2024-01-29

我が身で実験する人と、犬猫を殺す人と母妻で実験する人

セアカゴケグモ自分を噛ませた高校生話題で、まぁやめた方が良いよとか猫猫の真似する子供が増えたら嫌だなぁとかそういう話はさておき。

毒を試してみようってなったときに、普通は小さな生物から試すだろう。きちんとした研究倫理教育を受けていない幼児高校生であれば、まぁ虫あたりから始めてだんだん大きな生物に発展させるのは探究心の発露として自然な流れだ。それが哺乳類(ネズミ)になる前に止まるのか猫になる前で止まるのかヒトになる前に止まるのかは、誤差でしかない。

自分で試してみる人の中には、こうした動物実験を経る事なくいきなり自分で試す人が結構いる。

一つには他者の観察から得られる情報が少ないからだが(特に、生体信号の測定装置を持たない高校生以下)、他の理由として、動物実験倫理問題、というより倫理葛藤クリアできるという点も大きいように思われる。

このように自分に毒を盛る人は、他人には毒を盛りにくい。少なくともモルモットに毒を盛る人よりは、他者利用について倫理葛藤を乗り越えていない。

ところで人体実験といえば華岡青洲である野良犬での実験では人体に処方するに不十分であるから、母と妻が協力した。己の身で実験たかどうかは定かでは無いが、患者実験台にするような研究手法では無かったようだ。

自分」の範囲社会によって異なる。青洲にとっては母や妻は「身内」だったのかもしれない。現代であるかの少年自分の体が自分だけのものと考えているであろう。「自分」を拡張すれば母妻に慎重に毒を盛るし、限定すれば軽々に自ら服毒する。

好奇心は猫を殺すというが、猫猫マジかわゆす

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