読みやすい、読みにくい、というのは「美しい日本語」のようなものだと思っている。
ノベルゲーみたいな小説の類で、そういうのを求めるのは大衆迎合的で好きじゃない。
文体で読みやすさがどうだという議論ができるなら、夏目漱石など教材にすら取り扱われることはないはずだ。
あ、だからこそ取り扱ってんのかな。
「中島敦も夏目漱石も中身は問題じゃない。虎になろうが生卵投げつけようがどうでもいい。このクソわかりにくい文章を読ませて学生諸氏に免疫をつけさせないと」
という心理があるのかも。
知り合いと話すと大抵が残業で休みがもらえない、人が足りない、自主的に何かをしようにも現在の仕事でいっぱいいっぱいでスキルアップできない。
ってのをよく聞く。
こういう状態以外で休みバッチリ、スタッフも十分、仕事にも余裕があるスケジュールっていう仕事はあるのか?
やっぱ公務員なのかなあ。
数字を出した増田です。元が長いので、別エントリ起こします。
注)誤解してる人もいるようですが、「全員が結婚はすべき」という話をしているわけではないです。「結婚し、家庭を作りたい。できれば、子供を生み育てたい」という人たちに対して、高すぎる経済的なハードルがあることを問題視しているということを分かっていただければと思います。
男性 平均より若めできれいな女性を求める(現実は妥協)
女性 平均より収入が高い男性を求める(現実は妥協)
後者だけ発狂するのがおかしい。
この文脈での発狂の意味がいまいち分かっていないのですが、国民の経済状況が全体的にのっぴきならない状況で、将来の生活の維持を収入面から考える数少ない大きな機会が結婚について考えるとき、というのはあると思いますね。発狂というか、女性が適齢期になり、そろそろ子供を生み育てていきたいと思ったときに、ちゃんと考えると、相手となり得る男性がほとんどいなかったということにびっくりしているのではないでしょうか?その稼ぎじゃ共働きでも育てていけないよ(あるいはまともな教育受けさせてやれないよ)、みたいな。
男性サラリーマンの大半を占める中小企業の男性サラリーマンをみれば、状況はもっと厳しいわけだし。
給与面で有利だといわれている人たちですら、元エントリ(子供を考えると生活力として心許ない) 程度の収入しかないのが問題ですね。。。
地方で600万なんて言ってたらそれこそ相手居ないし、地方なら子供2人育てるのに600万も必要ないよ。
私も4年前まで地方にいましたから事情はわかりますが、地方の方が収入が少なくてもやっていけるのは、自治体、あるいは企業の補助とか手当も大きいのではないかと思います。この種の手当が今後も同じ規模で持続されると考えるのは…ちょっと微妙かもしれません(企業体力とか公的資金の面で)。実家との関連については後述します。
あと、東京でも地方でも生活コストはあまり変わらないという調査結果が出ていたような記憶があります(件の調査は単身男子限定だったと思います。首都圏でも家庭を持つ人とは自動車などのコスト面で少し違いが出るかもしれません)。それにしても地方にちゃんとした産業ができて経済がちゃんと回っていくことが日本の人口成長にとってどれほど重要なことかと。。。
以前どこかのアンケートで「丸の内OLに聞いた男に求める年収」の平均が600だか800だかと出ていて、
そこで全体の男の平均収入持ち出して比較してどや顔している男が居たけど
アンケート母体が「丸の内OL」なんだから比較するなら「丸の内で働く男」の平均を持ち出さないと意味無いだろと思った。
数字に関してはその通り。前のエントリで出した数字は高学歴&大企業(一部中企業)ですので、多少近づいた数字になってるはずです。
ただ、実際、丸の内で働く男たちの収入では、丸の内OLの需要は喰えないでしょう。残った丸の内OLが結婚して家族を作ることを希望するときに、その人たちの希望を満たすことができないのが悩ましいですね。
そうそう
都会に住むのは優秀な人だけでいい
優秀じゃない人間は地方に行くべき
これはまぁ極論なんですが、私の考えもある意味近いものがあり、正直、核家族で都心に住んで子供を育てられるのは、一部の富裕層だけになっていくような気がします。首都圏に住む若い夫婦だと、今はゼロ歳児から(保育料の安い)認可保育園に入れて、共働きで、って家庭もありますが、そういうスタイルは近いうちに成り立たなくなるんじゃないでしょうか。
