■@nifty:デイリーポータルZ:カップル会話リスニング '06 渋谷
http://portal.nifty.com/2007/01/03/a/
より。
男性「はい」
男性「………」
女性「それで、メールで『何が欲しい?』って訊いてきたから、ホッケ送ってきて、って書いたら、本当にホッケ送ってきて……」
女性「だって、イヤミだったんです」
男性「イヤミだったら、カニとか、高いものにすればいいじゃないですか」
女性「私なんかホッケでいい、ホッケクラスの女だ、っていうことを伝えたかったんです」
男性「わかりにくいと思います」
男性「……(不倫を)もうやめちゃったらいいんじゃないですか?」
女性「……」
男性「このままだったら、永遠にイブとか、一緒とかっで無理でしょ」
女性「……」
男性「ていうか、俺がバカっぽい」
女性「……ごめんなさい」
男性「……話変わりますけど、落ち込んでるときって、あったかいもの、食べたほうがいいらしいですよ」
女性「はい」
女性「そうかも」
男性「味噌汁とか、豚汁とか、俺、作るんですけど、汁物食うとかなり、気分アガリますよ」
女性「……」
男と女が理解し合えないことがよく分かる。
僕はテレビを見ない人間だ。ブラウン管テレビはホコリ置き場になっていた。邪魔なので捨てたら、一人きりの年越しはとっても寂しかった。TVも人間もいない年越しは寂しい、というか虚しい。孤独で死にそうだった僕は、ラジオで紅白を聴いていた。
ラジオで聴く紅白は、ラジオで聴くワールドカップサッカーと同じくらいわけがわからなかった。何が起こってるのかさっぱりわからない。野球と競馬ならわかるけど。それで、『犬神家の一族』を文庫本で読みながら聴いていたら、DJ OZMAという名前がコールされた。
このDJ OZMA、僕が先日「何その人? 芸人?」と知人に言ったら散々馬鹿にされた(m9(^Д^)プギャー)、少々恨みがましい存在だった。初めて
耳にした時は、DJ あづま(納豆メーカー)の聞き間違いだと思ったくらいだ。その知人は、DJ OZMAを知らない僕を馬鹿にはしたけれど、結局DJ OZMAの何たるかは教えてくれなかった。二重の意味で気になってしまい、僕は佐清の手型の鑑定結果が出たところで本を置き、ラジオに耳を傾けた。
きっとほとんどの人がそうだろうと思うけど、あれを曲だけ聴いたって何が何だかわかるわけがない。まして僕だ。ラジオのアナウンサーが「OZMAさん、服を脱ぎ始めました」とか解説してたけど、僕はどうでもよくなって、また『犬神家の一族』を読み始めた。僕の耳は騒音をスルーしていた。サブちゃんが出ていたことより、犬神家の秘密の方が興味をそそられた。
その後、アンジェラ・アキをスルーしてさだまさしに感涙する僕は、年のわりに耳が古いのかもしれない。今井美樹もよかった。その次の徳永英明の『壊れかけのRadio』の素晴らしさといったら! 今思い出しても、つい「レディオ」につられてRedioとミスタイプしてしまうくらい感動した。でも(壊れかける気配の無い)ラジオで聴いていた時は、感動の余韻もくそも無かった。曲が終わったすぐ後に、NHKのアナウンサーの謝罪コメントが入ったからだ。
コメントが読まれる際、会場からは二度も笑いが起こった。だから僕は、ちょっと下品な演出があって、PTAのオバサンみたいな神経質な視聴者様方が過剰反応してヒステリックなクレームを押し付けてきたのかなと思った。まあ紅白だし、ちょっとやんちゃが過ぎたのかと。それ以上にどうでもよかった。だって紅白だし。聴いといてアレだけど、興味無いし。
