子供にお使いにいかせたり、手伝いをさせたりするのは、教育として程度をわきまえて行うならいいけれど、
親が楽をするために子供に代わりにやらせようとするのは最悪
とくに子供に酒やタバコを買いにいかせたり、掃除させてる横でテレビ見て笑ってるとか、嫌がってるのに肩もませるとか
そんな風に育てられた子供はまともにはならない
わかったか!? オレは大人になってからやっとわかったぞ!!
日本がヤバいってのは、自分の歴史少しでも知ってたら誰でも分かるだろ。
まず、資源が全くないってことはすごいこと。もう両手両足もがれたぐらいのハンデ。
そんな国が普通に白人常任倶楽部仲間入りしちゃっててとか言ってたら、中国にGDP今年あっさり抜かれて
一人当たりGDPでも今じゃピーク時の8割。他の国当然伸びてるのに。しかも先進国下位だよ、下位。
考えられない。人口維持出生率2.08とか言ってるけど日本の出生率といえば1.32で、人口自体減ってるし。
しかも信じられないのが、子供を生みづらくてただでさえ人口自体が減ってる国がさらに
年間自殺者3万人もいるどころか、20代と30代の死因の1位は自殺。クラスに1人は自殺で死ぬ。
もっと楽すればいいじゃんとか思ってたら、世界的に見て異常な労働時間。
サービス残業当たり前の長時間労働なのにバカンスが当たり前の欧米人も呆れる程の超低労働生産性。
世界中( ゚Д゚)ポカーン・・・状態。最近ずーっとこんな状況。頭使ってるはずなのにこれ。
しかも、非正規雇用率が30%を突破。3人に1人はこれ。不況でまだ全然増えるはずだし
新卒採用に偏ってて、若者の非正規雇用率なんかもっと高いのにこれ。もうキチガイの域。
伸びしろありすぎワロタ。戦後65年間何かやりようあったはずなのに今これ。何気にヤバい国になってる。
んで今度は日本の漫画・アニメ。気がつけばとっくに下り坂で、騒いでいたのは関係ない人たちだけ。
日本の漫画産業5000億円なのに、日本の10倍の潜在規模のあるアメリカで175億、フランスでも60億円弱にしか過ぎない。
「他人にいい顔するな」という事みたいなんだけど。
したいから精一杯気を遣う。場を乱す発言とか到底出来ない。
本音剥き出しに振る舞えばきっと他の人が気を遣うと思う。
それは何だか申し訳ないので、結局人前に出ることを
遠ざける方が無難に感じてしまう。
社交性が無いのでつきあってきた人数も限られて、お手本にしたいような
先輩も見当たらない。
たまたま気がついたら言うけどな。
金銭的な損得以前に、勘定が正確でないとなんとなく居心地が悪いから。
損得より快不快を優先させるっての、あまり合理的でないかも知れないが。
自分は男なのでよく分からないが、自分が常に他人からキモいと罵られる恐怖におびえながら外出しているのと似ているのかなと思った。
もう言われ慣れてしまったよ…。
http://anond.hatelabo.jp/20091218141828
「お前と一緒に仲良く暮らすことが俺の夢なんだ」
涙ながらに言われてきた。
一緒に暮らすなんて地獄絵図だ。
的確な表現。
私が幸せかどうかなんてまったく気にしていなかった。
ちなみに今は諦めて別の人と再婚している。
高度成長期と違い、今やどこも新入社員の数は多くないため、時代に合わせた人材の入れ替えができない日本の大企業は、思考の新規性、革新性を完全に失ってしまっており、
その結果として高い付加価値のあるユニークな商品を生み出せなくなっている。そのことに既に彼らは気がついているのだが、自分達が市場を潰してしまったために、今更方法を変えられないのだ。
ネットブックの新製品を見た時に、「自分がこれを使えるか」だけを考えてはいけない。既存のパソコンを使っている人にはネットブックなんて意味がない。遅くて制約が多い不便なパソコンだ。
ネットブックを見て考えるべきことは、「世界中でこれで初めてパソコンに手が届く人がどれくらいいるのだろう」ということだ。5万円のネットブックが4万5千円になった時、インドや中国などのBRICs諸国では、その5千円の違いでやっとギリギリこれに手が出るようになる人が数億人はいると思う。そういう人はみんなホワイトカラーの予備軍だ。そういう人の中で、勤勉で頭が良い人は凄いスピードでネットや経済やITについて学び、立派なホワイトカラーになる。
数億人単位のホワイトカラーの供給増加=労働の単価の低下=相対的な資源価格の高騰だ。これがこれから加速度的に進んでいくことは間違いない。
「義務でもないのに会いたくない、電話もメールもしたくない、付き合いたくない。
