ガンダルフが乗っている鷲はグワイヒアというあの世界の鷲の王様(後に鳥の王様)で一羽しかいない。ガンダルフのお友達。
複数出てきているシーンはなかったと思うんだけど。
サルマンはガンダルフと同じ立場の魔法使い(イスタリ)だけれども指輪の力に惹かれて裏切った存在。
イスタリは一種の精霊というか下級神みたいな存在で、その上の神様が
「サウロンは人間が倒すべきだから敢えてサウロンより弱いお前らをつかわす。さらにお前らがあまり力を使ったり出来ないようにお前らを年寄りの姿で送り込むんで、お前らの知識でもって人間をうまいこと誘導してやんなさい」
と命じている。それもあってガンダルフは積極的に力を行使できない。
……と言ってもこれも後付ルールみたいなもんなんだよな。ぶっちゃけ「ピュッと飛んでって指輪捨てて話が終わったら面白くねえだろ?」に尽きる。
交差点にある交通事故の情報提供を求める看板。「いつ起きた、A車とB車の事故の目撃者求む。」みたいなの。
昨日見たやつは、「A車×B車」って書いてあったから、それだけで追突事故だったのかなーって思った。
自民党的な手法をとっていることが問題だと思う。
ダム建設が発表されて、反対することは禁止されていたか?といえば、そんなことはない。
反対運動は起きた。
「はい反対派の意見を聞きました。考えました。造りま~す」
反自民たる民主党がダム建設中止を発表したけど、中止に反対する勢力の意見を、
自民と同じに扱っているだろ?
俺はそっちのほうが問題だと思う。
結局今まで政権交代が起きなかったのも民主主義の責任なんだよなぁ。
今まで自民党一党支配を支持して来たのは俺ら若者より遥か上の世代の方々であって、
それって怠慢でしょ、結局は。
そんな有様で「若者の政治への関心が低い!」なんて言える資格があるのか?
今まで変化を求めてこなかったかつての若者達とどれ程違いがあるのかな。
(彼らは我々よりもずっと数が多く、かつ希望と行動力に溢れていたらしい)
この国が「変化しない事」をひたすらに求めるネット右翼達の叫びは、
「これまで変化してこなかった事」で膨れ上がったリスクを
自分達の代で破裂させられる事への恐怖の嘆きのように思える。
本当男性って気付いてない人多いけど(だからこそタチ悪いんだけど)まだまだ男社会だよな~と思うよ
別に好きこのんで男社会維持を望んでる奴なんて男にだって殆どいないだろ。
男も女も含めてなるようになった結果がこういう社会になってるってだけで。
仮に現状に不満があるのなら、男にも女にも同時に平等に啓蒙せんと変えようがない。
横増田だけど、ものすごく腹が立っているので、コピペ文と元投稿文を全面貼り付け。
コピペだけ読んでコメント付けてる、ほかの増田さんにはなんの落ち度もないけど、やはり、一部だけでは元増田が言いたいことは歪んで伝わっていると思った。出来れば元投稿も読んでもらいたい。
http://anond.hatelabo.jp/20090927210711
日本の大抵の男性は、女性を馬鹿にしている。そして、そのこと自体に全く気づいていない。
何せ、こちとら10年女子校だったからね。付き合いのある男友達は理解のある人ばかりだったし、バイトの先輩は仕事の関係だから、そんなに突っ込んだ発言もしないし。
それが、社会に出たらガラっと変わった。
あなたは差別発言と思っていないんでしょう。でも私はとても苦痛なんです。
あなたはセクハラだと思っていないんでしょう。でも私はとても苦痛なんです。
あなたは多分よかれと思って言ってくれてるんですね。でも私はとても苦痛なんです。
女の子同士なら、自然と気に掛けあって丁寧に接していた部分を、先輩が、上司が、特にお酒の席で、何にも考えずぐしゃっと踏みつぶしてその境界を越えてくる。
それがたまらなく苦痛で、大学で一緒に学んでいた友達に言ってみたら言うんだ。「わかるよー。でもそんなものだよね」
ああ、こんな苦痛な状況が、社会一般では『そんなもの』で済まされる程度の問題なんだって分ったのは、正直そのときだった。
それで、今はどうやって生きているかというと、日常では、社会学で学んだ問題意識にほとんど蓋をして、生きていくのに便利なところだけ使って生きてます。とりあえず、世間一般様から見て、頭のおかしい奴だと思われない程度に猫被ってね。
