2023-12-10

地下鉄の駅で、知的障害大人男性を見かけた

地下鉄の駅で、知的障害大人男性を見かけた。

見た感じ、私と同じ年代で、きっと50歳前後だろう。

彼はホームの端っこまでいって、ホーム柵に手をかけて電車が地下トンネルの向こうからやってくるのを心待ちにしている。

電車が来るまで、まだあと5分くらいあって、その間中、彼はずっとそわそわしていた。

そして、いざ電車がくると、ちょっと怖くなったみたいで、2歩くらい後ろに下がって電車が通っていくのを見ていた。

到着した電車最後尾が、見ているすぐ前で止まると、乗務員さんに向けて腕を大きく振っていた。

すごくうきうきした表情で乗り込み、ドア脇の手すりのポジションを確保した。

この間のホームにいる時、ずっと彼のすぐ後ろにおじいさんが立っていて、電車には一緒に乗り込んで、彼の脇に立っていた。

このおじいさんは、80代くらいだろう。

きっと彼のお父さんなんだと思う。

彼は電車の中ではすごくおとなしくて、手すりをしっかり持ったまま、車内の天井や窓やつり革など、電車設備にまつわる部分を、それこそ目をきらきらと輝かせているかのような表情できょろきょろと見まわしていた。

停車駅では、ドアが開閉するたびにドアを触ろうとして、その都度、お父さんが彼の腕をひいたり背中を支えたりしていた。

そして、目的地なのであろう駅で降車するのだが、彼はすごく興奮した感じで電車から駆け出すように降りて、お父さんが急いでついていっていた。

私はこれよりも先の駅で降りる予定だったので、そこで二人を見送る格好となったのだが、乗車駅から降車駅までを見ていた記憶を振り返っていた。

彼のふるまいは、最初から最後まで、すごくほほえましいものであった。

彼は知的障害などの事由により、50歳前後になっても、幼児くらいの、しかしとてもおとなしめのふるまいをしていた。

目の前に広がる世界の、いろいろなものがすべて新鮮で楽しくてわくわくしたものとして毎日冒険のような気持ちだったような、そんな幸せ時間を、ずっと過ごしているのだとしたら、なんと素晴らしいことだろうか。一日中ずっとそうかは分からないけど、少なくとも電車に乗るたびに、あんなにうきうき、わくわくできるなんて、ものすごく幸せだと思う。

お父さんは、もちろん大変なこともたくさんあっただろうけど、ずっと可愛がれているんじゃないだろうか。

お父さんは、すごくやさしい眼差しで、彼に付き添っていた。

しかし、そのお父さんは、もう本当におじいさんっていう風貌で、あと20年、30年という単位では生きてはいないんじゃないだろうか。

そう遠くない時節に、お父さんは死んでしまうのだろう。

幼児のような素直さ純真さをもつ彼は、その時どう思うんだろう。

そしてその先の彼の人生はどうなってしまうんだろう。

私はそうしたことに思いを巡らせていて、ものすごく切ない、悲しい、やるせない気持ちになってしまった。

さっき、お父さんに声をかけて、知り合いになっておけばよかった、とも思って後悔の念に駆られもした。

彼の電車に対するふるまいに、ほほえましさしか感じられなくて、友達になりたい気持ちも生まれていたのだ。

彼らが悲しい思いをしなくていいようにするために、私は何ができるんだろう。

直接的にできることはないとしても、社会に働きかけるとか、日々の仕事を通じてどう貢献していけばいいのだろう。

私は、みなが幸せに生きて、安らかに死んでいける社会であってほしい。

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