最近考えてたこと。幸、不幸について
人は誰しも幸せになりたいと思うし、僕もその内の一人だ。だが、自分にとって何が幸せなのか、と考えるとなかなかイメージできない。不幸ならいくらでも思いつくのだが、自分にとっての幸せとなると難しいのだ。
なんでだろうなーと思って考えていたが、要は客観的な承認のされやすさに違いがあるのだと思う。
自分が幸、不幸なんて事はとても曖昧で、他者と比べて自分は幸せか不幸せか、というやり方でしか測れないのではないだろうか。もちろん主観的に判断すれば良いのだが、正直自分はそれでは少し不安になるし、同じように思う人は実は大多数だと思う。(隣の芝は青いっていうし。意味違う?)
そういう前提で考えると、上手いこと説明できる。「不幸」というのは他者から承認されやすい。そうすることで不幸な本人に同情することで、自分が満たされるからだ。色んな意味で。 逆に、「幸」となると承認されにくい。人間、他人が自分より幸福だと嫌味の一つでも言いたくなるものだ。これはネット、特に2chとか匿名の所を見てるとよくわかる。「どうせ実は〇〇なんだろ」「そのうち〇〇になるに決まってる」とか。
自分でもひねくれてて建設的でない考えだなとは思うが、唐突に思いついて、書いてしまった。
「幸、不幸はもういい どちらにも等しく価値がある 人生には明らかに意味がある」って言葉が自虐の詩っていう漫画にあったけど、この言葉を信じたい。
一生毎日ハグしてチュッチュッしたいからだよ。これ以上言わせんな。
「いい?」とか「わかった?」「わかる?」とか
聞かれなかったか?
それに対して、わからないと言うのが嫌で
さも理解したかのように、はいはい言わなかったか?
今の日本社会に必要なビジョンとしてはその通りで、それは実のところ薄々みんな気づいてるはずなんだよね。
で、必要なのはこのビジョンを社会全体に広げるような具体的なプランやアクションだと俺は最近思うのよ。
あるいはミームとしての強さ。
そんで文学的、宗教的、社会科学的見地にもとづいた哲学が土台としてそれを支えているべきだと思うのよ。
友達の結婚式に行って幸せそうな友達の姿を見たり、紆余曲折あってここまで漕ぎ着けたというスピーチを聞いたりしたら不覚にも感動して「ああ、結婚っていいものなんだなー。私もこういう結婚したい。」と思ってしまった。
我ながら影響されやすいものよ。
(その友達とは長い付き合いで、恋愛で悩んで半泣きで愚痴言ってた姿を見ていたりもしたから感慨も一入だったからそこまで思ったのかもしれない)
というわけで、女は割と感情に流されやすい傾向があるって理由もあるんじゃない?女は共感する生き物だし。
他人が結婚して幸せそうな姿を見てたら影響されちゃったりする事もありそう。
ちなみに既に結婚していながら「私もこういう結婚したい」と思った理由は、自分の結婚が「ずっと同棲してて親が心配するわ、うるさいわでとりあえず入籍した」という味気ないものだったから。
まともな手順を踏む結婚も良いものなんだなーと思いました。
(私の場合、結婚したいという気持ちじゃなくて、相手と一緒にいたいという気持ちでいて結果的に結婚をしただけなので、元増田が疑問に思う「女が結婚に向かう動機」には当てはまらないと思われる。別に同棲のままでも良かったから。)
「日本は難民条約を批准しており、外国人でも内国民待遇をあたえなければならない」とよく言われる。
その根拠になってる条文は第23条と第24条1項だろう。
第23条【公的扶助】
締約国は、合法的にその領域内に滞在する難民に対し、公的扶助及び公的援助に関し、自国民に与える待遇と同一の待遇を与える。
1 締約国は、合法的にその領域内に滞在する難民に対し、次の事項に関し、自国民に与える待遇と同一の待遇を与える。
(a) 報酬(家族手当がその一部を成すときは、これを含む)、労働時間、時間外労働、有給休暇、家内労働についての制限、雇用についての最低年齢、見習及び訓練、女子及び年少者の労働並びに団体交渉の利益の享受にかかわる事項であって、法令の規律を受けるものまたは行政機関の管理のもとにあるもの。
(b) 社会保障(業務災害、職業病、母性、疾病、廃疾、老齢、死亡、失業、家族的責任その他国内法令により社会保障制度の対象とされている給付事由に関する法規)。ただし、次の措置をとることを妨げるものではない。
(ⅰ) 当該難民が取得した権利または取得の過程にあった権利の維持に関し適当な措置をとること。
(ⅱ) 当該難民が居住している当該締約国の国内法令において、公の資金から全額支給される給付の全部または一部に関し及び通常の年金の受給のために必要な拠出についての条件を満たしていない者に支給される手当てに関し、特別の措置を定めること。
政府が難民認定している人たち、または認定してなくても実質的に難民とみなされる人たちは、この条文によればたしかに内国民待遇しなければならない。
でもさ、あんたはそれで完治しているわけじゃないし、またぶり返す可能性もあるんだろ?なら、その方法が正しい(万人に通用する)とも言えないよな。そして、金がない人はそんな悠長にじっくり治すとか無理だと思うけど。
少子化対策をしないのと
途上国の労働力を使わないで捨てることに何の因果関係があるんだ?