男性メインのビジネスの場に立ち、名誉男性的な立ち位置で、ある意味男性に媚びるようにして生きている私にとって、社会学の知識は、被差別者を踏みつけるのに(効率的に差別者特権を使うのに)とても役立っています。あとは自己防衛のためにね。
こんな生き方が良くないというのは重々承知している。一番申し訳ないと思うのは、今の世を生きにくいと感じている日本女性たちに対してだ。自分の体を資本として、男の『勘違い』を上手く使う、一種の『戦略的本質主義』を振りかざして生きている私は、本質主義から脱して生きたがっている思っている女性にとって、目の上のたんこぶでしかない。(そして巡り巡って、自分のクビも締めてる。承知の上だ。)
だから、私は世の女性の味方を標榜している。もちろん、偽善だとも分った上でね。日々ご迷惑をおかけしています。女性の皆さん、特に日本女性の皆さん、本当にごめんなさい。
■http://anond.hatelabo.jp/20090925071837
正直、こんな時間に書くことじゃないんだ。明日やることもあるんだし。
ただ、私にとって、考えを大きく揺さぶられる出来事があったから、少し話をさせて欲しい。
ちょっと長くなるかも。あと、女性向きだよ。男性は気分悪くなるかもよ?読むなとは言わないけれど、念のため注意。
http://anond.hatelabo.jp/20090925071837
↑の記事を、オンライン上の友達に、何気なく見せてみた。
ホント、何の反応も期待してなかった。流せる雰囲気だったから、多分何の反応もないだろうと当たり前のように思ってた。
でも、その人は言ったんだ。『抗いたい』って。
この言葉に、私は懐かしくなって、ものすごく申し訳ない気持ちになって、泣きたくなったから、それについて書く。
やってたことは、女性問題、黒人問題、水俣病問題、沖縄基地問題、色々だ。
ゼミ一番ショッキングだったのは、『私が差別者だ』ということを直視しなくちゃいけないことだった。
社会学を学んだことのある人は、どうか笑わないでほしい。私は、私が世界中のあらゆる差別問題の中に居て、その中のほとんどの状況で差別者なのだ、と、抵抗なく認識できるまでにまるまる1年かかってしまった。
「だって、私はなにもしてないのに、ただ生きてるだけなのに、どうして他人を差別しているなんて言うの?」という疑問を解消する、それだけでだ。課題図書や、毎度のレポート提出が嫌いだった。『分りたくない、信じたくない!』ってずっと思ってた。
社会学を学んだことの無い人は、差別問題をどうか他人事と思わないで欲しい。あなたは世界中の差別問題の中に居て、ほとんど常に差別者だ。
日本国民、大和民族、正社員、男性、健康体である、という、ただそれだけで差別者だ、というのは、すぐには受け入れがたいと思う。(先述の通り、私も理解するのにまる1年かかった)それでも、社会という構造の中にいる限りは、その中で差別者として無意識に振る舞ってしまうことが常にある。無意識に、他人を傷つけている。確実に。
そして、たいていの場合、特別に本を読んだり勉強をしなかったら、この『無意識の差別者』状態から、人は絶対離れない。
だって、この状態が最高に快適だもん。味方は多いし、強いし、くさい、汚い、怖いことはないし、安定している。
この状態から、どうしてわざわざ、よわっちい被差別者の味方をしたり、あまつさえこの特権を引き渡すなんてことをしなくちゃいけないんだ?ってなる。
だから、差別者はこの状態から滅多に自発的には離れない。
もうひとつの原因は、『自覚が無くても困らないから』だ。
道を行く人(差別者)は、花を踏んだことに気づかなくても怪我をするわけでなし、なにも困らない。<でも、踏まれた花(被差別者)にとっては一大事だ。>
だから、差別者(マジョリティ)の集団または親玉は、自分たちの得になるように必死に策を練る。
・なんで沖縄の基地問題は、全国メディアで滅多に取り上げられないんだろう?(だって日本はほとんどが大和民族だもんね)
・沖縄の中でも、基地をなくしたいと考える人と、居て欲しいと考える人がいる。これは国が基地の土地貸し出しに対して支払っている補助金の絡みで起こる対立だ。(このせいで、基地問題の県内世論が必要以上に割れている)
・基地移転は出来て、日本国内に基地が置けない理由ってなに?(移転できないんじゃなくて、移転しないだけなんじゃないの?)
