読みやすい、読みにくい、というのは「美しい日本語」のようなものだと思っている。
ノベルゲーみたいな小説の類で、そういうのを求めるのは大衆迎合的で好きじゃない。
文体で読みやすさがどうだという議論ができるなら、夏目漱石など教材にすら取り扱われることはないはずだ。
あ、だからこそ取り扱ってんのかな。
「中島敦も夏目漱石も中身は問題じゃない。虎になろうが生卵投げつけようがどうでもいい。このクソわかりにくい文章を読ませて学生諸氏に免疫をつけさせないと」
という心理があるのかも。
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