http://anond.hatelabo.jp/20070318185732
自分の夫がそう言っていて、義父母も別居が当然と考えていたので、結婚当初驚いた。現在も両親の家と同じ市内在住。彼は独身時代から会社に近い場所に別居している。単に利便性の問題なのかと思っていたが、独立していないと恥ずかしいと考えるそうだ。
私の育ったあたりでは、というよりうちの職場だけかもしれないが、こういう形で別居している人はむしろ「親不孝だ」「長男なのに」「無駄遣い」と陰口を叩かれていた。
http://anond.hatelabo.jp/20070318175250
どなたか知らないが、感謝する。
人類の発展性において、全く現時点は立ち止まるような状態ではないと思う。そのレベルたるや、ゲームで例えるならば可能性がLv100くらいとしたら現在Lv3くらいではなかろうか。でも社会的な雰囲気はすでにLv70を超えて、そろそろ飽きてきたかなという倦怠的な雰囲気すら感じる。
そもそも欲望というものは、外界の環境に対して生きる方向に最適化された内的なエネルギーのベクトルなのだが、今の現状は、それを満たすだけのフィードバックが現実以外で簡単に手に入れることが出来る。それは、まだ欲望フィードバックシステムを作りきっていない子供にどういうように作用するかは明らかだ。
環境が全ての欲求を満たしてしまえば、欲望を持つ必要が無くなる。つまり、満たされたという偽りのフィードバックで満足してしまい、それ以上手を出そうとしなくなるはずだ。それが今の日本の現状。
衣食住とあらかた欲望は埋まってしまっている。飢えることに飢えている状態だ。「本当に欲しいもの」が欲しい、欲しいものを探しているなどの言を高校生??大学生などが言うが、あれは欲しいものが無いのではなく、飢えたことが無いのだ。渇望とかギラギラした欲望が無いのだ。それは、本当に飢えないと手に入らない。でも、安定は崩したくない。だから、何時までたっても手に入らない。
衣食住という基本的な欲求だと、もう満たしてしまった。なので、次の欲求にフォーカスする必要が有るのだろう。限界が無く、生産的なもの。自分の知りうる限り知識欲と創作欲くらいしか、思い浮かばない。知識欲を飢えさせるのはどうすればいいんだろう。創作欲を渇望させるにはどうすればいいんだろう。
日本は、偽快感レスポンスを作るのが一番うまい国だと思う。うまく利用すれば他国を骨抜きに出来るが(そんなことしてもというのは別として)、自家中毒になってる状態だ。うまく次のレベルのフィードバックシステムを作れればいいのだが・・・。
http://anond.hatelabo.jp/20070318042507
やっぱりこういう女の子も居るんだね。
おれはその男版だよ。
一度だけ告白はされたことあるけど、彼女できたことない。。
あと半年ぐらいで成人だよ。
おれもそんな感じで声かけてくれなかった女子いたらしい。ってほんと卒業後に聞かされるのはなんでだよ!
おれが誰にも行かなかったっていう消極的な部分も駄目だったんだろうな。
そんなんで、もう一生できない気がしてくるんだよね。あきらめた方が傷つくことも少ないかもって。
でも、そんなん人生1回だし、つまんねぇよ。それでも、どうすりゃいいかよくわからんよね。
街行く人に声をかけたら、一体何人が私みたいな女と付き合ってくれるだろう。
って一回やってみたいような。
千人に一人ぐらい友達からでもみたいな人も居てくれそうだという考えもあるんだよね。
ちょっとうぬぼれか。まぁ怖くてやらないからわからないけど。自分ならそんな軽い人お断りだし。
おれみたいな男の数だけそういう女の子も居るのかな。
ただ、そういうのは
女:男=1:3ぐらいな気がするんだよね。
実は恋愛に消極的な男の方が多そう。
女の子は恋愛頑張っててもかわいいけど、男が頑張っていろいろしてるのってやっぱ見えると恥ずかしいし、イタイ。
とにかく自分からっていう意識がないと何も起こらんよね。
相当な美男美女じゃないと待ってるうちは結局何にもない!・・・多分。
Bonanza - The Computer Shogi Program
1949年にコンピュータチェスに関する画期的な論文「チェスのためのコンピュータプログラミング」[6]を発表し、力ずくの総当たりでなくコンピュータがチェスをする方法を示した。コンピュータがどの駒をどう移動するかを決定するのにシャノンが用いた方法が、評価関数に基づいたミニマックス法だった。評価関数は、駒の価値や、駒の位置の価値、移動の価値などをすべて数値化して「局面」の価値を評価するものであり、シャノンはその後のゲーム展開を探索木に分類してどの着手がもっとも良いかを探索する方法について考察している。この論文はコンピュータゲームでのコンピュータの思考プログラム設計の原典となった。
大学によっても全然違うのに、何で入ったほうが良いといいえるんだろ。居心地よさそうなところがあるとも限らないし。あなたが大学で良い青春だったとしても他の日と襲うできるわけでもない。
見てみることも、体験してみることもせずに「あるとは限らない」からって可能性を潰せと?
