2008-08-23

http://anond.hatelabo.jp/20080822195823

今更、この記事にコメントもどうかと思うけど。

突然の出来事に対して、今は目の前の現実に対してマヒ、もしくは逃避する防衛本能が働いているに過ぎないんじゃないでしょうか?

そもそも、この書き込みをしたこと事体が、なくなった妻が「いた」事実を確認するような儀式のようなものなんじゃないかと、勝手に推測してしまいました。

人やいつもの日常を失う悲しみや憤りは、徐々に現実日常の中で行う儀式的な「葬儀」や「お墓参り」、「故人の部屋の片付け」などを通して、実感していくものなんじゃないですか?

本来ならば一緒に悲しみに向き合うパートーナーをなくされて、その感情をどこにぶつけていいのか、分からず、消化しきれず、悲しみを否定しようとしているようにも、読んでいて感じられました。

今はただ、その悲しみを静かにゆっくりと実感していく時期なのかもしれません。

どんなに生前の自分の存在を否定したところで奥さんは還ってきたりしません。

貴男のせいで奥さんが亡くなった訳でもないんだから、奥さんから解放されたように言う貴男自身の感情を許して、徐々に日常を取り戻して行って欲しいです。

こんな断定的な言い方で申し訳ありません。

想像でしかない、この言葉の羅列をどうかお許し下さい。

喪失の悲しみが溶けて、お二人の生活がその日常に生まれたお子さんにとっても、愛おしい記憶の日々になりますように。

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