2023-11-29

記録用に使ってたfilmarksに感想を書くようになった。一口コメントから始めて長々と書くことも増えてきたけど、文章ディスクリプション、解釈感想の三つに分けるとして、おれの「感想」部分は「好きだった」くらいしか言ってないような気がする。

ここの流れが分かりやすくまとまってる感じがした。全体的にこういう雰囲気が特徴的、印象的だった。あのキャラクター達の関係性はこんな風だった。このキャラクターはこんな象徴を背負っていそうだ。通底してこんなテーマを感じた、と単なる事実やその解釈をつらつら書いた挙げ句「そこが好きだった」で終わり。あとはどこそこが「かっこよかった」くらい。

他の映画を持ち出した例えも割と多い。あそこがあれっぽくて「かっこよかった」とか。そういう楽しみ方も結構大きいかもしれない。

たまに自分の根源的な価値観に近しい部分の琴線に触れると、あのテーマに対してこういう描き方をしているのが好きだった。自分がこう思っていた事を改めて確認した/こんな側面もあるのかもしれないと思った、とかクドクド書いてる事もある。それはもはや解釈を超えて全体的に感想と言えるかもしれない。

まあ無限にある要素の中から特定の部分に目が行ったというだけでも、そこには自分感性というか琴線のようなものがある程度は反映されてるかもしれない。でも大体観客が注目するのって似たような部分だしな。

おれの感想はここが、ここがという「点」ばかりを見ている感じもする。例えば芯となるテーマについて、それをより効果的に印象づけるシーンや制作の背景、実際の社会情勢を関連づけながらいかに良かった/イマイチだったか書ける人っていうのは、点ではない全体的な見方が出来るんだろうなって思う。

そういう感想を読んでこじつけじみてるな、とかメタ情報に引っ張られ過ぎじゃない?とか思う事もあるけれど、少し憧れがある。

己の感性に耳を傾けるばかり鑑賞に限界を感じ始めたら、そういう教養主義的な鑑賞をするのもありかもしれないなって思った。今よりもっと点が繋がって見えるかもしれない。でも今はあまり肩肘張らず、素朴に楽しみながら自分の好きなものを確かめたい気持ちの方が強いかもしれない。

  • ブロック上限100に対してネタバレありボタンで折り畳まずにネタバレ書く奴多すぎるし、このツイートみたいな意味のない通知も来るし、なんかもう少しなんとかなんないのかね Filmark...

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