居心地よさそうなところがなかったらどこにも入らなければいいだけの話。入学してからの数ヶ月を、サークルめぐりに費やすことは反対すべきことですか? なぜ? 時間がもったいない? その惜しんだ時間を何に費やせば、もったいなくないのですか?
友だちを作ったり面白い人と知り合ってみたいなら、黙って教室の片隅で本を読んで誰かが話しかけてきてくれるのを待ったり、空から女の子が降ってくるのを待つよよりも、自分で動いたほうが良いと私は思う。襲うのはよくない。
一人暮らしだって親に負担かけすぎでしょ。自分で稼ぐとしても大変。親に養われてるうちは実家のほうがいい。自分で稼ぐようになってから一人ぐらしすべき。
そう思う人は稼ぐようになってから一人で暮らせばいい。あくまで「できるなら一人で暮らしてみるといい。」と言っている。
ただ、時間があって、お金はなくて、でも生まれて初めて全ての時間と生活を自分でコントロールできるという快感がある、という開放感みたいなものは、家と会社を往復するだけで精一杯になる社会人一年目でする一人暮らしにはないかもしれないよね。
もちろん、社会人一年目が必ずしもそうなるとは限らないし、大学生の一人暮らしが必ずしも思い描くような素敵なものとは限らない。
親の経済事情を考えたらとてもそんなことは言えないってこともあるだろう。だから「できるなら」「してみるといい」。
学費を親に負担してもらっているのにこの上「一人で暮らしてみたい」というワガママのためにさらに負担をかけるのか?と思うことは自由だし、立派なことだとも思うけれども、大学時代を遥か昔と思い出す社会人の今、親のスネをかじれる間は堂々とかじってもなんら恥じることはないよ、と、新大学生に言いたい。まだ10代だろう? 立派じゃなくていいよ。
高い学費払ってもらってるのに、全然授業に出ないで部屋で一人鬱々と膝を抱えていることになってもいい。
生活費が足りないからと毎月親にせびってそのお金で女の子とデートしててもいい。
ただ、大学を卒業して働くようになって、自分が大人になって親が年老いたら、しっかりとその時の恩を返せばいい。
もちろん、そのときまで親が健在であってくれるかどうかはわからないということは念頭に置くんだよ。
後悔のない日々を。
料理して家族と食べて、歩いて散歩に行って、夕飯のお買い物して帰ってきただけで何もなかったけど、本当に楽しい日だった。いつもこんな風に上機嫌に過ごしたいと思う。たとえ不幸な日にも。
不機嫌でいることは自分や自分の人生や精神や周りの人や生活のすべてを少しずつだめにしてしまうような気がする。
モーツァルトをとても尊敬している理由のひとつに、いつも上機嫌だったっていうのがある。(もちろんあんなに美しくて神々しい音楽を作ったということもそうだけど)
吉田秀和の『モーツァルトの手紙』を読むとわかるけど、モーツァルトはいつも上機嫌だった。モーツァルトは傍からみて必ずしもいつも幸せだったというわけじゃないのに。お金がなくて借金を重ねて、スポンサーに意地悪されて、バカにされたりしても、それでもいつも上機嫌で、仕事をして、しかも家族を愛して、そう手紙に書いた。
バカで子どもみたいで、金づるを得るために賢い振る舞いができなかったかもしれないけれど、私はそうできる人よりも、どんなに優れた人よりも、いつも上機嫌だったモーツァルトというのがとても好きだ。
上機嫌でいること、自分を愛すること、人生を愛すること、家族や身の回りの人を愛すること、そういうことがとても大事だということは、それを読んでもわかるけど、モーツァルトの音楽を聴くと一瞬でわかる気がする。
モーツァルトというと、初心者の音楽だ、とか、オンナコドモの趣味だ、とか言ってしまう人は、本当にかわいそう(実際私は、初心者だけれども)。あの幸福感、人生の幸福感がわからないんだと思う。
上機嫌に過ごした完璧な日には、そういうのがとてもわかる気がするのだ。(もちろんそういう気分じゃない日もある)
わたしはとてもあたたかい家庭で育った。
私は家族を愛している。
