引用部後者は意味不明なので前者について述べる。そういう疑問を提示するのは悪くはないが、君の疑問が正しいとすると君は「女は知的職業を指向しない」というのが自然なことであると主張することになるが、それでよいのだな?
それは自然の定義によるだろ。屁理屈が嫌いならあいまいな定義で議論を進めようとしないほうがいいはずだよな?
スカートをはく比率は女のほうが高い事は君の「自然」の定義に含まれるのかどうかはっきりさせてくれ。それと自然な事と政府が是正すべきこととに関連があるかどうかも明確にしないとだめなはず。
それと後者について補足しておくと、自分が苦手な分野のことをやりたいと思いにくいのはよくあることであり、好き嫌いもまた遺伝や生育環境等の影響を受けて偏りが出てくるのもよくあること、そしてそういうのが原因で特定の行動をしない人の比率が性別や年齢や地域や家庭環境によって偏りが出てくることがあるのは理解できるはず。これって政府とか他人が思想改造しなきゃだめかな?
なぜナチスを阻止できなかったのか - マルチン・ニーメラー牧師の告白 -
ナチスが共産主義者を攻撃したとき、自分はすこし不安であったが、とにかく自分は共産主義者でなかった。だからなにも行動にでなかった。
次にナチスは社会主義者を攻撃した。自分はさらに不安を感じたが、社会主義者でなかったから何も行動にでなかった。
それからナチスは学校、新聞、ユダヤ人等をどんどん攻撃し、自分はそのたびにいつも不安をましたが、それでもなお行動にでることはなかった。
まあ真っ当な道って考えるなら、一度別れて思う存分女遊びしたら?
例のサバイバルナイフの件のブックマークで
http://sankei.jp.msn.com/affairs/crime/080609/crm0806091156014-n1.htm
http://b.hatena.ne.jp/entry/http://sankei.jp.msn.com/affairs/crime/080609/crm0806091156014-n1.htm
正直サバイバルナイフが規制されても困らないからどうでもいい。
というコメントがあったので。
ひところ児童ポルノ規制の話題が盛り上がった時も、「(児童)ポルノなんか興味が無いから困らないしどうでもいい、規制するんならすれば?」みたいな意見を見かけた。
捕鯨問題で例えれば「オレは鯨を食いたいとは思わないし好きでもないから反捕鯨運動とかどうでもいい、捕鯨禁止にするんならすれば?」みたいなもんで。
やっぱり自分にあんまり関わりなくても、知ってしまった以上、筋の通らないものは「どうでもいい」じゃなくてちゃんと考えていかなきゃ世の中がどんどん窮屈になるんじゃないかな。(もちろん考えた上で筋が通ってると思う人は規制に賛成すればいいんだけど)
したり顔で語る文化人
しかめ面で批判するコメンテーター
オタクが叩かれ、サバイバルナイフが規制され、レンタカーを借りる手順を複雑にしたところで
いったい何が解決できるのか、何も言及していないし解決してないのは目に見えてる
その人たちの観点は個人レベルの感想から、状況の詳細まとめ、ある側面からの専門的考察と多岐にわたっている
ネットにコミットしてる僕らはもう、マスコミから「与えられる」意見、視点、結論を欲してはいない
まして、恣意的情報操作による事実の歪曲や、特定のステークホルダーに向けられた媚び・へつらい・情報隠蔽には辟易している
僕らは今、ネットに接続された個々人の意見を集約させ、一人格として実社会に実際の影響を及ぼすための仕組みを持つべきじゃないだろうか
もちろん「ネットに接続された」という特徴だけではなんの共通点も持たないに等しい
そこでの意思統一には一つのプロセスが必要だろう
ただ、そのプロセスは、ネット上でのひとつのサイトとして、システムとして、利用者に可視化されている
会議室や密室で、特定少数が自分たちの利権のために行う意思決定ではなく、本当に多くの人たちが意見を表明し、否定意見、少数意見も吟味したうえで、統一的な意見をきちっと実社会に表明するシステムにする
みんなで考えた意見なら、それくらいの賢慮を出せるでしょ?
