はてなキーワード: 乳幼児とは
母親がパワーウィンドウを操作して後部座席にいる2歳の子を死なせた事故のブコメ欄
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/news.yahoo.co.jp/articles/f9966c4ccc374fc88babbb50175a9ea844c99638
同ニュースのブコメ欄はいくつもあるが、どれも数ブコメばかりで、いちばんブコメがついてるのが上のニュース。
上位ブコメに母親を責めるものは一切なく、「やるせない」「技術で防げ」「憶測で叩くな」「本人が一番後悔してる」と、
車の仕組みが悪い、母親を責めるな、という同情的なブコメばかり。
いっぽう、数年前にあった、父親が後部座席にいる2歳の子の存在を忘れて車内で死なせた事故のブコメ欄を見ると…
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/www.asahi.com/articles/ASN6K7F64N6KUJHB00L.html
「送ってく時に寝ちゃったんだな…とゲスパー」「これは忘れたんじゃなくてあえて置いてったみたい」(←違う。実際は置き忘れ。父親を不当に強く責めたいがための嘘捏造ブコメ)
「ありえないだろう。ネグレクトだ」「 ネグレクト親対策を。不注意だろうが、乳幼児を車の中に放置することは虐待だ」
特に酷いのが、
「母親の気持ちを思うと…仕事に出てたら娘が自分の夫に(故意ではないだろうが)殺されてたっていう」
すごいよね。
母親が子をうっかり死なせたニュースでは、絶対に「父親の気持ちを思うと・・・仕事に出てたら娘が自分の妻に(故意ではないだろうが)殺されたっていう」 なんて父親の気持ちを慮り、母親を責めるブコメは付かないのに。
実際にパワーウィンドウのニュースにはそんなブコメは一つもついてない。
父親が死なせたときだけこんなブコメがついて、数十もの賛同者がスターを付けるのである。
母親が死なせたときは「憶測で叩くな」「そんなニュースとして報道するようなことか(報道するな)」とブコメがついてスターを集めるのに、
父親が死なせたときには「憶測で叩くな」「ニュースとして報道するな」なんてブコメは付かない。
むしろ積極的に「うっかりでなくネグレクト、虐待で死なせたんだ!」と憶測を超えた邪推をしてまで父親を叩くブコメがつき、スターを集めてる。
そもそもの傾向として、父親がうっかり子を死なせた事故にはたくさんのブコメがついて注目を集めるが、母親がうっかり死なせた事故にはブコメが少ない。
すっごいよね、はてブ。とにかく男には厳しく、女には同情して甘く甘く。ダブスタの極み。男女逆にしたら成り立たない言動ばかり。
こんな連中がいう「男女平等」が実現したらどんな世の中になるか、恐ろしいよ。
はてブにいるフェミニストや「男女平等論者」の主張を実現させてはいけないと思いを新たにしてしまった。
ブコメで「チェリーピッキングだ」「たまたまだ」なんて言い逃れブコメがついてるけど、はてブの男性差別志向(女びいき)が指摘されるのは今回が初めてでなく、これまで何度も繰り返し指摘されて続けてきてるんだよなぁ・・・
https://anond.hatelabo.jp/20210205102112
https://anond.hatelabo.jp/20220113170251
↑100%妄想で男性を攻撃するブコメにスターが多数集まっている現状に苦言を呈する増田
https://anond.hatelabo.jp/20220416030651
↑女性の選り好みの原因を男性に責任転嫁する捏造ブコメがスターを集めてる指摘増田
https://anond.hatelabo.jp/20230510094221
たまに聞く話だ。
正確には母性神話とは異なる、子ども側の話題だが母性神話の一種と言っていいと思う。
これについて考察したい。
「子どもはパパよりママが好き(になるものだ)」論の理由はどこにあるのだろうか?
