以下雑感。やなせたかしが死んだ。私も幼い頃アンパンマンが好きな子どもだった。今はアンパンマンという作品が好きだが、それは幼い頃とは少し意味合いが違う。
アンパンマンは「正義とは何か?」それを考える上で非常にシンプルで明快な作品であり、それが今でも好きな理由だ。
知っての通りアンパンマンが成す正義の行いは大きく分けて二つある。
・バイキンマンと戦うこと
知っての通りこの二つである。作中でアンパンマンはこの二つを両立させている。それを可能にしているのはジャムおじさんによるアンパンの無限供給である。アンパンマンは顔が濡れると力を失う。すなわちあんぱんはアンパンマンにとって命そのものとも言える。ジャムおじさんがいる限りにおいてアンパンマンは不死身ともいえる。作者であるやなせたかしは「貧困している人がいれば、パンをあげる」それこそが絶対正義だと言っていることは、実に興味深い。それは不老不死であるアンパンマンにしかできないことでもある。さらにアンパンマンは顔をちぎっても痛みや苦痛をともわない。命が保障され苦痛も伴わない、そのうえ人々に尊敬される存在。なんとも卑怯な存在とも言えそうだ。
そこで私はひとつの思いを走らせる。アンパンマンの不死を支えるジャムおじさんの死。そのとき、アンパンマンがとるべき正義とは何だろうか?
これは大きくわけて3つある。
・自分の命を犠牲にしてお腹の好いた人に自分の顔をあげて死ぬこと
・己の命を守りぬき、できる限りの人を救うこと
アンパンマンはジャムおじさん抜きでバイキンマンと戦えば間違いなく負けるだろう。これら3つは一つとして同時には成り立たない。さてここでもう一度やなせたかしの言葉を思い出してみよう。仮にやなせたかしがジャムおじさんの亡くなった後を描くとすると、アンパンマンは正義のために3つのうち一番上の選択肢、すなわち「自分の命を犠牲にしてお腹の好いた人に自分の顔をあげて死ぬこと」ということになる。しかしながら、作者であるやなせたかしは自分の命と引き換えに貧困者を救うという選択は選んでいない。寧ろ、作者の人生は一番下の選択肢を選んだ様に私には思える。
果たしてどれが正義なのか?それは人によって答えが違うかもしれない。しかし、私としては己を犠牲にしてまで人を救えるのはヒーローであるアンパンマンだからこそ出来たことであり決して普通の人間が考えるべきことではないと思う。
ジャムおじさん亡き世界でアンパンマン、それこそを考えさせてこそ教育的に価値のある本だと私は思う。さてジャムおじさん亡き世界でアンパンマンがとった行動とは?
ジャムおじさんがいつ死んでも大丈夫なようにあらかじめバタ子さんに技術を継承させる それか自分が受け継いでもいいけど