日本で若年層が少なくなっていくなら
むしろ他国の労働力は必要だし使っていくべきじゃないか?
http://anond.hatelabo.jp/20101118223419
・「感情の共有」~の指摘について
理解できないし、指摘のとおり全く想定外だった!
自分にないだけでなく、想像する「典型的な恋愛の症状」の中にも含まれてなかった。
言われてみれば、聞いたことはあるなー。
さらに
「あの人にこの美味しい物を食べさせてあげたい。」
の一言を読んできづいたこと
1.相手の人格への肯定的評価
2.性欲(+それが他の異性に対してと比較して強いこと)
3.独占欲
6.感情の強さ
こんなもんだろうか。
「肯定的評価」や「性欲」は恋愛の要因なのか症状なのかわかんないけど。
※一部削除したよ
すまないが具体的に何を問題視してどういう想定をしているのか全く理解理解できない。
あなたが何を問題としているのか理解できないので
当然のことながら何の問題ががなぜ少子化対策が解決するのか理解できない。
できれば俺にもわかりそうな例をもう一つ出してくれないか?
繰り返しになるが少子化になるからといって
一人当たりが受けられるサービスの質や量が少なくなるという
論法が理解できない。
消費者減れば
それだけサービスの量を減らして
コスト下げればいいだけだろ
大体、消費者・納税者・労働者減るから人増やせ(子供産め)っていうけど
皆、恋愛して楽しそう。
あの人が好きだ一緒にいるのが楽しいと嬉しそうに話しているのが羨ましい。
片思いで相手が振り向いてくれなくてつらいという話すらもなんだか楽しそうに見える。
自分はそこまで思える人はいない…。
世間ではそういう事になっている。
そんなのは絶対に違うと思っていたが、最近はもしかしたらそうなのかもしれないとも思ってしまう。
だって、彼女がいない自分がなんとなくうまく生きていけてない感じがするから。
最近楽しいと思える事がない気がする。心から笑ったのはいつだろう。
彼女なんていなくてもいいと開き直れるほど確固とした信念があるわけでもない。
彼女がいなくてもいいくらいに熱中できる趣味や目標を持っているわけでもない。
こいつらがいれば彼女がいなくても楽しいと思えるような仲良い友達、信頼できる仲間がいるわけでもない。
そもそも、彼女が欲しくない理由があるから彼女がいないわけではないんだ。
チャンスがあるなら彼女は欲しいと思っている。
ただ、チャンスがない。運が悪いのか。
ふと我に返る瞬間がある。
同時にとても強い不安を覚える。
不安の原因はよく分からない。寂しいのか、怖いのか。
将来も一人でいそうだからか。
とにかくこのままじゃいけないと思う。
もしかしたら隣に誰かいれば。彼女がいればこういう不安も消えるんじゃないか。
ああ、彼女が欲しい。
誰かこんな状態の自分を助けて欲しい。
執事ロボのコストが人件費より安くなる瞬間がきっと来るので、そのときに彼らロボが生産した財やサービスを貨幣の形で国民に給付する、というのでどうじゃろ。
日本はもっと頑張ればこの業界で一時期トップになって、しばらくパテントで食っていけると思う。(という話を俺はどこにでも書いているのでそろそろ別のネタ考えよう)
他国から資源を入手できるほどの国力を誰が維持するのか?とか
そういうのを「資本主義」が支えているとしたら、ダメになるだろうね。
恩恵を受けているの?
どうしてそれが成り立つかと言うと、途上国から労働力を搾取しているからです。
彼らが私たちと同じ生活をすると、コストが掛かりすぎて安く出来ないのですよ。
「iPhone」も中国工場での過酷な労働が問題になりましたね。
こうしたものは、「他人の犠牲」で成り立っていますが、それじゃ全部捨てましょうか。
民間の生活上便利かつ必要不可欠なサービスが消滅
したりするとは思えないのですが?
いや余裕でなり得るよ。
(言うまでも無いことだけど、インターネットのくだりは「今現在」に対しての話であって、30年後に日本がヤバくなるというのであれば、30年後の世界標準に対してかなり劣後するという意味)
よくわからないのですが
民間の生活上便利かつ必要不可欠なサービスが消滅
したりするとは思えないのですが?