例を沖縄基地問題であげてみたけど、ちょっと考えてみると議論のしがいがある(あるいは明らかにおかしい)問題がぼろぼろ出てくるのが差別問題だ。そして、差別問題を華麗にスルーできる特権を持っているのが、差別者だ。
こういう困難な状況にあっても、『これはおかしい』と気づく人、そして声を上げる勇気ひとたちが現れて、差別問題は議論されてきた。
昔と比べて、良くなってきたものもある。(女性問題は、明治時代から女性の権利の見直しを考えようと呼びかける先達の手で、長い時間をかけて、やっとここまできた。)
まだ根強く差別が残り、世代を超えて人権を脅かすようなものもある。(水俣病問題は、未だに遺族が差別を恐れてる。)
こんな問題の事例に4年間触れていて、その当時は、私も思っていたんだ。
『私は、なにも知らないままで人を傷つけるような人間になりたくない。もし差別者の立場を脱する方法があるなら、私はそうしたいし、もし無かったとしても、せめてその差別について理解して、なるべく他人を傷つけないように生きたい』って。
でも、いざこんな気持ちを持って、たくさんの差別問題の事例を知ったあとで、社会に出てみたら、こんな問題意識が苦しいだけだって分ってしまった。
一番キツかったのは、『大抵の男性は、女性を馬鹿にしていること、そのこと自体に全く気づいていない』という事実だった。
何せ、こちとら10年女子校だったからね。付き合いのある男友達は理解のある人ばかりだったし、バイトの先輩は仕事の関係だから、そんなに突っ込んだ発言もしないし。
それが、社会に出たらガラっと変わった。
あなたは差別発言と思っていないんでしょう。でも私はとても苦痛なんです。
あなたはセクハラだと思っていないんでしょう。でも私はとても苦痛なんです。
あなたは多分よかれと思って言ってくれてるんですね。でも私はとても苦痛なんです。
今まで、女の子同士なら、自然と気に掛けあって丁寧に接していた部分を、先輩が、上司が、特にお酒の席で、何にも考えずぐしゃっと踏みつぶしてその境界を越えてくる。それがたまらなく苦痛で、大学で一緒に学んでいた友達に言ってみたら言うんだ。「わかるよー。でもそんなものだよね」
ああ、こんな苦痛な状況が、社会一般では『そんなもの』で済まされる程度の問題なんだって分ったのは、正直そのときだった。
それで、今はどうやって生きているかというと、日常では、社会学で学んだ問題意識にほとんど蓋をして、生きていくのに便利なところだけ使って生きてます。とりあえず、世間一般様から見て、頭のおかしい奴だと思われない程度に猫被ってね。
男性メインのビジネスの場に立ち、名誉男性的な立ち位置で、ある意味男性に媚びるようにして生きている私にとって、社会学の知識は、被差別者を踏みつけるのに(効率的に差別者特権を使うのに)とても役立っています。あとは自己防衛のためにね。
こんな生き方が良くないというのは重々承知している。一番申し訳ないと思うのは、今の世を生きにくいと感じている日本女性たちに対してだ。自分の体を資本として、男の『勘違い』を上手く使う、一種の『戦略的本質主義』を振りかざして生きている私は、本質主義から脱して生きたがっている思っている女性にとって、目の上のたんこぶでしかない。(そして巡り巡って、自分のクビも締めてる。承知の上だ。)
だから、私は世の女性の味方を標榜している。もちろん、偽善だとも分った上でね。日々ご迷惑をおかけしています。女性の皆さん、特に日本女性の皆さん、本当にごめんなさい。
こんな長文をここまで読んでくださっているあなたは考えるかもしれない。「どうして、そんなひねくれた生き方をするんだ?女性に対して申し訳ない気持ちがあるなら、そんな風に思わなくて済むような道を探せばいいじゃないか」と。
確かに、正論だ。
ただ、今まで男性社会の中を駆け抜けてきた私の人間関係には、そのようにしなければ維持できない人脈が多くある。今更切ることが出来ない、お金になる人脈が。
一言で言えば、こういうことだ。
「こうしなければ、明日のご飯がない。明日の立場がない。明日の社会に居場所がない。そういう危機感に、ただ突き動かされて、ビジネスという男性社会に埋没しているのです」
・・・あ、万一今、「だったら結婚すればいい」とか考えた人がいたとしたら、冗談も大概にしてくださいね。そういうのが仕事を志向する女性のプライドを傷つけかねない繊細な問題だってこと、いい加減気づいて。
そして、そもそも「働けないなら結婚すればいい」という言説を女性に押しつけるのはやめてほしい。
私は今、こんな風に生きているから、正直、最近の私が差別者に立つあらゆる差別問題に対しては、「分る、分るよ-、その痛み。でもごめん、味方はしないよ。余裕ないから」っていうスタンスだった。思い切り逃げモード。そこそこ底辺の仕事で、それより底辺の人たちの頭を足蹴にして得た仕事で生きている日常です。
そこにきて、冒頭のアレですよ。
『抗いたい』という言葉を聞いたとき、まずはじめに思い浮かんだのは、「青いなあ」という、ある種その人を侮った感想だった。
でも、よくよく考えてみたら、それって違くないか?むしろ、この人が言っていることのほうが正しいだろう?本当は、自分が差別者のままで居続けるのって嫌でしょう?その嫌な気持ちがあるから、他の人に対して内心申し訳ないとか思ってるんでしょう?
