科学的な事をいうなら、犯罪者の自由意志だけじゃなくて、すべての人間に自由意志は存在しないって言うべきじゃないの?
人間の脳は環境から学ぶわけでしょう。思考から振る舞いに至るまで。
だから科学的にいえば、犯罪を犯すように育ってしまった人間が生まれた責任は誰もとれないし、強いていうと人類全体の責任。
まあ犯罪を定義するのは国だから、国家の責任。国家が人格形成環境を整える義務があったという意味でね。
ただそうやって本当のことを言ってしまうと法学は成り立たないし、
科学的には自由意志がないからといってそれを喧伝してしまうと馬鹿な人は勘違いして、自然に存在する自制的観念をわざと放棄して好き放題やる人間が出てきてしまう。
だから建前として、自由意志が存在する(=ある程度は自分の言動に責任を持ちなさい)としておくのが、法の考え方であるべきなんだと思ってる。
ただ、刑を執行するという場面になると科学的な考え方(自由意志はない)が戻ってくるから、可能な限り国が負担するべきとなる。
そこで死刑という殺人行為に至ってしまうのは科学的知見を逸脱した感情、すなわち自分で責任を取って死ねという他罰的感情に従ってしまう事に他ならない、と。
死刑の話をするときに冤罪リスクとかの話が出てくることが多いけど、それはまったく本質じゃないんだよね。