これ、やろうよ
もう掲示板で愚痴ってるのは止めよう、誰に向けたモノでもないブログで頭いいふりするのも止めよう
自分の意見を社会にぶつけて、同士を募って、反対意見と戦って、真剣に納得いく社会運営が出来るシステムをみんなで作ろう
そして、無差別殺人やワープアや少子高齢化や年金問題や移民や食料問題、原油高、高齢者医療などなど
全部自分たちの納得いくコントロール方法、回答を見つけよう
今こそネットの叡智を集結して、すべての問題を解決する時だ
夏コミとか冬コミとかで、もし似たようなことが起こったらどうなるんだろう。
コミケに限らず、人が集まるイベントは他にもいっぱいあるけど、マスコミが目をつけている
オタク系イベントは、当然愉快犯も狙ってくる可能性が高いってことだから、正直いって、
ここ数年ものすごく危険度が高まってるってことだよね。
自分たちで出来る危機管理って、何かあるんだろうか?
今すぐ思いつくことは、運動不足を解消して、とっさのときの逃げ足を養っておくことくらいだ。
つくづく怖い世の中だと思う。
こないだコスプレ関係の催し物が通報1つで中止になった、って話があったけど、この事件を見たら、
細かな事情なんて分からない人が一緒くたに一言もの申したくなるのも分かる気がする。
オタクとしては、そんなの八つ当たりの対象じゃないか、とも思うんだけど、もしかしたら今、
オタクは公務員叩きの次くらいに世間の悪意を向けられうる存在になってるんじゃないか?
そんな危うさを感じる。
それだけでは因果関係までは説明できないことは言うまでもないし、機会格差が主たる原因であるかは、わからないではないか。
ためにする議論だな。他に要因として合理的に想定できるものを挙げてからそういうことは言ってくれ。
http://anond.hatelabo.jp/20080608093208#tb
上記の議論はようするに、Aさんは 格差と社会を結びついていると思い込んだ
Bさんはそうとは限らない。ほかの可能性もある、といった。
Aさんはそれに対し、格差の原因が社会以外にあると立証しろ、
そうでなければ機会の格差は社会的要因に起因すると推定してよい、といった。
要するに、Bさんは自分の思い込みの立証責任をほかに押し付けているだけじゃないのかな。
議論の構造がとらえきれなかったかもしらないがこうみえた。
30になるまで彼女が居たことがなかった。
つまり30まで童貞だった。
こんな俺を拾ってくれたなんて、変な女だと思ってたり、感謝してたり。
でも彼女は俺と付き合う前にも別の男と付き合ってたことがあるんだよな。そりゃ当たり前だよね。普通の人が普通に暮らしてれば異性と付き合って、別れてなんていう経験は2度や3度あるのが普通だろ。
でも俺は無かった。
俺は今の彼女しか女を知らなくて、彼女は俺以外にも男を知ってる。
なんなんだなんなんだ。何か不均衡だ。
不均衡だとかいったって、そういう方面の努力をしてこなかったんだから当然の報いだっていうのは分かるんだ。それに0から1にしてくれたのも彼女な訳で、そんなところで文句いってどーするとも思う。いや、寧ろお前は文句付けられる身かと。寧ろ俺は自分自身に猛省を促したい。何を30年間無駄に過ごしてきたんだと。その間にお前以外の男や女はせっせとコミュニケーション能力に磨きを掛けて、自分とあう異性を探す遠大なる旅に出ていたのだろうと。お前は一体どこに引き篭っていたんだと。
と、ここでこの話が終わってたら、良かったねで終わるんだけど、そうは問屋が卸さない。
彼女とは結婚したいと思ってるんだけど、何だか今のままのモヤモヤを抱えたままだと、将来確実に浮気する気がするんだ。
俺も色んな女と付き合ってみて、世の中にはどういう女が居て、どういうのが一般的でっていうのを知りたい。あとおセックスの感触とかも。というか主にそっちがメインなんだが。とかいうのはこの際置いておく。
そう、だから、そういう風に他の女についての好奇心があるから、今のまま彼女と結婚しても、今は良くても将来的に他の女とつきあっちゃったりするかもしれないと思うんだ。