私は両親に感謝している。
私の両親は仲がいい。
私の父は私に似て(逆か)偏屈だし空っぽだし人の話は聞かないくせに自分の話は聞いてもらいたがる褒めてもらいたがりの構ってちゃんでおまけにのんべえである。
そんな父は職場でも敵を作りがちである。
私はそんな『私そっくり』な父にフクザツな感情を抱かないでもないのだが、母はそんな父を愛しているようだった。
『生まれ変わっても結婚する』とかいうような事をこの前も(冗談めかして、ではあるが)言っていた。
ふたりの距離感はとても絶妙な気がする。
付かず、
離れず。
正直うらやましい。
私の母は愛にあふれた女性である。
私や父や姉だけでなく、私の友達にも、分け隔てなく接してくれる。
私が友人や彼女を連れてくると(私がちょっと恥ずかしくなるくらい)すごい勢いで喜んでおもてなしをする。
私はそういう時ちょっと嫌な顔をしてしまったりするのだが、友人達が喜んでいるのを見るとやはり感謝しなくてはいけないな、と思うのと同時に、この女性の愛の深さに感嘆するのであった。
ふと、母や父の若い頃の事を考えてみる。
母は中々に美人であるし、前述の様に器量も良い。料理もうまい。さぞモテた事であろう。
しかし私の父はそうでもない。イケメソな訳でもないし、背も高くないし、収入もそこそこだし、モテた訳ではないだろう。
この二人はどのようにして恋に落ちたのだろうか。
聞いた事無いので私は知る由もないし、聞くのも何だか恥ずかしいので暫くは謎のままだろう。
プラネテスのハチとタナベみたいな感じで結婚したんだったらちょっとショックだなぁ。と思わなくもないが、まぁ別にどうでもいいや。
とりあえず私が言いたいのは父グッジョブ、ということである。
両親は私のことを心の底から愛してくれている。
こんな偏屈だし空っぽだし人の話は聞かないくせに自分の話は聞いてもらいたがる褒めてもらいたがりの構ってちゃんな僕を。
本当にありがたいと思う。
僕も両親を愛している。
ただ、僕は両親が僕を愛してくれているほどには彼らを愛していないのだと思う。
でも、まぁ、ハタチそこそこの大学生なんてこんなもんだろうな、とも思う。
堪忍して、とーちゃんかーちゃん。
私には姉がいる。
この女は謎だ。
私は彼女についての一切を知らない。
十数年一緒に暮らしていたが未だに謎である。
と、
行動はかなり天然ではあるのだがそういった趣味の面においてはフッツーな姉
とではまあウマが合うわけもないのだが。
私は末っ子なだけに姉よりも甘やかされて育てられた(我ながら甘え上手だとも思う。多分女だったら絶対モテてるぞ俺)から、姉には色々迷惑をかけた事もあった。我侭言ったりしたし。
しかし、不思議と仲が悪いわけではない。
私達はお互いのことをあまりにも知らなすぎる。
だが、血の繋がりというのは意外にも深いのだなぁ、と思う。
何も知らなくても、やはり僕はそこそこに姉の事を愛している。
姉も僕を愛してくれていると思う。そこそこに。
これから先、私と彼女がこれ以上歩み寄ったりすることは無いと思う。
でも、やはり根っこの部分で私と彼女の人生は交わっているから、今より離れてしまうことも心配する必要はないんじゃないかな。と思う。
私は私の家族を愛している。
以前付き合っていた女の子に、君の家族は『理想』だ。素晴らしい。と言われた事があった。嬉しかった。
願わくば彼女がその一員になってくれれば良いのになとか思っていたのだが、今となってはそれは叶わぬものとなった。
彼女は僕の家を訪ねる『友人達』のくくりに戻っていった。それはそれで嬉しいことだな、と今は思う。
話が逸れたが、私は私の家族を愛している。
私自身はあまり誇るものの無い人間ではあるが、この家に産まれて良かった、と自信を持って言える事だけは確かだ。
私は他人に何も期待しません。ですから人の行動が、私の願いに反することはありません。
スワミ・スリ・ユクテスワル
浴場での出来事、つまり湯をはねかける者、押す者、罵る者、盗む者
「世俗的な名誉など屑も同然と悟ったとき、
人はいかに振る舞えばいいのか?