(1) 本能的に子どもは母親を求める(父親や祖父母ではない)
(2) 子どもは乳児期に多くの場合は母親からの授乳を受けるので愛着(アタッチメント)が形成される
(3) 子どもは母親の胎内にいて出産されるので愛着(アタッチメント)が形成される
(1)は論としての体をなしていないと思うので却下。
生物学者の出典も無しに、あれは子どもの本能だと言っても意味がない。
(2)は一見最もに見えるがよく考えると疑問がある。
長い子育ての間で授乳は育児の一要素のはずだがそれが何故巨大な影響を持つのか不明である。
人工ミルクでないならば母乳は母親しかできないが、これは逆に考えると母乳以外は父親でも同じことが同じ質で出来るはずである。
出来ないというのであれば夫婦の子育て時間の違いに起因するものでありただの社会的な影響だろう。
「子どもはママが好き」ではなくて「ママが好きになるような子育てを結果的にしている」と言うべきだ。
(3)も主観的すぎる。
ここの部分はむしろ子ども視点ではなくて大人視点というべきではないだろうか。
母親の胎内にいた事がどう子どもに影響するのか未検証だと思うし、母親が産んでくれたありがたいなんて発想は子どもが大きくなってから感じる事だろう。
特に乳幼児であれば、「母から生まれたから母が好き」は不自然に思う。むしろ大人の発想なのだ。
簡単に言えば「子どもはパパよりママが好き(になるものだ)」というのは科学的根拠が怪しい。
しかし母性神話のように、母子の特別な結びつきを疑問視すると何故か反発してくる人がいる。
科学的に確かであればそれは最もな主張だと思うのだが科学的な出典もなしに母子の結びつきを強調してもそれは母性神話か何かの思想に影響された発言のように思えてしまう。
今後も科学的な研究が待たれる分野ではあるが、母子の繋がりを証明出来てはおらず、今のところ可能性は高くはなさそうと思っておいて良いと思う。
2度の妊婦生活と数年の幼児連れ生活をしてみて、主語はデカイが日本人の思いやりのなさに本当に辟易している。
妊娠期間中、電車に乗って優先席を見渡すも空いていることは稀で、座っている人たちは譲る気ゼロ。
これは老若男女に当てはまるし、なんなら小学校高学年くらいの子供も普通に優先席座ってスマホしてて譲らないので驚く。
中には本当に体調悪い人もいるんだろうけど、明らかに元気そうで優先席座る必要ある?という人たちばかり見かける。
個人的には妊娠期間中や具合が悪いとき以外は席が空いていようとも優先席には基本座らないので、譲れないならそもそも座るなよと思う。
しかも先日、ホームで先に並んでいた私を押しのけて優先席に駆け寄って座ったジジイがいてそんなに元気なら立ってろよと。
ちなみに一度、松葉杖の方と同じタイミングで乗ったがその方にも席を譲る人がいなくて驚愕した。
とにかく優先席であっても席は譲ってもらえない。
そしてもう一つ。
ベビーカーで出かけるときいつも遭遇するのがエレベーター乗れない問題。
デパートや駅などどこでもなのだが、エスカレーターか階段で行けるだろう人たちがエレベーターに乗ってしまうためベビーカーと車椅子の人間が乗れない。
1回見送るのは当たり前で、酷いときはエレベーター待ちが並んでしまって数回見送ることも。
頼むからエスカレーターで行ける人はそっちで行ってください…ベビーカーや車椅子はエレベーターしか乗れないんだよ。
もちろん中には「こちらどうぞ」と席を譲ってくださる人もいるし、エレベーターで車椅子やベビーカーに気づき慌てて離脱してくださる方もいます。
そのたびに本当にありがたいと思って懇切丁寧お礼を言うようにしてるんだけど、そういう人は圧倒的に少なくて譲らない人ばかりが目に付くのが現状。
