脱原発を、「事故後に増えた、一般人の拒絶反応」ではなく、「昔から続く基地外の戯言」にしてしまいたい層は確かに存在して、
それらの人は、まさにここに書いてあるようなことをノタマウ。
そして、リスクの話を持ち込むと、「止めるリスク」を持ち出すようになる。
きまって、全員が、同じ反応をする。
自分たちもカルトな信仰に囚われているのに、他人の信仰を嘲る様はひどく滑稽だ。
なぜ彼らが自身の信仰に則り、他人の信仰を攻撃するかといえば、一般大衆の多くは洗脳可能だと、知っているから。
事故のショックで恐怖に囚われた大衆なぞ、原発を推進したときのように丸め込めると知っているから。
ならば方法は簡単だ。
妄執に囚われたカルトで、社会性が無い不適合者だと印象付け、彼らの言説ではなく、人格を攻撃する。
攻撃手段としては、かなり追い込まれた最終手段で、議論の場でこれをやれば、まず間違いなく総スカンだ。
けれど、最初の切り口を原発の議論ではなく、「香山リカへの大人気ない反発」と設定したため、変に成立しているように見えてしまう。
議論に詰まったとき、外野からこうした人格攻撃が発生し、論者の言説を議論とはまったく関係ない事実から切り崩す戦術は良く見るが、
まぁ、さもありなん。
実際に「事故が起こってしまった」のだから、今更安全神話では彼らの言説を攻撃できない。
実際に「居住不可の地域が出てしまった」のだから、今更「ツナミハソウテイガイ」と言ったところで、納得も得られない。
ならばもう、彼らの人格を攻撃するより無いではないか、「原発を受け入れる人は大人」、「原発を拒否する人は基地外」とでもしなければ、
もう攻撃できないくらい、そんなところまで来てしまったのだ。
だからさー。 別に反原発か原発推進かはどーでもいいわけよ香山は。恐らく原発に対しては興味も無いだろう。 ただ「原発運動に異常にのめり込んでしまう人」に対して語っているわけ...