そんな風に考えていたら、私は大学生時代に一生懸命学んでいた差別問題の事例が懐かしくなって、現在の自分のことを思うと、世の中の女性に対してものすごく申し訳ない気持ちになって、そして、『抗いたい』と言った友人の若々しい気概が眩しくて、それと比べたら自分はずいぶんみすぼらしくなったと気づいて、泣きたくなったからそれについて書いた。
オンラインの友人だから、性別は分らない。
いじめられっ子に押しつけて回避しようとするらしいんだけど、
そうなると、やられる人は相手が人生で積み重ねてきた不実を身をもって感じるわけですよ。
「それがどうしたの?」って言われると「それだけ」としか言えないけどね。いやはや。
昨晩、あまりにも変態なpostを連発された(78回にわたって続いた)のでその人をremoveした。
たぶん別に相手はなんとも思わないだろうけど、なんかちょっと淋しくて悔しい。
http://anond.hatelabo.jp/20090928002752
もう何か完全にキャパを超えてるよね電車の……完全にもう隙間がないのに、なぜか、ドアが開いたら人が乗ってくるし。だーからあいてねぇよ!!みろよ!あいてねぇよ!!って思うんだけど、「オイオイお嬢さん、ここは初めてかい?ここはこうして乗るんだぜ」と言わんばかりにオッサンがドアの上のところに手をかけて無理矢理はいってきた。でもドア付近にいる人も「いれさせねぇ」と言わんばかりにはりあってるし無言の小競り合い。いかに面積を守るかの小競り合い。
人が乗ってるというより電車の人パックだった。
大阪でもそれくらいは結構ある。だから東京の本当に酷いところはもっと酷いことになっているはず。
限界にいくと積み残しが発生する。積み残しは大阪でも時々発生している。
会社が通勤手当を支給しないようにすれば、あまり通勤電車に乗らなくなるし一極集中は避けられたりするのかもしれない。
あとは時差つけて分散させるような取り組みをもっと進めるべき。勤務時間が7:00~15:00だったら結構マシだったりしない?
(それはそれで遠方から通ってる人が文句言うんだろうけど)
それ非常によくわかる。
でも俺は男なので風呂に入らないと体がにおってきたりべたついたりしてたぶん嫌われる。
外に出るときには風呂に入る必要があり、それ故に外に出なくなってひきこもりになったことすらあった。
彼女と同棲したときに彼女と入るのは結構楽しかった。
でもそれは彼女と二人っきりが楽しいだけなので引きこもり解消にはあまりつながらなかった。
身体をタオルでふくのが面倒だし
はいりたくねーーーーーー決心つかねーーーーーーーーー
風呂マシンがあればちょっとマシになるかもしれない。
具体的にいうと http://panasonic.jp/sumai/bathroom/zashower/ こんなやつ。
発売されたときには「流行らなさそうだけど、10年後にはちょっと普及してるとうれしい」なんて思ったけど、全然普及してねえんだよ。
同意。
自分のものなら新刊でも古本でもどこでも持っていくし好きに扱っているよ。
むしろピカピカの新刊とかだとちょっと気を使うため他人行儀な気がしてならない。
本と親密な関係になれてないというか。
図書館の本はちゃんと借り物として扱うけど、デリケート過ぎじゃないかなと思う。
まーこういう議論って、それまでの自分に染み込んだ慣習のぶつかりあいだから何が正しいとかないと思うんだけどね。
まーなんつーか。具体例も挙げない自分勝手さが女って駄目だって言われんじゃねーの?
