2020-07-07

エビデンスごっこ

コロナ対策エビデンスに基づいた対処をという。

だけどエビデンスとは何か?先に金かけて明証分析総合枚挙デカルト)がなりたつ調査をして、査読プロセス(他の専門家によるチェック。高いレベル学術雑誌だと鋭い批判を受ける。これに正しく反論したら論文受理される)をへて積み重なった知識集合体

んだけど、コロナ世界初のことばかりなんだからエビデンスなんかないものが多数。それでいてもエビデンスがある!と曖昧調査を元にエビデンス呼びしたりする。

エビデンスがあるものを積み重ねれば正しい結論に導くと、そもそも調査まだしてないかエビデンスがないのに勘違いした行動をする。

エビデンス自体金と時間をかけての試行をしてから生み出されるもの。なのに金と時間をかけて調査する前に調査するエビデンスをという本末転倒発言が横行する。

また価値判断に陥ると特に評価は難しい。一応は強引に銭勘定還元して評価させるという手はあるが、銭勘定するまでの準備が整ってないものが多いし、銭勘定できないが社会不利益な要素が見過ごされる。

これから課題は「検査対象をどこまで広げるか?」だろう。

広げると偽陽性によってコロナ感染していない人間も陽性として隔離される。狭めるとコロナ感染している人間を見過ごして感染を広げる。

コロナ感染を広げないこと第一」であれば国民全員に対する定期的な抗原検査だね。偽陽性で巻き込まれ隔離される人間もそうとういるだろうけど、コロナ感染している人間を逃す比率は一番減るから一番早く収束する。

巻き込まれ人間はたまったもんじゃいかとはまあ思うけど、表面的には当人は陽性だから納得はするかもという気持ちもある。

個人的にはある程度偽陽性巻き込みを前提に隔離をしていかないとならないとは思う。さて「どこまでの偽陽性巻き込みが社会的に許されるのか?」、これにエビデンスを元に正しく評価なんてものが「今の段階で」できるのかねぇ。

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