2019-04-30

金塊に欲情する生命体にでも生まれていればよかったのにね

ある種の創作物は私の感性を刺激する。私はその作品で描かれている対象が本当に素晴らしいものだと思うし、もっと触れていたいと思う。

もちろんこの感性普遍的ものではなく、全く違う意見を表明する人もいる。

そのような人たちの一部は、その創作群を、現実対応物と対応していないとして批判している。

創作で描かれているものは、必ず現実の中に対応物を持つのだろうか。

あるいは、この創作で描かれているこれは現実世界でのこれに対応しているはず、なんて認定する権利を誰かが持っていたりするのだろうか。まぁ思うことは自由だけれども。

引用したツイートとは関係がないのだが、この創作で描かれているのは私であり、そこでの扱われ方が不当なので、その創作物追放したいという訴えを発端とする議論は手垢のついた論争である

そのような議論に私の感性を刺激する創作物槍玉に上がることがある。その難癖をつけてきた人を存じあげたことなどなく、創作物を消費する上でその人のことを頭に思い浮かべることすらなかったし、逆もそうなのだけれど。

自分感性を刺激する創作物現実の中のものと似通っていて、その似通ったもの迷惑がかかっているらしい。

心底どうでもいい。

本当に、自分感性を刺激する創作物人間政治社会と全く関わり合いの持ちようがなかったらどんなによかっただろうね。

あるいは、自分感性を刺激するものが、金塊のような、どんな扱いに対しても揺るがないような対象であったならよかったのに。

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