そのへん踏まえると、これからの若者が家庭を作ってちゃんと生活していくためには、実家や親族との連携が欠かせなくなるのではないかと思います。「旦那の家族との同居(とくに姑)」、「嫁の実家依存」は嫌われ続けてきました(人によっては親戚付き合いも)が、高い生活コストを払ってまで都会に出て行ってそれを避け続けるというのは、景気のいい時代にだけ許された贅沢だったのもしれませんね。。。
20代の、長男であり、あたまのわるい私は時代の変化に適応出来そうも無い。
だから、まだ高校生にもなりたてで、ネットでろくに情報収集もできない私より馬鹿な(こんな時代で大学にも入れないだろう程の)弟にすべてを託してみようと思う。弟なら、今から挽回することはできる。有名私大文学部で留年してまで就職に失敗し、落ちゆく私に未来はないだろう。だからこそ、弟に希望を見て欲しい。
私はもう英語も中国語も頭に入ってこない。おそらく精神を病んでいる。ただ黙って天井を眺めていることに安らぎを覚える。この無為な時間を、弟に注ぐのだ。教育するつもりなど無い。気づいてくれるまで、たまに対話するだけの簡単な作業だ。
私は近くホームレスになる。と言っても、まだ親の資産があるから大丈夫だ。ただ、私が10年も居れば親の介護費用すら無くなるだろう。だから私は5年も待たずに家を出なければならない。それまでに貯めた資産の総量が、私のその後の人生を決める値となるわけだ。そしてその額など高が知れたもので、ホームレスになるしか道はないはずだ。
今は別居しているが、あの環境では弟はろくな人間になれない。いや、良く躾けられているので親に従順すぎると言えばいいか。ろくな人間が躾が行き届いているといえば変に聞こえる人もいるだろうが、どうせその価値観はすぐに潰える。少なくとも、今後の人生で躾などというものは化粧ほどの意味もない。無用の長物なのだ。
とにかく、私は一度マイホームに戻る必要がある。
弟には人生の自由度を増やす必要がある。気付きのない人間にだけはなってはいけない。おそらく弟も今から外国語の習得など難しいだろう。国内でのサバイバルに耐えられるだけの体力があるだろうか。いや、ないだろう。彼は親にも、私にも、そしておそらく他人にさえも、優しく、素直だった。自分でいうのも何だが、良く私の真似をした。こんな末路まで真似をされては困る。兄より強い弟になってもらわなくては困る。兄の、親の死を超えられるだけの強靭な精神がなければ困る。祖父の死で号泣してしまうような、おりこうすぎる人間になっては、困る。
私自身は、生きる気力もなくなりつつある。ホームレスになってからは地べたに這いつくばってでも、日本の終焉に立会うことすらできないかもしれない。
最近よく自ら望む死を想像しては我に返ることを繰り返すが、家を出た直後に駅で死ぬかもしれない。
とにかく、私の人生自体はもう先がない。
いわゆる死生観の話。
ずっと昔から多くの人が考えてきた。いまだに答えは出ない。
http://anond.hatelabo.jp/20100523025636 が秀逸だったので
"魂"は肉体が生む「状態」でしかないからだ。障子に映る影絵のように。
「人間死んだら終わり。ただ無になるだけ。あなたの親も、恋人も、あなた自身も」
そう言われて心穏やかにいられる人は少ない。
「死んで肉体は滅びても、魂は死後の世界へ行くのだ。決して無くなりはしない」
そう言って、人々を安心させるために。
ところが近代以降の社会は、日常生活から死を追放した。( 死生学 - Wikipedia )
そのため「生きること」や「死ぬこと」について考える機会が減ってしまい、
身近な人や自分自身の死に直面して初めて、大きく悩んでしまう人がいる。
だから「生きること」や「死ぬこと」について
分かりやすくて安心できる「考え方」は相変わらず必要とされている。
昔ながらの「血縁」を中心とした「考え方」は、
生物の基本に忠実なので、実感を伴っていて分かりやすい。
「人は死んでも子孫達の血の中に存在し続ける」という考え方だ。
一方、「人格」に重きをおいて
「人生」を「生きている間に何を考え、何を遺したか」と定義する考え方もある。
こちらの方が一人ひとりの「自分らしさ」を出しやすい反面、
「何を遺すか」は一人ひとりが考えなければいけない。
「人は死んでも他者の記憶の中に存在し続ける」という考え方だ。
もともと答えはない。多くの人の共感を得たミームが後世に残る。
ただそれだけだ。
"魂"は継がぬ、というなら構わない。 が、そうでないならやるべきことはあるはずだろう。生涯や生とはなにか、と問うまえに。
「生涯や生とはなにかを問う」ことは、
「魂を継ぐ」にはどうすれば良いかを考えるための、第一歩なんじゃないだろうか。
もしかして本当に撤収する?
