2015-06-07

音楽が伝えるものを、感覚として理解した時

音楽が伝えようとするメッセージストーリーに対する共感というものがある。

恋愛が辛い/楽しいとか、人が存在すること肯定であるとか。

歳をとるにつれて、前向きなメッセージや愛だの恋だのについて、共感できなくなってくる。

入れ替わるように、生きづらさとか、ままならなさとか。そういったもの共感を覚えることが多くなってくる。


Roy Buchanan - Hey Joe (Live From Austin TX)

https://www.youtube.com/watch?v=FMcjPZgK9GM


hey joe は超有名曲なのにもともと誰が書いたのかわからないらしい。もちろんもっとも有名なのはジミヘンだろう。

自分も「かっこいい曲だな」とジミを聴いて思っていた。でもそのぐらいの感覚しかなかった。


ブキャナン演奏を聴いて、凄いと思った。

ぶっきらぼうな歌い出しを聴いて、タイトルの hey joe ってのは人に呼び掛けてるんだということがわかった。

唐突ブレイクからソロに入って行く流れに、何か物語が動いたということを感じた。


おれは英語がわからないので、ググって翻訳されてる歌詞を読んでみた。

ジョーはバカな男だと思った。と同時に、悪いほうに転がっていく自分をはっきり認識しつつ、それでも "そっち" に向かうその "ままならなさ" に、自分生活仕事や、人間関係、そんなものが重なった。


人は常に正しい判断なんかできない。それどころか、間違ってるとわかったうえで、間違った道を進む。

から見たら「あんな事して、バカだなあ。」ということをやる。おれも含めて多くの人が。


メキシコで、ジョーは乾いてガサガサになった自分の心を見つめているのだろうか。ぼんやりと愚かな自分自身を眺めているのだろうか。

おれは人を殺して逃げたりはしないけど、ジョーがメキシコで感じるであろう乾いた感覚を、自分の愚かしさをどこか冷静にぼんやり眺めるあの感覚を、味わった記憶がある。

それをブルースと呼ぶなら、おれはジョーとブキャナンブルースを教わったのかもしれない。

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