恩恵を受けているの?
ということです。
資本主義が駄目になったらインターネットがISDN時代の速度になったり、
民間の生活上便利かつ必要不可欠なサービスも消滅するかクソ高額になったり
色んな弊害が出るよ。
やっぱりギブスンは初音ミクについて全然詳しくないまま最初のツイートをしたようだ。今になって「初音ミクは最初に思ってたより複雑な現象らしいわー。もっと勉強せにゃならんわー」とかつぶやいている。
http://twitter.com/greatdismal/status/5370144318558208
どうやら最初の発言は、最近の報道ラッシュで得た知識を元に気軽につぶやいただけの内容だった模様。Sankaku Complexで猛烈な反発が起きたが(一方でオタクの逆上ぶりを叩くコメントも登場して非常に盛り上がったが)、おそらく本人は初音ミクをdisるつもりすらなかったと思われる。で、Sankakuはギブスンの修正発言も素早く取り上げている。
http://www.sankakucomplex.com/2010/11/19/william-gibson-hatsune-miku-requires-further-study/
これでSankakuの連中も頭を冷やすかと思っていたら「複雑な現象ってのはギブスンが発見したミクのhentai画像のこと。もっと勉強するってのは…後は分かるな」「勉強する際にはぜひミクのfutanari同人誌にも目を通してくれ」「ウィリアム・ギブスンは俺が最初に思っていたより複雑な人間だった。もっと勉強が必要だ」「いやまてこれはツイッターのフォロワーを増やそうとする孔明の罠だ」などのネタ系反応が中心。らしいと言えばらしい。中には「初音ミクは彼のICEを突破したな」という年寄りくさいコメントもあったけど。
いずれにせよ、ギブスンの最初のツイートはわざわざ取り上げるほどのものではなかったということなんだろう。考えてみれば初音ミクに言及しているのに語っているのは外見だけだった。単に最近の報道を受けた反応に過ぎず、初音ミクを取り巻く現象について真面目に述べたものでないことは想像できたはず。
むしろ気になるのは「日本趣味のSF作家」ですら、最近の報道ラッシュが始まるまで初音ミクのことを知らなかったという事実。海外で初音ミクを(そしておそらくVocaloidを)知っていたのは、ごく最近までSankaku Complexのようなサイトに出入りする連中、つまりアニメオタや漫画オタが大半だったことが、はからずも明らかになってしまった訳だ。つまり、初音ミクを知っている外国人は、想像以上に少なかったということ。ましてVocaloidについてよく知っている外国人など、極めて珍しい存在なのだろう。
その意味で初音ミク英語版の発売は今回の報道ラッシュで高まった知名度をさらに上げるきっかけになるかもしれない。Facebookの登録増によって初音ミクの英語版が発売されるというニュースは、英語サイトでも見かけるし、いくつかのblogでも取り上げている。
http://nerdreactor.com/2010/11/15/internet-star-vocaloid-hatsune-miku-to-receive-english-voice/
http://www.animenewsnetwork.com/interest/2010-11-18/virtual-idol-hatsune-miku-to-sing-in-english
http://www.moetron.com/2010/11/17/hatsune-miku-eng-ver-facebook-campaign-reaches-39390/
http://www.vocaloidism.com/2010/11/19/hatsune-miku-is-one-step-closer-to-world-domination/
一方、英語のボイスバンクを持つVocaloidが既に多数あることもまた事実。クリプトン自身「めぐ・るいーね・るか」さんを販売している。にもかかわらずVocaloidの海外における知名度はこういう状態だったのだ。果たして初音ミクの英語版が出ただけで、それほど状況が変わるだろうか。キラーコンテンツとしての初音ミクの実力が問われるのはこれからだ。
それはそれとして足元のミク・バブルはかなり収まった。World is Mineの動画は現時点で185万再生を超えたところ。報道ラッシュが始まって以降、おそらく初めて1日10万超のペースを下回ることになる。
http://www.youtube.com/watch?v=DTXO7KGHtjI
ただTopsyのMikuツイート数は直近1日で600超と相変わらず減速していない。ギブスンの発言に対するRTなどもあって勢いが衰えないのだろう。
一方、日本でツイッターの反応が大きかったのは「初音ミク文化論」なるtogetter。
個人的には「上っ面の言葉遊びにしか見えない」という意見に賛成だが、言葉遊びでも何でも楽しく読めたので満足。特に「会場や観客がどれだけ熱くなろうと、ミク本人はまったく『動揺』せずに、規定通りのラインが淡々と進行する・・・。これが俺の言う『身体性のなさ故の、規定不能性のなさ』であります」→「それがたまんないんだろうな…とか思ったり。無視•無反応=究極のS」という部分は、フレイザー卿の「金枝篇」に描かれる女神ディアナを思わせて興味深い。