2016-07-15

幸せだと掴めない力

幸せだったから、その環境に満足してしまい、真剣に取り組んでこなかった。

人生ってすごくちょろいと思ってた。

でも、今、自分が窮地に立たされ、迫害される立場になった時、ようやく世の中の不条理好奇心論理的な考え方などの知力、そして力の大切さを知った。

小さい頃、大人達が口をすっぱくして説明してきたその重要さを、わかった気になっていた。

テキスト問題を素早く正確に解く能力は、必要な知力のうちのわずか一部分であって、もっと重要ものはたくさんあった。

もっと謙虚になるべきだった。

大人のいうことに耳を傾けるべきだった。

自分なんてただの石ころや雑草だと思うべきだった。

肥大した自己愛自己評価を歪めていた。

本当はその歪みに気づいていたのだけど、受け入れられなかった。

 

追い詰められてようやく受け入れることができた。

受け入れたら、やるべきことが見えてきた。

そして、いろんな力や知識を身につけた。

でも手遅れだった。

それを駆使しても手に入れられないものがあった。

手に入れるたくても締め切りが過ぎていた。

 

もし、小さい頃から今の力があれば。

今はそれを夢想することが心の支えになっている。

しかし、その支えも風化し、支柱にヒビが入り始めている。

 

自分は生まれ変わりを信じている。

空想的な概念からそう考えたのではなく、

自分自分意識観測していることや全身麻酔経験を考えると、自分という主体物質的なものに起因していると考えたからだ。

まれ変わり、運良く人間として生まれしまった場合、同じ過ちを繰り返してほしく無いという想いがある。

ほとんど0に近い確率であったとしても、わずかな望みをかけてこれを書いている。

もう迫害されるのは疲れた

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