ヨーロッパに在住していて帰国した友人からも「日本の席の譲らなさや子育てを全く歓迎していない風潮は異常」と聞いて、他人に積極的に関わろうとしない日本人の気質もあるんだろうけど、海外から見れば異常なんだろうなと。
これがめちゃくちゃ偉そうに読めるだろうことはわかってる。ごめん。
妊婦って初期はつわりで死ぬほど辛いし、中期は様々なマイナートラブルで体ガタガタだし、後期はお腹重すぎて背中も腰も痛くて動悸息切れもあって立ってるのしんどい。ましてや上の子連れて出かけないとならないときは(ベビーカーでも)尚更キツイ…。
だから譲ってくださってる方々には本当に頭が上がりません。ありがとうございます。とてもとても助かってます。
主語が死ぬほどデカイのは重々承知して書いてるし、譲られて当然!みたいな妊婦様になりたいわけでもなくて、別に私じゃなくても松葉杖ついてる人とか車椅子の人とか乳幼児連れとか老人とか、そういう人たちに席やエレベーターを譲ることがなんでできないのだろうと公共交通機関に乗るたびに日々考えてしまう。
もう少しそういう風潮が変わるといいな。
(※諸説あります)
・大学芋は昭和初期に東大生が考案し、貧しい大学生の間で人気が出たことから名前がついた
・タモリのいいともでの「卓球は根暗だ」という発言から、卓球台の色が青になり玉もオレンジになった
・ガチャピンとムックは師弟関係。ガチャピンが師匠のためムックはガチャピンに敬語
・ルパン三世には不二子との間に子供がいてルパン小僧として連載されていた
・ガラスは水中ならハサミで切ることができる
・伊藤ハムは女子高生という登録商標を取得していたが今は失効している
・猫は魚が好きなイメージがあるがそれは日本だけ、イタリアの猫はパスタ、インドの猫はカレーを食べる
・四葉のクローバーを探すコツは日陰を探すこと(光合成をしようと葉を増やすため)
・昆布が海の中でダシが出ないのは生きてるから。死ぬと細胞膜が壊れダシが出る
中韓や日本の一部の狂ってる層(インター校とかに子供を入れる層)は知らんが、日本の大多数の人間にとって教育費が増えたと言ってもせいぜい子供1人あたり数百万円のレベルだろう。これは少子化の本質的な原因ではないと個人的には思う。
金銭的な観点での本質的な原因は、①不動産価格の高騰と②共働きの一般化だと思う。
①不動産価格の高騰は言うまでもない。東京や都市部ではここ10年程度で、一般的なファミリー層が必要とする家の値段が3000万円程度は上がった。教育費に換算して子供3~5人分と言えるだろう。教育費上昇の効果より遥かに影響が大きい。
②共働きの一般化については機会費用の問題だ。不動産価格が上がったせいもあるが、夫婦共にフルタイムでの共働きをするのはかなり当たり前になった。しかしながら子供を持った途端にフルタイム共働きが実質的に不可能になる状況は大して変わっていない。
そうすると、一度共働きが当たり前と慣れた人々は機会費用を考え始める。共働きを続けた場合の世帯収入の総額と、専業またはパート主婦になった場合の世帯収入の総額との差のことだ。これは定年までの総額と考えると、低く見積もっても1億円に近くなる。教育費の上昇なんかよりも遥かに巨大な額だ。
①と②を合わせてトータルで1億円〜2億円の差が生じる。子供を持たないか1人程度にとどめることでこの分が家計に入ってくると期待されるわけだ。仮に教育費が大幅に下がったところで、子供を2人以上持った場合の世帯収入減少を軽減する効果は誤差レベルと言える。
解決策として考えられるとすれば、教育費なんかよりも乳幼児に無限に手間を掛けるようになってしまった文化の根絶だろう。情操教育だの愛着形成だの発達だのといった言葉に踊らされて子供に手間を掛けまくるのをやめれば働き続ける余裕も生まれるかもしれない。昔みたいに子供は適当に放置して言うこと聞かなければぶん殴って聞かせる程度で育てるようにすればいい。教育費削減なんかより遥かに効果があるだろう。