恐らくなんだけど、そこそこの人数と付き合ってきて、その中で今の彼女と付き合って、それが一番良かったから結婚するというのならそういうことは無いと思う。でも、今の彼女しか知らないで、他に女が居ても知りませんで結婚しても絶対駄目な気がするんだ。それは自分で自分を抑制すれば出来るかもねっていうかもしれないけど、そんなにうまくなんていく訳が無い。大体世の中そういうアクシデントは魔が差して起こるものなのだから。だから今の状態のまま、魔が差す隙が沢山ある状態ではいけない気がする。
だからといって今の彼女と別れるなんて不誠実過ぎて出来ない。
どうしようどうしようと思うんだけど、どうにもならないなあ。
それにしてもなんで俺は普通の人が普通にするようなことを普通に出来なかったんだろう。
自分で興味が無かったのか、周りがそうさせなかったのか。
うん。昔は、デブで、オタで、それはもうキモかったんだ。だから俺の周りに女なんて寄ってこなかったし、女と話してるのを男が見ておちょくるみたいなこともあったんだ。だから、もう出来なかった。諦めてた。そういうことは。
なのだけれど、脱オタして、そこそこ女とも口がきけるようになって、彼女と付き合うようになった。
だから、周りが俺をそういう社会に参加させなかったというのもある。
でもそんな周りのせいにしても始まらないし、そもそもそういう競争に参加しているという意識が足りなさ過ぎたのも今になったら良く分かるんだ。でもそれって余りにもヒドすぎないか?俺どんだけ回り道してんだよ。おかげでもう後に戻れねーじゃねーかよと思うと、世の中で起こる凄惨な事件の加害者にいつ自分がなるか分からないくらい頭がグチャグチャする。もう人間なんて嫌いだぜって。
そして、じゃあ今の彼女はどうなんのってことだけど、今の彼女はとても好きなので、幸せになって欲しい。幸せにしたい。と思ってる。
その一方で、自分のこれまでを振り返ったときに愕然とするというのがあって、今はその後者の方の話をしています。二つは互いに何の関係もありません。
んで、どうやって解決するかって、俺がそういうのを忘れるように努力するのか、やっぱ今の彼女と別れるしか無いのかなあ。でも前者の方だと将来に過古今を残す気がするし、後者の方だと彼女に失礼すぎる。どうにかならないもんか。どうにもならない。
せめて俺も普通に恋愛して、普通に別れて、また出会って、そのうち結婚するとかいう恋愛キャリアパスを歩みたかった。そういうことで若い人達はしんどいだろうけど、後悔したくなかったら頑張ってみたら良いんじゃないかな。俺みたいにとうが立ってくると色々と身動きがとり辛くなってくるから。
「死なないから生きているだけ」だったかな。この部分には共感できる。
東浩紀さんが良いこと言った。「この社会に自分がいて良かったとおもえない、屈辱感を与える社会になってきている。治安対策よりもそのことをもっと考えた方が良い」
隣の職場に初老の派遣の人が入ってきて、その人は今日色々とレクチャーしてもらってた時に、なんか衝突してたらしい。以下、色々と書きたかったんだけど、うまくまとまらないんでこれだけ書いて終わりにしようっと。
なにもわかってない。俺は別に「理論上の手段」なんて主張してない。「そこには社会問題が存在するのであって、自己責任の名のもとに頭から切り捨てるのは不当だ」と言っている。要は、君がここやここでやっているような安易な自己責任論と相対化で問題の所在をぼかすようなことはやめろと言っているだけだ。そこから先の話は今回の話題ではない。
ところが君は、自己責任論はなかったかのように「そこから先」の話題ばかりを語っている。これはもはや論題と何の関係もないことだ。
「ないのであれば」と主張しているのは君であるが、なぜ「ない」と考えるに到ったかを示されていない。
揚げ足取りもいい加減にしろ。あると考える理由があるように思えないからだ。というとまた「なぜ思ったのか」と「なぜ」「なぜ」の無限後退で来るんだろう。そりゃ論争に絶対勝てますわな。だから、「あるなら挙げてみてくれ、ないならこの点については争点なしということでよいのだな」と確認を求めているわけで、君はそれに真面目に答えていないということだ。