http://anond.hatelabo.jp/20090927154607
http://anond.hatelabo.jp/20090927133645
「メシウマが大好きな日本人、メシマズが大嫌いな日本人」が、トラバ先のエントリーが言いたかったことだと思うよ。もちろん、俺が書いたわけじゃないからわからない。だから、以下はトラバ先のエントリーと関連させながら、私が感じてる「メシウマが大好きな日本人、メシマズが大嫌いな日本人」を書く。
ここで言う「メシウマ」とは、不幸の平等化、言い換えると平均より(もしくは自分より)楽しているであろう人を苦労(不幸に)させること。
ここで言う「メシマズ」とは、再配分政策、詳しく言うと所得の再分配のこと。苦労しているかしていないか関係ない。
「メシウマが大好きな日本人、メシマズが大嫌いな日本人」を言い直すと、「平均より(もしくは自分より)楽しているであろう人を苦労(不幸に)させるのは大好きだけど、平均より(もしくは自分より)低い所得を持つ人にお金を渡すのは大嫌いな日本人」となる。俺は、リアルな半径数メートル&マスコミにそう感じる。
俺がリアルな半径数メートル&マスコミにそう感じるものは、以下の三点の意見をセットで、よく聞くからです。
1.「既得権益の解体」とか「無駄の削減」等の、現在、楽しているであろう人を苦労させたい。
2.所得の再分配、平均より(もしくは自分より)低い所得を持つ人にお金を渡すのは、嫌だ(これははっきりとこう言わない)。
3.「2.」の反対理由の大半が、苦労してない人が、得をしてしまうという主張(例えば、ニートが得してしまうとか、パチンコや酒に消えるとか、草加のお布施に消えるとか)。
そして、
再分配政策は、苦労している人を助ける、という慈善事業のようなものではない
もしくは慈善事業のようなものじゃなくてもいい。苦労しているかしていないか関係なく、所得の低い人にお金を渡すことで、社会が活性化し、豊かになるのが所得の再分配である。なのに、所得の再分配をしようとすれば、ニートが得してしまうとか、パチンコや酒に消えるとか、草加のお布施に消えるとか屁理屈をこねて反対する。俺がリアルな半径数メートルの大半が、自分もお金を受ける側なのにだ(マスコミの方々は、おそらくお金を払う側)。それ以上に、自分より所得が低い人間に、お金がいくのが嫌らしい。
女なのに風呂嫌い
風呂入りたくない
もう面倒くさくてたまらん
風呂入らなきゃいけないのに、いつもいつも「あとで」「あとで」ってやって入らなかったり、凄い深夜っつーか朝(要は今)に渋々入って翌日大学に寝すぎて遅刻みたいなハメになる。
風呂入りたくない
よくいじめられなかったもんだと思う(今思えばなんか陰では言われてたろうなorz)
それでもだ!!!!!
入りたくない
あ、風呂入りたくないってのは湯桶につかりたくないって意味じゃなく、バスタイム全般を指していますよ。
髪洗うとか体洗うのがすげえ面倒くさい
別に気持ちいいわけでもないし
身体をタオルでふくのが面倒だし
はいりたくねーーーーーー決心つかねーーーーーーーーー
http://daitai.diary.to/archives/1645741.html
これ読んだんだけど、皆結構神経質じゃね?
「自分の本であっても、読みかけの本を開いたまま机に置くなんてしないでしょ?」って言ってる人がいてかなり驚いた。
そんなん日常茶飯事なんだが…しおり?持ち歩くの面倒だからほとんどしたことないよ
あるいは図書館の本では流石にしないけど自分の本だったらドッグイヤーとか普通にやりまくるし。
っていうか「本を大事にする」っていう発想が正直あんまないんだよね
だから「本を大事にしなきゃ」って言ってる人がいてびっくりした。
なんで?だって本って重要なのは中身だろ?そりゃバッラバラになって解読不能、なんてことになったら困るよ?でも読みかけの本を置いておくと跡がつくとか、ちょっとも汚れるのは嫌、って、なんかよくわかんねーんだけど、その感覚。それって「本」の中身が好きなんじゃなくて本の外見が好きなのか?まあデザインがいい表紙の本だったら分かるけどさ…写真集とか、でもそういうのはもとより持ちあるかないしな…
本は何より読んでなんぼでしょ?大事にするより、多少あらっぽくても何度も読まれたほうが寧ろ本を大切にしてると言えないか?