生活費をもらうのは、付き合わなくても当然の権利だし、ましてやそれをもらっていないのに、
付き合う気になれない」
と言うと
「親子の関係はビジネスの関係ではなくて愛情で結びつくものだ」と言って譲らない。
時給5000円なりもらわないと割に合わない。
自分の資源を略奪されているわけだから、それを補って余りあるお金をもらわなければ。
もうオッサンだし、若い頃に比べたら随分強くなったつもりでいたけど、強くなったんじゃなくて、鈍くなっていたのかもしれない。俺はもっと強くなろうと思った。
昨日、そこそこ偉い人10人くらいの前で、プレゼンのようなことをした。この一ヶ月くらい、それが気になってずっとストレスを感じていた。何をどうやってもいいイメージが浮かんでこない。前日になって半分以上諦めて、「選んでもらうつもりでやるんじゃなくて、馬鹿どもに教えてやるつもりでやろう」と思い込むようにしたら、少しらくになった。それで成功のイメージももてた。
だが、狭い会議室、初めて見る顔、慣れない機材、全てがアウェーで思った以上に緊張してしまった。プレゼンでも言いたいことの7割くらいしか言えなかった。終わったら、プレゼンとはまったく別のことを矢継ぎ早に質問され、何の準備もしていなかった俺はアワアワになってしまった。頭がいいとか、回転が速いとか言われるのに慣れて、自分を過信していたのかもしれない。
質問の範囲が広すぎて、おざなりな回答しかできなかった。外国語だったから、質問が聞き取りにくく、概念を把握する前に答えを始めてしまった。はっきり言って、質問が馬鹿だと思ったが、馬鹿に合わせて一般的なことしか言えなかった。
全てが終わった後、相手を憎んだ。こちらの選んで欲しいという気持ちを見越して、相手が選ぶ権利を利用して俺を貶めようとしていると感じた。午前中に終わった仕事が一日中忘れられず、夜も眠れず、朝を迎えた。
だけど朝が来たら、なんとなく気持ちの整理がついた。結局、俺が弱かったのだ。最初のイメージどおり、知らない奴らに知らせてやればよかったのだ。そのための知識が俺には足りなかったんだ。自分が馬鹿だとわかっていない馬鹿には、圧倒的な知識力で馬鹿さを押さえ込めばよかったのだ。馬鹿を自覚させるくらい圧倒的な強さを持っていればよかったのだ。選ばれたいという気持ちが強くて、最後まで受身だった。もっと強くなりたい。強くなろう、と思った。強くなるために勉めるんだ。
どこのメーカーのものとは言わんが、「風呂場のカビを防止できる噴霧剤」(notカビ取り)が定価の半額で処分ワゴンに入れられて売られていた。
これはいいと手を出そうとしたら、妻が猛反対。曰く
「本当にそんなものでカビが増えなくなるなら、ワゴンに回るなんてことがないほど売れてるはずだ」
なるほど。納得したのでワゴンに戻した。
でよう。「ワゴン行きにろくな物なし」メソッドって結構応用範囲広そうな気がしてきた。「売れない=消費者の大多数に選ばれない」と「それなりに大量に出荷されている=ニッチなニーズを狙ったものではない」の両方を満たしているからワゴンに行くわけで、いわばメジャーにもニッチにも選ばれないものなのだから、およそ誰にとってもろくなものではないのだ。
だからと言って「売れてるからいいものだ」とはならないけど。
http://anond.hatelabo.jp/20091217224219
つづき。
「なんでまた、そんなところを」
ぼくはガイドブックから視線を上げて、うれしそうにする彼女を見る。
彼女はラオスのガイドブックを開き、ぺージをめくりながら、つぎつぎ指さす。
「やっぱりメコン河ですかね。特にこのシーパンドーン、四千の島という意味だって書いてありますし、あとはボーラウェン高原、すごくきれいなところなんです。さっきFlickrでチェックしたら、みんなバイクで。やっぱり取らないといけないですかね、免許」
ぼくはぽかんとする。
「あー、いや、1人あたりGDPとか、総人口とか、交通の便とか、そういうのを調べないと。それじゃあ、観光目的だよ」
はっきりと言う。
彼女のいまの夢は、観光目的でラオスに工場を建てるということ。
一見すると私益と社益の混同ではあるのだが、社益を私益にFIXさせることが出来るようになると、あんがい会社勤めは悪くないと思い始めたようだった。
「ラオスをバックパック旅行したいと思っていたんです。でも、それだといろいろ心配しないといけませんよね? でも工場建てて、そこに派遣されれば、全部解決だって気付いたんです」
