2007-03-18

上機嫌に生きること

今日天気がよくて、めずらしく上機嫌に過ごすことができた。

料理して家族と食べて、歩いて散歩に行って、夕飯のお買い物して帰ってきただけで何もなかったけど、本当に楽しい日だった。いつもこんな風に上機嫌に過ごしたいと思う。たとえ不幸な日にも。

不機嫌でいることは自分や自分の人生精神や周りの人や生活のすべてを少しずつだめにしてしまうような気がする。

モーツァルトをとても尊敬している理由のひとつに、いつも上機嫌だったっていうのがある。(もちろんあんなに美しくて神々しい音楽を作ったということもそうだけど)

吉田秀和の『モーツァルト手紙』を読むとわかるけど、モーツァルトはいつも上機嫌だった。モーツァルトは傍からみて必ずしもいつも幸せだったというわけじゃないのに。お金がなくて借金を重ねて、スポンサーに意地悪されて、バカにされたりしても、それでもいつも上機嫌で、仕事をして、しかも家族を愛して、そう手紙に書いた。

バカで子どもみたいで、金づるを得るために賢い振る舞いができなかったかもしれないけれど、私はそうできる人よりも、どんなに優れた人よりも、いつも上機嫌だったモーツァルトというのがとても好きだ。

上機嫌でいること、自分を愛すること、人生を愛すること、家族身の回りの人を愛すること、そういうことがとても大事だということは、それを読んでもわかるけど、モーツァルト音楽を聴くと一瞬でわかる気がする。

モーツァルトというと、初心者音楽だ、とか、オンナコドモの趣味だ、とか言ってしまう人は、本当にかわいそう(実際私は、初心者だけれども)。あの幸福感、人生幸福感がわからないんだと思う。

上機嫌に過ごした完璧な日には、そういうのがとてもわかる気がするのだ。(もちろんそういう気分じゃない日もある)

  • anond:20070318190023 自分も先日上機嫌の作法を読んで、そうか自分に足りなかったのは上機嫌さだったんだ、って気づかされた。 やっぱ、日頃から上機嫌でいて、周りの人にいい影響を与え...

  • http://anond.hatelabo.jp/20070318190023 http://anond.hatelabo.jp/20070318191435 なるほど。 「誰かが引き上げてくれるのを待つ」のではなくて、「とりあえずでもいいから、自身を引き上げる」ってこと...

記事への反応(ブックマークコメント)

ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん