2011-07-13

仕事アイデンティティ

7月に入って、やっと就職活動を終えることができた。

内定を頂けたのは、最初に思い描いていたのとは真逆世界

このご時勢、内定が出ただけでもありがたいとは思っている。


親に、恋人に、報告したのに、

どこか「あんたにそんな仕事できるの?」といったニュアンスが悲しい。

「もっとこういう仕事に就くのかと思った」って、あんた、

就けることなら私だって就きたかった。

でも、そういう数少ない切符は手に入れる事ができなかった。


思うに、仕事アイデンティティとが、結びつきが強すぎるから窮屈なんだと思う。

どうして、そんなに仕事と私個人の人格が結びつかないといけないんだ。

どんな仕事を職にしようと、私は私でいることが許されてほしい。

うまく言葉で説明できるかな


「こういう人間から、こういう仕事します。」

「こういう仕事をする人間は、こういう人間です。」

私に言わせれば、こんなもんは全部鬱陶しい枷でしかない。

自己分析とかふざけんな。「本当の自分」なんてあるか、ボケ


とは言え、人間が、一個人が、社会と関わっていく上で、

労働世界が大きなウェイトを占めることは、重々承知している。

でも、それが、一人ひとりのアイデンティティを支えるほぼ全てって生きづらいだろ。

もっと、友人関係とか、家族とか、地域社会とか、アイデンティティの拠り所はあってしかるべきじゃないの。

そうでもないと、仕事でうまくいかなかった人は、アイデンティティの危機に陥ってしまう。



自己実現」のための仕事就活にはびこる「自分探しイデオロギー」とか、勘弁してほしい。

生きていくために、そういうのとは関係なく働いていく人がいることを承認してほしい。

その職に就ける人が明らかに少ないのに、やたらと駆り立てるのやめてほしい。

就職活動が長期化して、大学勉強がおろそかになる状況、なんとかしてほしい。


酔っ払ってて、支離滅裂な文章ですみません。

でも、もうちょっと生きやすい社会って、実現できないのかなあ。

就職活動を経て、日本という国のシステム価値観にホント辟易としました。

  • 俺もびっくりするほど適当な芸術家肌なのに経理やってるよ 簿記の考え方とかは勉強すりゃ面白いんだが 一片のミスも無くパチリと納めなきゃいけないっていうこの仕事の特徴的な部分...

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