例えば学歴に男女差があると言われるが、脳の仕組みとして男女差がある、という内在的な理由も考えられるが、
だからそういう論点があれば最初から出せといっていたわけだ。つまり「女は学問に向いていない」と主張したいということだな。まあそれならそれでよしとしよう。だとすれば次の質問だが、都市が地方に比べて高学歴であるのはなぜか?このように、「機会の平等が実現されていない」ことの傍証はいくらでも出てくるが、一方でそれに対して網羅的な反論をすることは君はできないだろう。できるとしても「女は学問に向いていない」のようなアドホックな仮定を積み重ねるしかないわけだ。従ってこの点についてはどう考えても君の方が分が悪いと思うが、どうかね。
何処の作品なのかは失念してしまったが、ジャズアレンジが結構面白かった気がする
オリジナルだと、ゲーム音楽ということもありどうしても音がとがってる感じがするけど、オーケストラアレンジとかちょっとやわらかい感じのアレンジは、耳に優しいからBGMとして重宝してる。
偶然を"なんらかの形で理由づけしたい欲望"
まあここでの偶然が不運だったりすると、そういう不運に遭っていない人達にとっては、その人らにはそうなって当然の「何か」があった、その「何か」を持っていない自分達は安全だと思いたいものなんだろう。そして不運が深刻なほど不運は忌避され、より強力に理由付けのメカニズムが働き、その不運を受けた者は救われない。
でも最初の増田が言うように「ずっと不条理なことの連続」だったら、不安でいられないんだろうな、人間って奴は。
ふと思ったんだけど、上のメカニズムは、不運を受けた本人が生きている間は強く働くけど、本人が死ぬとリセットされるな。どうしてだろう。ここに、偶然を"なんらかの形で理由づけしたい欲望"を回避するヒントがないかな。
アレンジされ尽くされまくってるが故に、純粋に「ネタ化」してしまってる部分はあると思う。
東方バブル以前は猫も杓子も同人音屋ならみんなラスト・リグレッツや鳥の詩のアレンジを作ってみていたように、
自分の編曲の力量を表現する基準値としての東方アレンジ、という理由はあるんだろうなと思う。
で、まあこれ言うと野暮だけど編曲は作曲に比べてセンスよりも知識や技術力でどうにかなる部分が大きいから、
オリジナルで一発当てるよりも色んな意味でやり易い。しかも超売れる。だからみんなやりたくなる。
ただ、自分は東方の音楽というかZUN氏の音楽ってあんまりアレンジ向きの音楽じゃないと思うんだよなー。
ラスリグなんかは確かに素材として抜群だったけど、東方のはオリジナルが既に完成している気がする。
だから東方メタルアレンジとかダンスアレンジとか、蛇に足とか羽つけてる感じでイマイチピンとこない。
そんな私に「これ聴いたらそんな考え方変わるから聴いてみ」ってのがあったら教えて。なるべく聴く(聴きたい)から。
知ってる曲を他人がどう解釈してるかに興味があるから。(そしていろいろな音楽を聴くほど関心が広くないから最近聞いたものの周辺に絞り込まれてゆく)
そんな人が不快になるようなことばっかりしておいて、今更「ケンカ腰じゃない」っていわれても、何の信憑性もないよ。ケンカ腰じゃないつもりならとりあえず口調でも変えてみたらどうよ?「○○でしょ?○○でしょ?」っていう、問い詰めるような言い方が君は多すぎる。そういう口調はクローズドクエスチョン……とはちょっと違うけど、似たようなニュアンスで相手は不快感を抱きやすいんだよ。
「でしょ」という語尾をけんか腰で不快ととららえる人には今まで出会ったこともない。普通は敬語的なものととららえると思うんだけど。それなのに吹き上がってるとかけんか腰と決め付けられたら怒りを通り越して呆れ返る。こっちからするとそっちがあえて悪いほう悪いほうに受け取ろうとしてるように見えるが。しかもレベルの低い話題で盛り上がってると思いつつ、それを啓蒙するわけでもなく、見るのをやめるわけでもないなら、見下すために見てるのかなと思ってしまった。