2000年代のオタク批評なんかでオタクの消費の仕方が作品鑑賞というより
コミュニケーションの道具としての鑑賞って性質が加速したとかよく言われるけど
そのコミュニケーションって要はオタ仲間内のコミュニケーションなんだよね
TLの流れに乗るためにアニメ見るとか閲覧数評価数上げるためにイラスト描くとか
オタ同士のコミュニケーションってものが一般と隔離されて育ってきた感じ
今じゃオタといえばオタ向け作品見てツイッターや同人で楽しむ人って意味になってきてる
本来「オタ向け作品」なんてもんはないしオタだからって同人やるとも限らないのに
面白いとなったら呟かなきゃイラスト上げなきゃ本出さなきゃって
作品面白い→同人やるツイートするの間になんの意図的な決断もないんだな
何が言いたいかっつーと
仲間であるオタの姿だけを見てて作品そのものを見てないオタが多いってこと
でもほとんどのオタは自覚してなくて自分は作品を見てる味わってるって思ってる
作品は好きだけどツイッターやブログで語らないし同人にも興味ないって人は
可視化されないから一部のオタはそういうオタがいることすら知らない
オタである=見えるとこでオタ作品についてオタ語りして同人やることみたいに考えてる
仮にこの人たちからネット取り上げてオタ仲間も近くにいなければ
自分は作品をコミュニケーションの道具とすることは悪くないっつーか
最近だけじゃなく太古の昔からその側面はあるし仕方のないことだと思うけど
あからさまに道具として消費しててそのことに何の自覚も考えもない人に
時々ふっと猜疑心が浮かぶのはたぶんそのせいだ
むしろそれこそが元々あったオタクの本質だよ。 ネットの普及やら色々な要因で明るみに出たってだけのことで、そうやって人と共有したり優劣争いの道具に知識や作品を使うって根底...
じゃあお前はなんでそれを増田に書いてるわけ? メモ帳に書かずに全世界に公開してるってことは、自分の意見に共感してもらいとか同意してもらいたいっていう欲望があるわけでしょ...