こんなに当然の如く本を大事にしなきゃ!って人がいるのに驚いたわ
神経質だな~
何を悪意と定義するかによるんだけど……
ライオンだって、ただの遊戯目的で食わない生き物を殺したりするよ。
(主に子ライオンだけどね。大人になるにつれ、
いや、まぁ、人間の目線で見た時に
「遊戯目的としか思えない」という光景にすぎなかったのであって
事実としては
「いたぶる様に小突きまわした揚句、ろくに食わずに死体を放置」するだけだが。
でも、俺はここから悪意を感じる。
(でも一方で、やっぱり全裸吶喊する奴は噛まれて仕方がないと思う。)
「俺に反対したらお前を殴る」とかも、悪意とは限らないよ。
嫌悪や恐怖も伴っている。
必死で自分と相手の間にある溝を守る。
AがAを認めてほしいように、
BはBを認めたくない。
「認めてほしい」と言う自由があるなら
「認めたくない」と言う自由がある。
利害がぶつかったら喧嘩になる。平和的にいっても多数決になる。
物凄く真摯で切実な一票が
適当で投げ槍で消去法的な二票に負けるのも仕方がない話。
数でぶつかり合った時点で、話し合いのタイミングは終わっている。
説得するなら投票前でなくちゃ。
マイノリティが、嫌いなアイツのことを「マジョリティだから」で済ますというのは
説得前に投票を始めるのと同じだよね。
1. 3次元含む。
2. 幼女にしか興味ないぉ
ちなみに俺ロリコンかもって思いはじめたのは10歳前後。俺自体がロリ(ショタか)の時でした。
つーか
その画像クソむかつくんだよなーバカにしやがってさー
こっちは本気で悩んでんのに
といってもアルバイトなのだが、短期間でも長時間、ほぼ休みなしで入っていたおかげで多少慣れてきた
ところが、同じ仕事場の人からの印象が悪いらしく店長に指摘されてしまった
「(新人のくせに・・?)勝手に判断をして仕事をすること」などにより「なんなのあの人」と思われてしまっているみたい
自分としては何をして良いかわからない上、周りも忙しく聞ける人がいない場合に、
かといって何もしないのも怠けていると思われるから、教わったことのある仕事をやったりしていた
それがいけなかったらしい
とにかく自分の仕事をしろと言われたのだが、客商売なために客から声をかけられることもあり、中々思い通りに進まない
客には私が新入りだなんてわかるわけもなく、他の従業員と同等に扱われてどうしていいのかわからない
○○はAさんに、××はBさんに頼んでくれ、と言われるも、当人は忙しくてつかまらず、仕方無しに別の人に声をかけているのもダメなようだ
昔から言い方がきついと言われるのだが、気をつけていても忙しい最中に混乱するとついとびでてしまう
言い訳にしかならないし、気をつけてもだめならそれ以上に気をつけるべきなんだろう
でもその場合、普通の人がどういう言葉を選んでいるのかがわからない
既にその時点で致命的な欠陥があるようだ
確かに昔から、そういう点で誰かと対峙したり嫌われたりすることが多かった
事情によりひきこもり、普通の人がそういう事を理解する年齢より遅れているのも今はあるんだと思う
とはいえ、ここ数年その部分にことさら気をつけ、自分の中では大分ましになったと感じていた
実際に昔だったらもっときつい事を言っていただろうと思われる場面も何度かあった
だから余計に、自分では良くなっていると思っていたから、余計に突き刺さった
まだだめなのか、どう選べばいいのかわからない
今20歳+αで20代前半・・・まだ間に合うと思いたい
でもどうすれば良いのかわからない
良かれと思っていただなんて、思い上がりもはなはだしいし、子供すぎた
自分がとても恥ずかしい、どうしても直したい
でも直し方がわからない
こんな調子で今後直るのだろうか、とても不安だ・・・
人格障害ではないと信じたいし、直せるものなら必ず直す
書きながら悩んでいるうちに涙がにじみ出てきたので落ち着こうと思う