「suteacco 単なる偶然かもしれないが「この世代」にある何かをまじめに考えた人いるのだろうか。いるなら話を聞いてみたい。」
ネット右翼的ルサンチマンだと感じるかもしれないけど。たんなる自伝(?)にすぎないかな。
・実質的な「ゆとり教育」最盛期。否定する論者はほぼ皆無(むしろ、「ゆとり教育」という言葉が出たときには、反発する層が活発化し、かなりこの思想は相対化された)
・ニューアカ的左翼思想の全盛期、朝日新聞的意見が社会の主流。
・住専問題だの、ノーパンしゃぶしゃぶだの、とりあえず政府や官僚、役人を叩きまくる風潮が強かった気がする。
特にそういうワイドショーの視聴率が高かった。あと芸能人叩きもひどかった。「○○が付き合った」「別れた」どーのこーの。
・個人的には、すごく窮屈で息苦しい時代だった。子供ながら、建前的な正義(≒朝日新聞的正義)に嫌気が差していた。でも、それが唯一の正義だとも思っていた。
□中学生……1995年=阪神大震災、地下鉄オウム、そして「エヴァ」
・被災者はともかく、個人的には「(ほぼ)中二でエヴァ」が圧倒的影響力を持つ。
当時の中学校では同学年の男子は9割、女子でも5割程度は見た感触。(再放送時に録画したビデオテープの貸し回しが凄かった)
・高校や大学等で色んな人に聞いてみたが、この世代へのエヴァの影響力はものすごい。「エヴァなら全校生徒観ていた」と断言されたこともある。
もちろん、エヴァは時代の風潮を反映してつくられた作品である。
しかし、「この世代」にそれをダイレクトに、強烈に、過剰に伝える媒介を果たしたのが「エヴァ」だった。
それ以前の「建前の世界」を全て取り剥がして、「本音」を初めて自分たちにぶつけてくれた、と感じた。(今でも感じているよ)
・小6か中1で酒鬼薔薇事件が起こった。多分同年齢だけど、当時はその社会的意義をよく理解できなかった。「同じ年なのにすごいなぁ」とか程度の感想しか出ない。
たぶん、あの子は僕らの中でもとりわけ世相の雰囲気に敏感だったのだと思う。単なる精神異常者ではなかった
……と大澤真幸前京大教授(セクハラにより引退、でも個人的にはまだ崇拝してる)の授業を受けて気づいた。
□高校生
(・エロゲーの隆盛 『To Heart』 『ONE』 『加奈』など)
・「ネオ麦茶事件」・・・酒鬼薔薇よりネオ麦茶のほうがよっぽど親近感を持った。「あーあ、やっちゃったよ…」みたいな。
・世相の右傾化。今まで「正義」とされてきたことがことごとく否定される。個人的にも従来の「正義」には違和感を覚えいたので大きく賛同する。
☆分かりやすい図式でいえば、バブル崩壊とネットの進行によって価値相対化が起こり、虚無感が広がる。ニヒリズム化。
これは今までもよく言われていたこと。
あんまり関係ないんだが、俺今32歳なんだけど。
無理に結婚しなくてよくなっただけだよね男女とも
そこに変な小難しい話持ち出す奴は男であれ女であれ死ねばいい
なんかしたいなら独身者や非婚者に変な目や差別を向けないことだけ考えてろ
「なあ真山よ お前が山田が大事でかわいくて ああやってぬいぐるみをとってやりたいのはわかるが
これからずっと毎年一生 全部の祭りで一緒にいてやれないんだったら やっぱりお前には何も口出しする権利はないんだよ」
分かったか真山。お前は自分勝手だ。
お前が一番大事に出来ない相手には、優しくしちゃいけない。
その子を一番大事にしてくれる誰かだけが優しくしていいんだ。
お前が優しくするからあの子はお前の事を諦めきれなくて
他に居るかもしれない良い相手を探しに行けないんだぞ。
良く考えろ。お前はあの子をどうしたいんだ?
