2012-08-13

否定する何も出来ない人間の末路

匿名世界に身を落としての意見投下。

 

何かを創り出せる側の人間ではない。いつだってそうだ。消費するもの立場しか物事を見れていない自分が居る。
ただ日々入ってくる情報に対して、「これはこうだ」「それは違う。なぜならー」などと下らない自己満足に浸っている。

 

くそ存在が憎いモノに対してはアンチスレにまで行く始末。そこは同意した者達が心ない言葉で対象を罵る。いわゆる叩き。
対象を慕っている信者ないしファンらしき人物からは「性格悪い」とのレス。「そうですか」と返して流す。
数の暴力とは恐ろしいもんで、どんなに正しい意見を言おうが状況次第で黙殺されてしまう。いつだって批判の声は大きく聞こえる。

 

叩きに身を投じていて、何もできない自分を振り返るのが嫌になることもある。
対象に嫉妬している気はない(その分野で活躍、活動する気がない)のだが、どこか逃げている自分を認めたくないのかと。ふと思う。

 

どこに立っていたスレだったかは忘れた。だけど心に残ってるスレタイ

 

「全てのアンチは暇すぎる」

 

まさにそう。対象が嫌であれば見なければいいのだ。避ければいい。相手にするだけ時間無駄だ。
どうあがいてもつきまとってくるタチの悪いストーカーではない。まして自分が矢面に立つ立場でない。
嫌な思いをする者に対して恨みを持ち続けたところで良いことがあるわけでない。

 

目を背ける事も時には必要か。

 

そう思いつつも叩きはやまない。自分自身、どうにもならないところまで来てしまっているのかもしれない。

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