いや「有限」と「足りない」は違うだろw 足りないのはお前の知性だ。
うっかりつられて有限/無限の話にのってたけど。
足りているリソースを配分するときだって経営学や経済学は必要だろうに。
モデルがどうであっても、共産圏なんかの悲惨な実証例が山ほどある事の方がわかりやすいからさ。
アメリカの悲惨な自由主義医療の例もあるし、世界大恐慌の例もあるなあ。
前者を支えているのが、ことさらに「社会主義医療」の恐怖を歌う議論上の詐術なんだけどな。
つか、そういう実例の評価の話じゃなく、あくまで学問的モデルとして提示しなきゃ話がおかしくないか?
hokusyu言うところの「バカリベ」の一言で終わるんで。
とりあえずさっきの投稿で、君の考える企業像が現実に即してないことは示したなあ。
まあトリアージは物凄くわかりやすくて便利だと思うからどんどん取り入れてもいいと思うけど。
なるほどなるほど。そんなに優れた例なのであればどうしてあの先生は謝ったりしたのかねえ。
出来てないw
お前の中の企業はそうなのかもしれんが、現実の企業は必ずしも利益の最大化だけを目的にしてるわけじゃないねえ。
そういう経営をしたら「必ず」倒産するということを暗黙に前提して話をしてるのがあんたの詭弁。
いや、かわいそうな百貨店を生かすのだって別に行政や政治の問題だけじゃないだろうに。経営者の判断の話だが。
で自動車のリコールの話はガン無視?ww 重要なところだけど。
知らない。経営学の授業という事を考えれば誰もが戯言だと思うはずだけど。
別にこちらはいくら見苦しくても構わないんだけど、一応ググれば一発でわかる
ぜんぜん適切な例じゃなかったけどなw
あれは個人的に私淑している相手に説教されたからじゃないの?
あほすぎるw 悪くないのに謝ったってか。
変な教育効果は絶大だったんだなあというのはよく分かった。
誰がそんなこと言ってんだ?w
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自分の知能の希少性を十分思い知っているとは思うけどさ、もう少し慎重にレスできないかな。
>でも、あらかじめ「足りない」ことを想定はしてないなあ。
逆。「足りない」のはこの世の現実だから、想定する必要がなければ経済学は生まれない。
>経営学はどこにも有限なんて書いてないなあ。
有限じゃない物を効率的に利用するインセンティブは誰も持たないよ。
公害問題が台頭する以前の工場排煙なんかの事ね。空気ですらタダでも無限でもない。
ちょっと考えれば分かる事で粘る癖やめようね。相当頭悪いか必死なのかのどっちかだ。
>いや、モデルの話だろ? 経済学のモデルがそういうことを想定しているという例をくれ。
モデルがどうであっても、共産圏なんかの悲惨な実証例が山ほどある事の方がわかりやすいからさ。
モデルならワルラスモデル。市場の競争によってパレート最適が達成されるって理論。
>あと、過去レスにあるのは現実経済に対する君の勝手な解釈でしかないわけで。
新聞や歴史の教科書や日常生活や常識レベルの話だよ。否定したいなら逐一どうぞ。
>だから、トリアージは残酷なことじゃなくて経営学に大いに取り入れられるべきものだ、と言ってるわけ?
意味不明。まあトリアージは物凄くわかりやすくて便利だと思うからどんどん取り入れてもいいと思うけど。
でも普通はトリアージなんて持ち出す以前に理解していなければおかしい話なんでね、そうそう出番はないよ。
>常にリソースが欠乏しているという仮定をおかなければならない、というのは経営学のルールなの?
>経営的には赤だけど歴史ある本店だから残したい、なんてのはいくらでも現実の経営で起こってることだし、そういう想定の元に経営計画を立てるのにも経営学は使われるね。
それは単なる資源制約として処理される。あくまで企業は利益を追い求めるのみ。
あとそれって「かわいそうな」百貨店を生かすのとは別の問題だよ。行政や政治の問題じゃないから。
>以降、明らかに経営学じゃなくて、君の原理主義的資本主義の主張でしかないよな。
>百貨店がつぶれるのがかわいそう、という論理を女のたわごとと切って捨てたのは誰だったかね?
知らない。経営学の授業という事を考えれば誰もが戯言だと思うはずだけど。
>証明しなければならないのはどっちなのかは明白だよなあ。
もちろんトリアージが経営学の例示として使えないという論証ね。
短期的にも長期的にもトリアージ的な発想が資源の効率的配分をもたらし、
「かわいそう」を減らすリソースを生む事は散々論証例示済み。
>鏡をみよう。すごく見苦しいよ君は。
別にこちらはいくら見苦しくても構わないんだけど、一応ググれば一発でわかる
Wikipediaの記述をわざわざコピペしてあげたりしてるんだけどね。
まあ少なくとも君が、新書レベルの知識もなしに人様に突っかかってるのは明らかでしょ。
そしてこちらがいくら見苦しくても、件の粘着サヨクの皆さんの醜悪さは
ほぼ一般的に通用する認識だと思うね。
>週末にも働かないと利益をサイダイカできないじゃないかwww
きっと企業と労働者の行動原理を勘違いしているから、たとえば自発的・非自発的失業の項を調べる事をおすすめ。
>当の先生ですら撤退してるのにいつまで負けた議論を蒸し返し続けるのだか。
あれは個人的に私淑している相手に説教されたからじゃないの?