このままあの子は一生片思いか?
あの子を幸せにしてやりたいんなら、もう近づいちゃいけないよ。放してやれよ。
別に嗜好そのものは悪いわけじゃないからね。
http://tokyo.machi.to/bbs/read.cgi/tokyo/1268452323/206- あたりからの
議論についてまとめたものです。
□206
要旨: 地元の人間なら「マリークレール通り」の名前の由来は知ってる
□213
要旨: 「マリークレール通り」の名前を知らないと観光客に笑われる。
□220
要旨: 通りの名前を知らないのが数匹いて驚いた。
★223
要旨: 人を「匹」で数える人間よりも通りの名前の由来を知らないほうがマシだ。
□229
□232
要旨: 自由が丘の基礎知識を学んだんだからそれでいいのでは?赤っ恥かいたとしても匿名だ。
★233
要旨: (229と232に)「釣り」と「赤っ恥」の意味がわからない。
□234
要旨: (233に)
・観光客に対し「マリークレール」というおしゃれな名前が使われた。
・地元にそのことを知らない者がいる。
★237
要旨: (234に)おしゃれな名前が使われたことが「釣り」だとしても、
(なぜなら「釣られて」自由が丘に住んでいるわけではないので)
□238
要旨: (□237に)「『マリークレールとは何か?』と地元民が言っている。
読解力は大丈夫か?
★239
要旨: (238に)通りの名前の由来をたずねるのと
(ゆえに238は答えになっていない)
□241
要旨: (239に)言ってる意味がわからない。
★244
要旨: (241に)だとすれば「読解力」の問題だ。
□245
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★印をつけたものが私の発言です。
この流れで見ると★239の意図がわかっていただけるのではないでしょうか。
あんまり関係ないんだが、俺今31歳なんだけど。
今、キャプテン翼のツインシュートを再現しようっていう科学バラエティ番組がやってたんだけど、期待していた番組構成と違ってがっかりした。流れとしては、サッカー選手を用意して実際に二人で同時に蹴って貰う→失敗→その後専門家に聞いて再実験という良くあるパターン。だったのだけど、再実験が、キックマシンを使った「軌道」の再現実験で、要はナックルシュート(無回転シュート)を発射して、漫画と同じ軌道が出るまで粘るってだけで期待外れ。
軌道の再現実験なんてどうでもいいよ。「ツイン」シュートなんだから「二人同時に蹴る」方が重要でしょう。それによって、不規則、もしくはキーパーのセービングを惑わすような軌道が発生するってのがポイントで、不規則な軌道自体は本題じゃない。だから、もし本当にツインシュートの再現を行うなら、物理学者か何かに頼んで、球体を二点同時に突いた時に起こる軌道のシュミレーションを頼み、最悪サッカーボールでなくていいから、シュミレーション通りの軌道になるかの実験をして欲しかった。
番組冒頭のこの企画の運営を見て、番組残りを見るのもやめた。もちろん、金銭面、撮影期間など色々と縛りはあるけど、この手の浪漫企画は追求することこそが面白いのに、そこを妥協したらもう見所ないじゃんって思った。後、出演タレントも番組のグダグダ感を感じ取っていたのか、司会進行もなんだか投げやりで、それも見るのをやめた理由の一つ。
今ロリコンって響きがものすごく軽くなってないか?
ああ
自分が努力不足で恋愛とか亭主に報われなかったのを、これは私が悪いんじゃない社会が悪いんだってわめいてるだけなんだよ。
にohnosakikoがあてはまるかどうかね?
恋愛結婚で、子供居ない(=離婚しようと思えば簡単に出来る)のに離婚もしてない。つまり夫婦仲も良好。
結婚後も好きな仕事続けて(世の中には仕事辞めざるを得ない既婚女がどれだけ居る事か)
子供産みたくないから産まない、で許されて(世の中には嫌々産まされる既婚女がどれだけ(ry)、
傍から見てる限り「女として」は確実に勝ち組だよあの人。
どれもかなり偏った視線と希望的観測だと思う
夫を上手く躾けて希望を通してるのは確かだと思うけど
本人の中に鬱屈があるかないかは…どうでしょう?