それからしばらくして、DJ OZMAのパフォーマンスが問題になっているってネット(はてブ)で知った時は、正月からはてブをやっている虚しさを吹っ飛ばすくらい、驚いたものだった。腐っても鯛、視聴率低迷が言われている紅白と言えど、まだまだ世間への影響力は侮れないものだと思った。その批判内容(はてブコメント)を見たら、僕がイメージしていた「PTAのオバサンみたいな神経質な視聴者様方が過剰反応したヒステリックなクレーム」まんまで、さっきよりも驚いた。ネット上には良識派を気取って重箱の隅を突っつき回したがるナルシズムエゴイズム溢れる人々が意外に多いのは知っていたけど、それにしてもなあと思った。そこで、僕自身がまだかの映像を見ていないことに気がついた。だめじゃん。
で、Youtubeを見た。読みかけの『犬神家の一族』は、湖面から逆さまに人の足が突き出ている、かの有名なシーンにさしかかっていた。
まず感じたのは、戸惑いだった。僕はものすごく戸惑った。どう反応したらいいのかわからなかった。ああいう騒々しいモノに対して、僕はパターン化された理解を持たなかった。テレビを見ていないと最近の娯楽についていけないのか、テレビ買おうかなとすら思った。その戸惑いをよくよく分析してみると、僕は不快だった。美しくない眉を顰めていた。そう、悲しいことに、僕自身もクレーマーと同類だった。僕はDJ OZMAを見ていて、どうしようもなく不快だったのだ。画質の悪さでおっぱいが本物らしく見えるくせに、その実本物でないのも腹立たしかった。
しかし僕は、クレーマーたちと自分を差別化しなければならない。そうでなければ、頭がおかしくなりそうだ。いや、もうおかしいのかもしれない。
もう一度、DJ OZMAのパフォーマンスを眺める。そして、何故彼がこのような馬鹿げた、下品なパフォーマンスをするのか、しばし考えてみた。
そうだ、アホの坂田がアホでも何でもないように、DJ OZMAもきっと、真実に馬鹿げた人間ではないのだ。彼はきっと、僕よりもずっと高いところに立って、釣られクマーな僕をあざ笑っているに違いない。
その時僕は、どうしようもない屈辱感に襲われた。DJ OZMA、彼に何らかの反応を示した時点で、僕は彼に負けたのだ。彼はきっと僕の、このような反応を全て了解済みだったのだ。「下品だ」「紅白にふさわしくない」という反応も彼の想定内であれば、「DJ OZMAはお前らの反応も織り込み済みなんだよ」「ナンセンスだ」というメタぶった反応すらも想定の範囲内に収めていたのだ! 僕がどう考えようとどう反応しようと、僕はただDJ OZMAの掌の上で踊る哀れな猿にすぎないのだ。一連の事実が彼を中心に回っている以上、どうメタ分析を試みようが上から物言おうとしようが、僕は、いや僕らは、彼を超えることなどできないのだ。騒ぎの渦を一つの世界と看做すならば、彼は神だ。唯一絶対の神だ。愚かな人間どもを哂う神だ。いっそどんな形でもいい、彼に心囚われてしまったことが(または正月からこんなことで騒いでいることが)すなわち、僕らの負けであり、彼の哂いなのだ。
僕の心は虚脱感に包まれた。もう、全てがどうでもいいのだ。僕の正月は暇だった。このテキストの記号的意味でなく、存在的意味が、悲しい事実を何よりも雄弁に物語っているではないか。傍若無人。かたはらにひとなきがごとし。如しじゃなくて本当に誰もいない正月を、僕はDJ OZMAに哂われて終えることにしよう。テレビはやっぱり買わない。
たしかにhotentryにそういう話題ばかりだと私も辟易する
興味が無いとうんざりしてしまうのは仕方ないとは思う
しかし、セカイに対して傍観者になることは自己疎外ではないだろうか?