ブコメ見てもトリアージの例の教育的効果自体は物凄くはっきりしているよ。
出来の悪い生徒には多少の摩擦を恐れずにわからせてやる方が良い先生だと思うけどね。
静電気を貯めやすい繊維はあるから、意外と簡単に開発できるかもしれん。
ナノテクノロジーが進展すれば、ジェットエンジン水着とかロケットエンジンシューズだって開発できるんじゃないか?
サプリメントも薬物ギリギリのやつも出て来るだろうね。
さらには人体改造も……
ソフト・オン・デマンドは2016年東京オリンピックの公式スポンサーです。
ここで話題になってるのは、本気じゃなく適当にやってたやつだろ?
ぶっちゃけどっちでもいいよ
特に営業職では
リア充をどんなに見下そうとしても、数字には引き下がるしかない
タモリの弔辞、そんなにすごいか?
なにがどうすごい?
「才能を見いだしてくれた大の恩人に捧げる弔辞」としては、どう考えても芸能界古今無双の弔辞はこれだろう。
http://jp.youtube.com/watch?v=LR_xzF5CTaY
おまえら、「話芸を生業にする者のすごさ」を噛み締めろ。
経済学はまあ納得。でも、あらかじめ「足りない」ことを想定はしてないなあ。
経営学はどこにも有限なんて書いてないなあ。
しないよ。以降
いや、モデルの話だろ? 経済学のモデルがそういうことを想定しているという例をくれ。
あと、過去レスにあるのは現実経済に対する君の勝手な解釈でしかないわけで。
分かってないな、この世は全部トリアージ的な物なの。
誰もが常に何かの選択肢を切り捨てて(or無視して)何かを選択している。
だから、トリアージは残酷なことじゃなくて経営学に大いに取り入れられるべきものだ、と言ってるわけ?
常にリソースが欠乏しているという仮定をおかなければならない、というのは経営学のルールなの?
それは嘘だな。明確に現実に反する。
経営的には赤だけど歴史ある本店だから残したい、なんてのはいくらでも現実の経営で起こってることだし、そういう想定の元に経営計画を立てるのにも経営学は使われるね。
自動車のリコール費用が、リコール対象車の数x似たケースの平均賠償額を仮に上回っていたとしても、それでもリコールするべきだ、という判断は経営としてありうるよ。君の中ではありえないのかもしれないが。
以降、明らかに経営学じゃなくて、君の原理主義的資本主義の主張でしかないよな。
負けに気づいたからって逃げるなよw
百貨店がつぶれるのがかわいそう、という論理を女のたわごとと切って捨てたのは誰だったかね?
証明しなければならないのはどっちなのかは明白だよなあ。
なんないなんない。こちらは(あそこまでは)見苦しい行動なんかしてないし非難する事が目的じゃないから。
鏡をみよう。すごく見苦しいよ君は。
週末なんだからその辺の条件はもっと緩いよね。何より壊れたレコード状態の人が現にいるわけだし。
週末にも働かないと利益をサイダイカできないじゃないかwww
つか、壊れたレコードってお前のことだろw
当の先生ですら撤退してるのにいつまで負けた議論を蒸し返し続けるのだか。
忘れてしまいました
わかる人アドレス教えてください…!
・箇条書きでlifehack人生の糧的なやつを数十個書き連ねてある
・「失敗したら『失敗しちった』と声に出して言おう」
・「次また頑張ればいい」
お願いします。
コミケはオタクが行くものだと決め付けているのかもしれないけど、
手作りアクセサリーや編みぐるみなんかを売ってる人だっているので
あんまり決め付けてほしくないなあー。
コミケに行くような奴はろくでもないと思う。
スポーツ新聞を買う奴はろくでもないと思う。
野球中継で盛り上がるような奴はろくでもないと思う。
政治家は皆バカだと言う奴は何も考えていないと思う。
ま、完全に必死モードだというのはよく分かった。
>別にちょろっと引用するくらい手間じゃないでしょ、引用してみてよ。あるんならさw
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B5%8C%E6%B8%88%E5%AD%A6
経済学(けいざいがく)とは、この世において有限な資源から、いかに価値を生産し分配していくかを研究する学問のことである。
しないよ。免疫力も無限だから。さらに自己免疫反応の可能性も無限に低い=ゼロ。
加工も輸送も瞬時。生存コストもゼロだから給料を払う必要がない。何ならロボットでもいいしね。
無限というのは文字通りあらゆる物が無限なわけ。この仮定のもの凄さはよく分かってもらえたかな?
主張というより実証の問題だね。そこは過去レスにいくらでも例があるから調べてみてね。
>当たり前の話だけど、トリアージなんてしなくてすむならしないほうが絶対いいわけだが。災害・事故対策や、十分な救急リソースの準備が間に合ってれば、やらずにすむわけで。
分かってないな、この世は全部トリアージ的な物なの。誰もが常に何かの選択肢を切り捨てて(or無視して)何かを選択している。
個人個人の選好に応じてね。それを最もクリアに例示できるのがトリアージというだけ。リソース無限の仮定の馬鹿らしさと
場違いさは繰り返さないよ。資源が欠乏しているという前提から考える事が必要。
>で、君の考える利益の計算には、「百貨店がかわいそうだからなんとか残しましょう」というものは入ってないということだな。
いや、誰それの考えじゃなくて個々の企業の頭には利益の最大化しかないっていう、単なる現実だよ。
「かわいそう」の論理では、長期的に誰もが「かわいそう」になるという例は誰もがいくらでも思いつくから省きたいな。
まあ多少脱線して、行政の介入でみんなを生かせばどうなるかという例を考えてもいいよ。
たとえばかつての銀行の護送船団方式。これは最も弱い金融機関が維持可能なように、金利やサービスなどを
行政が細かく規制する事で達成されてきた。そしてこれは同時に最も競争力のある金融機関=強者が凄まじい
超過利潤を得る事を可能にしたが、その超過利潤は結局サービスの受益者である預金者や融資先の企業の負担だったんだね。
「かわいそう」の論理は「かわいそう」を他に転嫁しているだけだし、実は弱者でも何でもない連中に
援助の手をさしのべているだけかも知れない。そして社会全体のリソースの量はそうでなかった場合よりも下がる。
>百貨店を潰さないことを前提に考える経営学はありうるの? ありえないの?
逆だって。「百貨店を潰す論理=トリアージ」が経営学にとって許されないとそちらが論証する必要があるの。
何度も言うけど、有限な資源の下では、それを最も効率的に運用出来る人間に資源を集めるのが、
短期的には勿論長期的にも結局は社会の為になる。こと企業間の競争であればね。
>すっげえブーメランw
なんないなんない。こちらは(あそこまでは)見苦しい行動なんかしてないし非難する事が目的じゃないから。
本当に「あたまがわるい」人なのかな?率直な感想でいいんだよ。手近な身内に見せてもおk。
>そうかあ、相手が半日仕事したり飯くったりしてたら君に反論できなかったことになるのかあ。
週末なんだからその辺の条件はもっと緩いよね。何より壊れたレコード状態の人が現にいるわけだし。
適当じゃなく、本気でやってたんなら、それでいいんでないの?
ここで話題になってるのは、本気じゃなく適当にやってたやつだろ?
日本語教育、そろそろやばいんじゃないか?
ごめんなさい、さっき頭に血が上ってたけど
あなたの推測で言っている話でその自覚があるなら
日本人的感性だとは思わないけど議論と喧嘩を同一視する人がいるのは
確かに同意です。
ただ私は、それは日本人の性格的な問題ではなく
自分とは全然違う人の意見を聞く機会が少ないんだろうなーと思っています。
だから「推測」であって言いきってなんかいないよ。
どこにでもいるような気がするんだけどな。
これだって推測にすぎないし、むしろあまり根拠のないただのイメージな気がするけどね。
日本でそういう人を見かけたとしても、外国でも同じくらいの経験がないなら、日本で多いとはいえないんじゃないかと。ちなみに自分はそういうのにはほぼ出会わないから到底信じられないんだよね。
確かにね。あといっぽうでどう見ても罵り合いの喧嘩を議論と呼ぶ人もいるよね。
ところで私は外国に行った事ないからわかんないけど
今回のケースも含めて、ネットでも実社会でもそういうことを言う人に
何度も会ってきたから、日本人の中にはそういうタイプが多いんじゃないかと
推測してるわけですよ
この状態って、議論と喧嘩を同一視するのは日本人的感性だと言い切ることができる材料なのかな。
どこにでもいるような気がするんだけどな。
主張の批判と人格批判を区別できるということ自体がまやかしなのでは?
何かの主張には当然何らかの価値観に基づいて行われてるわけだし、その価値観というのは主張する人の人格に基づいたものでもあるはず。
何かの主張を批判するということはその主張の背景にある価値観をも批判することになるわけでそれが人格批判とどう区別がつくのやら。
事実確認以外の議論じゃどうやっても自分の価値観は他人の価値観よりすぐれてるということになるはず。まあ事実確認の議論でも対立が起きるということはどちらかがあるいは両方が間違ってるということになるわけで、どっちかが知識で劣ってるということにはなったりするけれど。