関係もいたしかたないと体感することにもなるんだよなあ。
つまり、親が、いじめっこや上司や先輩や先生にかわって、理不尽な目にあっても、黙って耐える方向の処世術を身に着けてしまうんだよな。
自分が優位に立てる相手になら、逆に暴力的にふるまうようになってしまう可能性も、有意に高くなると思う。
すべての人間がこうなるわけではないだろうけど。
誰が幸せになるんだよ。
暴力(罰)による学習は本来行動の停止あるいは回避にしか使えない。 罰を以てある行動を停止させ(電話中に話しかけるのをやめさせ)、そのあと褒めたり電話中は邪魔してはいけな...