なんとも途方がないことをうれしそうに言う。
確かに製造業は生産拠点を東南アジアに工場を移転しており、その中でもラオスの特に南部は穴場ではあるのだ(北部は中華系が占拠している)。いまは無理でも、3年後ぐらいなら、けっこうよい投資環境が整っているかも知れない。
「ね? いい考えでしょう?」
「え、ああ、筋はいいかも……」
「だから、いまのうちからラーオ語勉強しなくちゃ」
「はあ……」
こんなことをわざわざ言い出すまでもなく、多くの日本人は会社の夢と自分の夢を重ねることにより夢を実現させている。それが出来るようになれば、リスクは会社に背負わせたまま自分の夢を実現することが出来る。
彼女のようにそれがたとえ観光目的であったとしても、それが社益とFIXされれば、そのような夢や情熱を持つことは推奨される。
そのために同僚と夢を話し合い、共有し合い、仕事をこなして認められ発言力をつけ、いくつものプロジェクトを成功させ実力をつけなければならない。会社が夢を見ないなら、そこに自分のビジョンを植え付ける、たきつける。会社に絶望したのなら実績だけ作って、自分を別の会社に高く売りつける。
なんともたくましい。
半年ほど前、彼女がしきりに仕事を辞めたいと言っていたのを思い出す。
もう何度目かの作戦会議のあと、まだぐしゃぐしゃになってぼくのところに投げ出されていない別の案件で行き詰まっているらしく、彼女は言う。
「わたし、もうこの会社やめたいんです」
「え? なんで?」
「はあ」
「それに、子供の頃からの夢があるんです、わたしデザイナーになりたいんです」
それはよくある現実逃避で、ほとんどの場合上手くいかないことは保証できるのだが、彼女の場合、それが根深いように思えた。
「みんながなりたいものに、生活を掛けてしまうと、とってもつらいですよ?」
「ああ、よく聞く話ですね。競争者が多くて誰もがなりたいところは自然に過酷な労働環境になるって」
「作家なんかだと、たいてい仕事を持っていて、作家業が軌道に乗るまではその仕事をつづけるのがほとんどですし。本業の年収の倍を作家業で稼げるようになってから、作家業を本業にするなんて、よく聞く話で、それに」
ぼくは、言うべきか、言うべきでないか迷う。
それに気付いた彼女は、視線で続きを促す。
それなりに痛いことではあるのだ。
「本業にしてしまっていたときがあったんです、プロのカメラマンだったんです、昔」
ぼくは、彼女に話す。
進学校に入りながら、大学受験をやめてカメラの専門学校に入ったこと。それから、先輩のつてをつたってプロの端くれになったこと。下積み時代は長くて苦しくて、それでもある分野ではそれなりに認められるところまでは行ったこと。しかし、生活は激務で荒れ果て、収入は底辺に近いところだったこと。
それを彼女は静かに聞く。
「それで辞めたんです。先行きも暗いし。これをつづけても意味がないって」
彼女は首を傾げる。
「なんで辞めたんですか? カメラ」
「いえ、辞めたのは、カメラで生活することで、カメラは辞めてません」
ああ、なるほどと彼女は頷く。
「ぼくはカメラは好きだけど、カメラで生活することは好きじゃないって気付いたんです。実際のところ変わらないんです、カメラで生活していようがしていまいが、カメラすること自体は何ら変わらない。それが仕事である意味はないって気付いたんです」
「それで製図屋さんに?」
「ええ、この業界はニッチなんです。みんなきっとずっと製図ばかりしているのは退屈だろうと思うんです。なので高給で、仕事が楽で、専門性が高くて、安定しているにも関わらず、あまり多くの人がなりたがらない」
ぼくは笑う。
「そのとおり」
彼女が遠慮がちに聞く。
「どんな写真を撮るんですか?」
「え? ああ、自然が多いですかね。アマゾンとか一度撮ってみたいかなぁ」
結局のところとぼくは思う。
誰もが思いつきやすい夢というのは、非常に環境の厳しい実現しても不幸になりやすい夢であると。そこにあるレッドオーシャンを目指すよりは、誰も気付いていない未開のニッチのブルーオーシャンを目指す方がいい。
しかし、そんな南の楽園への道は紆余曲折が待っていて、それを探すためにそれほどハードではない仕事とのダブルスクールをすることは悪いことではないと。むしろ、そっちの方が、自分の可能性が多様になり、レッドオーシャンの血みどろの戦いに振り回されることなく、自分のやりたいように出来るのだと。
レッドオーシャンの嵐の中では船はコントロールさえ失ってしまうが、誰もいない大海原では、自分が取りたい進路を選ぶことができると。
