なぜいまさらになってこんなことを思い出したのかというと、我社の経営がいよいよ危機に直面しているからだ。
普段は涼しい顔で過ごしている面々だが、危機に直面するとそうも言っていられなくなる。
共通することは、一様に過去をさかのぼってはやれ何が原因だ、あの選択が間違っていたなどとまくしたて、自分の責任を一切として認めようとしない姿を見せていることだ。
今となってはの話だが、何かあるとすぐに責任問題にしたがる輩はいつだって問題解決に目を向けた試しなんてなかったかも知れない。
このもはや手遅れとも言える状況の中で、一体どれだけの人間が一縷の望みにかけた問題解決に向けて努力ができているのだろうか。
その一方で自分のことしか考えられない輩ばかりが声を上げ顔を真赤にして拳を振り回しているのだ。
社内を揺さぶる倒産の危機という大きな衝撃によって、働く人間の心はすっかり二分されてしまった。
一見硬いとされていた地盤から、軟弱な液体部分だけがまんまと炙りだされてしまったのだ。
震災直後の一部人間が批判を過激化する姿を見てまるで集団意識の一部が液状化現象を起こしたようだと思ったものだが、それが今まさに目の前で繰り広げられているのだ。
黙する人間のほうが精算すべき時のコストが低いなんて皮肉なものだが、おそらく彼らの目にはこの問題に立ち向かったことで得られる経験の先にある金額換算できない未来が見えているのだろう。
今更になって人材の評価を改めたところですでに手遅れではあるのだが、もしもう一度再起できるのであれば、そうした人間たちと手を組みたいものだ。
本来はこいつの仕事のはずなのに何故か自分に押し付けられて損を被ってきたって人もいるから、な