後世の人間の評価など、
当代の人間のそれにしかずと、
マルクス・アウレリウス同様に信じるにいたったときには?」
http://anond.hatelabo.jp/20070318120305
ああ、こういう先人もいるということが分かると頼もしい。ちょっとだけ勇気が出た。
ただ一つ違うとすると、俺は(一応理系の)大学院生で、研究も進めなきゃならずあんまり就職活動ばっかりやってる訳にも行かないってことがある。
自信過剰かもしれないが、俺も50社受ければそのうち1社ぐらいは通るだろうなーとは思っている。ただ50社も受ける精神力が続くかどうかってとこだな。
とまああれもこれも全部言い訳。
今日は履歴書を一枚書いた。完成させる前にインクをにじませたりしてて二枚書き損じた。
俺が志望している業種のはIT業関連で、ITによって業務の効率化を図るのが生業な企業。
でも選考方法は、手書きの履歴書を郵送しそれを元に顔を合わせて面接するというアナログそのもの。
この点だけは今後何十年経とうと変わることはないのかなあ。
まあ今はリクナビとかかなり便利になってるので、まだ恵まれているのだろうなあ。
有史以来、環境を改変して自分達に適したものに作り替えてきたわけで、それが精神の領域に於いても達成できたとしたら、それは大いに慶ぶべき、文明のゴールというべきことではないのだろうか。
現在の文明は持続可能と言うには程遠いほど問題が山積み。仮想世界での充足を知ることで進歩が止まることが文明の崩壊に繋がるおそれがある。美酒を味わうにはまだまだ若すぎるとは思う。中国人は賢い。
人間の欲望はそう簡単には尽きない。単純な肉体的欲求が満たされれば、より精神的なエクスタシーを求めるだろう。エロやファッション、お笑いのようなものは仮想世界内でも大いに発展すると思う。マルキ・ド・サドが幼稚に思われるような緻密で強烈なエロが生まれるかもしれない。精神文明の発展は続くだろう。
仮想世界だけで満足できるのか。仮想世界が無限の差異を作り出せたとしても、現実世界は欲望の対象であり続けるのではないか。
自然科学の研究や外宇宙の探索のような、真に外部的なものへの探究心を満たせるのは現実世界だけだ、と思う者も居るだろう。
あらゆる欲望が即座に満たされるような環境は人間精神にどのような影響を与えるだろうか。幼児退行、利己主義、心の平静、同胞への愛など、思ってもみない影響が現れるかもしれない。あるいは真の孤独と絶望を知るのかも。
60歳すぎたおっさんから電話が掛かってきたのだけど、何か言っていることがわけわからない。
30分ぐらい聞いてあげたのだけどさっぱりわからない。
わからないというか自分のところに来られてもどうしてよいかわからない。
新聞にでてたのを見たとか言うのだけど、言ってる事がさっぱり通じない。
少なくとも俺は名古屋などには住んでいない。
A企業に無視されてB企業に無視されて俺(個人商店)のところに流れ着いたらしい。
検索で電話番号がわかってしまうこの事態をなんとかしたい。商取引法のばかやろう。
検索できたということは、なんらかの形で名前が出たのだろうけど、自分の取っていない新聞になにやら書かれた場合どうしたらいいのだろうか?
図書館行けば読めるかな?
こういうのって事前了承ないの?
まったく聞いて無いのだけど。ぷんぷくぴー。