2016-07-11

老人対応社会的コスト

私は、仕事柄、平日の昼に街を歩くことがある。

スーパー郵便局図書館等いたるところで、理解力が低下している老人が若いスタッフに何度も同じ質問を繰り返して、時間を浪費させる光景を何度も見てきた。

複雑な気分になる。

老人の認知能力が下がるのは、一種生理現象であり、やむを得ないことかもしれない。

昔は、老人が少なかったから、それでも社会対応できてきたのだろう。

ところがいまや平日の昼、街を徘徊しているのは老人ばかりだ。

老人と言っても、健康状態千差万別から若者とさして変わらない人たちもいる一方で、話し方がくどくて周囲を辟易させる人たちも少なくない。

小売業店員は、老人対応で相当余計なエネルギーを消費しているのではないか

そして、それが販売効率の低下、という形で事業に響いてくる。

老人も悪気があってやっているわけではないだろうが、正直困ったものだな、と思う。

自分は、ああいう形で人に迷惑を掛けたくない、とつくづく思う。

自分が老人になってしまえば、かなわぬ願いかもしれないが。

長生きしたいと思うのは生命本能かもしれないが、こう考えると無理に長生きはしなくてもいいのかもしれない。

好きなものを食って、好きなことをして、それで死んだらそれが寿命だと考えればよさそうだ。

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