そして、多くの日本人はもっと楽ちんな、会社に自分の夢を実現させるために、会社と自分の折り合いをつける選択をしているのだと。
いままさに、彼女がしているように。
「というわけで、ラーオ語覚えてくださいね?」
「え?」
「だって、そうですよね? うちの会社がラオスに工場を建てたら、製図屋さんも派出所をラオスに作らないと、契約あるんだし。そのときあなたが派遣されるためには、ラーオ語が話せるのはあなただけという状況になっているのが、望ましいんです」
「はあ」
なんとも、深慮遠謀な話だ。
「しかし、ラーオ語って、なんともニッチな」
「だからこそ、ブルーオーシャン、でしょ?」
ああ、それでラオスかと得心がいく。ラオスにほんとうに工場が建てられるかどうかはともかく、その夢のために情熱的に生きれるのであれば、それはよいことなのだ。
「計画にはぼくも入っているんですか?」
「え、だってあなたがいないと不便なんです、いろいろと。それに、あなた、わたしのことどう思っているの?」
伏し目がちに聞く彼女を見て、ぼくはどきりとする。
さんざんに曖昧だ、曖昧だと揶揄されてきただけに、その曖昧さを維持したいのだということは言えそうになかった。
たとえば、結婚してもいいというと、結婚のネガティブな面に意識がむき、それはどうかなと思い始める。同じように、恋人になりたいというと、恋人が出来たときのネガティブな面に意識がむく。
彼女はきまぐれだから、そのきまぐれに、その言葉の定義が合わなくなったとき、たとえばその気まぐれには恋人であることが不都合であったとき、その関係性を疎む、という性質があるのだ。
なので、彼女のきまぐれにいつでもつきあえるように曖昧にしておく。
ぼくはとてもストライクゾーンが広く、そして彼女はボールゾーンがおもいっきり広い。
なので、なるべくそのボールに球を投げないように、細心の注意を払う。
でも、ほんとうのところはそんな他人が作った言葉の定義は、いわばレッドオーシャンで、ぼくと彼女だけにしか適用できそうのない、ニッチなブルーオーシャンを探したいと思っている。
それはいったいどういうものなのかというと、それはぼくにも分からず、そのときどきに都合のよいように、彼氏にも、友達にも、相棒にも、変化するなにかだと思うのだ。
ときには問題を解決したり、ときにはいっしょに遊んだり、ときには恋愛物質に翻弄されたり、ときには抱きしめたり。
ようはぼくは彼女と一緒にいたくて、いろいろなことがしたくて、そこには好きという気持ちも、愛しているという気持ちも、一緒にいると楽しいという気持ちも、悪ガキのように作戦会議をするのも楽しいという気持ちも、彼女のあらしの側にいるとこっちも活性化するのでうれしいという気持ちも、ごっちゃになって含まれている。
「ねえ、どうなんです?」
「ラーオ語、覚えます。ひょっとしたら会えなくなる可能性を消しておきたいんです」
「また、曖昧」
彼女は不機嫌そうに眉をしかめた。
(それはきまぐれなあなたに合わせるためなんだけどなぁ……)
それでも、彼女はよしと意気込み、ラオスに工場を建てる計画の推進をはじめる。
その姿があまりにも眩しくて、ぼくはそれに見入ってしまう。
彼女の飛躍するような自由奔放なあらしの側にいると、こちらまで、もっと高い理想と夢を追わなければならない気になってくる。
彼女は停滞を嫌う。
それがぼくに向くときに、うわ、頑張らなくっちゃとなるのが嬉しかったりするのだ。
(しかし、ラオスか……、途方もないなあ……)
エロゲのせいにすんな。そこまで理解してたら理性でどうにかしろ。
実は、もうこういう本とか買って来て読んでみて欲しいと何度か伝えたりはしているのですが、
もうずっと後回しにされている状況ですね。。
プログラムに興味があっても女性の身体に興味が無くなっているのは切実ですね。。
ストイックである事に美学を見出し始めたり、快楽を求める事に嫌悪感を覚えると
理性が性欲を抑えてしまう印象があります。
それと距離を置くよりも近づいた方が良いと思います。
スキンシップをとる機会を増やしたり、二人で自然の中に出かけたりしてみてはどうでしょうか。(山登りとか海辺を散歩とか)
食事も性欲増強の効果があるらしいので、こっそり食べさせましょう。
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1214327057
こんなに楽しい組み合わせはないと思うんですが、
とにかくなんとかその気にさせる努力を頑張ってみてください。