書き起こし、ざっくりと読んだつもりで書きます。
要するに、
為末は、異文化のものは、そこの文化のものとして作品を仕上げろ、
宇多丸は、異なる文化だけれど、それを色々とアレンジして作品を作り上げてもいいのでは?
という主張のように読めた。
話飛んじゃうけれど、最近知った話に、京都の祇園祭のほとんどの山車にはペルシャ絨毯が飾られているらしい。伝統的な日本の着物柄と思われている京都の西陣織の柄、あれはペルシャ絨毯の柄から影響されて出来上がったと見るのが妥当な見方じゃないかと思った。要するに、いくら伝統的な文化といえども、他文化に影響されあって成立してくるもの。文化てそういうもんだと思う。
なので、宇多丸の言い分はぐちゃぐちゃ言い訳がましく見えるかもしれないけれど、宇多丸が言ってる方が納得がいく。
そもそも、ラップはスラングとしてジャマイカ英語がよく入ってくる、他文化混入を否定するようなら、ラップやヒップホップの全否定につながりかねないんじゃないかと。
一時的な流行が、長年の年月を経て生き残り、一定の方向性を持つと、初めて一つのスタイルやジャンルとして認識される、とかなんとか言ってる人が居たような。だから、日本のラップが時間を経て、一つの形を形成すれば、それこそ演歌(これも西洋音楽をベースにした民謡ちっく音楽)のように残り続けてスタイルを確立できれば、そのうち一つのジャンルとして認識される事も有ると思う。間接的に宇多丸が言ってる事でもある。
あとは、好き好きの問題。演歌が嫌いな人に演歌の良さを分かれと言っても無理なように、日本ラップの良さを分かれと言っても無理な話(自分には解らないけれど)。好みの問題。
スタイル云々で批判される時点で、まだまだ確立されたジャンルではないけれど、結局は日本ラップが補完されていくプロセスの一つになるので、ジャンルとして確立する手前まで来ているのかもしれない。
そこに宇多丸って奴が反論してたラジオの書き起こしを読んで思ったのが ラップやってる奴らは聴いてる奴らの気持ちを理解できてないから 日本にラップが浸透しないんだな、と強く実...
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よくわかんないテーマで低次元な釣りしてなんか楽しいのか? おーぷん2chでやれ
まず日本語でラップやってる奴らほとんど(全員は把握してない)に共通してるのが何を言ってるのかわからない 昔、ラップやってる奴にノリが大事って言われたことがあるけど、...