ってふいに思うことが増えたのは、俺が今無職だからとか、競馬で負けまくっているからとか、好きな女に男が出来てそれを電話でわざわざ報告されたからとか、古い友人達が続々結婚してポンポン子供が生まれてるからとか、そんな中でも俺と言えば毎日何もせずにダラダラと無為に日々を過ごしているからとか、そういうことのせいではないと思う。
俺はとくに心に不安を抱えたりもしていないし、体も健康で、仕事なんかはどうとでもなるし、競馬なんか負けたっても遊びの範囲だし、好きな女がみんな一緒になってくれるわけでもねえし、誰かの子供だって産まれりゃ素直に喜べるし、俺はダラダラしてるけど、もう一回立ち上がっていっちょやるかっつう程度の余力は残しながらの怠惰なわけだし。
だから俺はそういうところとは違う場所で、もっとこれは悩みとかいう負のベクトルとは全然違う場所で、結局さあ、一生ってなんなのよ?人の。って思うようになってるわけなんだよ。
寝て起きて、夜が来て朝が来るから、まあ大抵は仕事して、それを繰り返してる間に家庭が出来たりずっと一人で生きたり、そんでまあ何かいろいろあるんだろうよ。その色々の事はどうでもいいの。人生とかはどうでもいい。意義とかいう話しじゃねえの。人にはなんか夢があったりしてもいいし、無くてもいいし、金だってあったり無かったりもすんだろ。その一生ってもんの是非とか優劣とか志とかじゃなくて、もっとこうシンプルな問いなわけ。これなんなの、時間だけがバンバン流れていって、その分だけ俺の一生っつうのもきっちり消えて行くわけでしょ。このシステムに対して俺は単純にこう、どうなの?っていう思いがあるわけ。
時間てもんは一体どいう理屈でこの現在を次から次へと過去に押し流して行きやがるんだろう。問答無用で。
何故世界はそれを前提にして進んで行くのか。進むってなんだよ。進んでるのか?本当に。人の一生が始まって終わるっつうのは、進んでいくことだっていう理屈なんなのよ。気になって仕方ないんだよ。
なんでもねぇんだよ。 どうでもいいもんなんだよ。 でもそういうもんに本気出せるヤツってカッコよくね?
やばい惚れるわ でも実際、特にこれだ!ってのがないからかろうじて生きている部分もあるんじゃないかなぁなんて思ったり。 時間の流れなんてのをずっと見続けたら狂ってしまう。...
ぶっくまーくぶっくまーく
ま、時間がすすんでるんじゃなくて、意識だけが時系列で認識しているだけだがな。
「刹那主義者にとっては、流れ去る一瞬一瞬は、ただ流れ去って行くだけで、そこには永遠が伴わない。 ゆえに刹那主義者は悪い意味で無責任であり、反道徳的である。 瞬間の意識...