http://anond.hatelabo.jp/20070103134139
以下の2つの記事は同時に更新されたものなのに
元記事を見ると分かると思うけど、記事の順番として「第2回:嫌いな日本アニメは?」→「第2回:好きな日本アニメは?」になっている。
「嫌いな〜」には「好きな〜」へのリーディング(「では続いて「好きな日本アニメ」にいってみましょう。 」)があるのに、「好きな〜」の方には無い。一連のものとしてブクマしたいとして、どちらか一方にリンクするとしたら、自然に「嫌いな〜」の方の記事になると思う。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20070103-00000148-mailo-l42
日本有数の繁華街、新宿。年末にこの街を訪れた。夕暮れ時、サラリーマンや学生であふれていた。友人らと居酒屋に入ろうとしたが、どこも満員。4件目でようやく席が空いていたが「2時間制です」とくぎを刺された。
そういえば、長崎では師走に入っても客足は伸びず、どの店の店主も渋い顔だった。裏金問題で自粛気味だった県庁職員に「忘年会はやって下さい」と知事が異例のメールを送ることもあった。
都会への集中に歯止めが掛からない。人、金、そして教育も。人気が集中する都会の大学に進学するには、自宅から通学できる都会の若者が圧倒的に恵まれている。地方から都会の大学に子供を出すには家賃を含め、月10万円を超える生活費が必要になるからだ。
学力の前に親の財力が欠かせない。あるいは、親の犠牲と覚悟が必要になる。これも地方のハンディ、中央との格差なのだろう。
大みそかの長崎市浜町のアーケード街。深夜になっても明かりは消えず、時折、着飾った若者やカップルが行き交う。降りたシャッターの前に段ボール箱が並べてある。ホームレスの男性の寝床だ。
五十歳代の前半。中学を卒業して勤めた職場が数年前に閉鎖となり、以後、仕事はしていない。一度、この生活を始めると、抜け出すのは容易ではない。「住まいも携帯電話も持ってないんで雇ってくれる会社もない」
兄弟が多かった。「お年玉なんか、もらったことがなかった」と子供のころの正月を振り返る。
今の生活は、コンビニの期限切れの弁当を食糧に、昼は港のターミナルなどで寒さをしのぐ。夜は人けがなくなるアーケード街へ。「立ち去る前に使った場所をきれいにしておくことが礼儀だ」
酔った若者が千鳥足で通り掛かった。「あんなになるくらい飲んでみたいな」と男性は笑った。話すうちに午前0時を過ぎ、新年を迎えた。人通りも少なくなり、彼は“ベッド”に横になった。
過疎と集中。チャンスがある者と無い者。持てる者と持たざる者。年末、年始の華やかな時間にこそ「格差社会」を実感する。再チャレンジ政策も必要だが、一度もチャンスがない人たちがいることを忘れてはならない。
6、7年ほど前、少し音楽好きな人たちに人気のある日本のロックバンドって、
NUMBER GIRL、くるり、スーパーカーあたりだったのだけれど、
今そういうポジションにいるのは
RADWIMPS、チャットモンチー、ELLEGARDENあたり?らしい。
聞かせてもらうと確かに格好よくて
「ああ、才能のある若い人はいっぱいいて、ちゃんと若い人たちに届いているのだなあ」と思った。
ああ、けどチャーチルさんとかは、やっぱり大人びてるんだなあって思って、
ってか家の弟と同じ年か、チャーチルさん。ほえー
【ビーバートザン】 ホームセンターの居心地良さってなんなんだろうな
72 :インチキ占い師ですが今年はこれが流行る↓:2007/01/03(水) 11:58:32 ID:Y9Q93Huk0
島根 : いない、ジュンテンドー
広島 : ジュンテンドー、ダイキ(旧ディック)、ナフコ、コーナン
西村ジョイ
ハタから見れば、言及した時点で君もその一部。
いまの場所にいることと、前に進むことは別
kagayakitai tadasikuikitai
mukuniwaraitai mottoyokuikitai
あいつらみたいになりたい
じぶんにまよいがなく、その道を歩むための内的な決意を持って人生と向き合いたい。
道の上にあるものはその道を歩むと決めたのなら踏み越えていくべきものだ。
眼を逸らしてはいけない、道を逸れてはいけない。決めた道を切望するように歩め。
それが君の求める人生だ。輝きを踏みしめろ。
>でもわかんないや。努力は、闇雲にすると危険だとは思う
全くその通りで、自分自身が実際に闇雲な努力で自滅するというパターンを
ずっと繰り返してしまっているのでドキッとした。
「がむしゃら」に行動して3歩進んで6歩下がるのを繰り返すくらいなら
もっと適当なスタンスに立ったほうがずっと楽だし社会的にもマシなレイヤーに立てるのにね。
…って他人事の様に思うんだけどなあ。いざ実践となると本当に難しい。
良識や品位、品格などくそ食らえと思うが、人前でfuckするのはさすがにまずぃ
場所を選ばないとぉ
圧力かける某政治家はfuckだよね
でも、やっぱりfucking "世間"かな
はてなを使い出して数年。
ダイアリーを使い出して400日ちょっとの私だが、
そしてその中には非モテ関連の話題が多いがなんなんだろうね。
これがはてな攻防というものだろうか?
誰と誰が攻防やっているかわからないし知るつもりもない。
それ強く同意します。食い物に関して強い固執とかこだわりをあけすけに出ししている人間が信じられない。で、それを表明するとこっちが変態みたいに思われるんだよ。