はてなキーワード: 難病とは
とは言っても世間が言うようなodをしてリスカを載せるいわゆる病み垢ではなく、がんや難病で余命宣告を受けた闘病中のアカウントだけをフォローし、亡くなるまでのつぶやきをただ観察するだけのアカウントである。
ゆえに私は一切つぶやきをしていない。見るだけだ。
このアカウントを作ろうと思ったきっかけは就活時に遡る。当時私は就職活動が死ぬほど嫌であった。40年以上もまともな休みもなく働き続けるなんて考えただけで絶望しかなかった。そんな時、日常垢にたまたま闘病垢のバズりツイートが流れてきた。へぇ。こんなジャンルがあるのか。何となく気になってたまたまフォローしていたら、その人は3ヶ月後に亡くなった。
日々のツイートは闘病者の生きたいという感情が滲み出ていた。その時、私は何となく、仕事で死にたくなったら闘病者のツイートを眺めようと思った。それをきっかけに、100人以上の闘病者をフォローして、今日まで毎日ツイートを見続けている。これまでに何人もの人間を見送ってきた。その度に、私は満員電車の中、心の中で合掌するのだ。
小児慢性特定疾病は788疾病なのに指定難病は338疾病(令和3年11月1日現在)なんだそう、どーなってんだ?これ・・・😥
https://www.gov-online.go.jp/useful/article/201412/3.html
脱税したり無駄金注ぎ込むお金があったら、まずは小児慢性特定疾病を全部難病指定とかしてもいいのにね
こういうの見てると、ワイ障害手帳を貰ってマジええねんか・・・?ってなるが・・・うーん・・・いろいろ心配なので貰えるものは貰う
こういう貰えるものは貰う😌やってるとクソ金持ち責めらんねーな・・・って思いましたが、
いや、でもプライベートジェットで飛び回るとか、国内・国外に複数の家持っているとか、意味がわからなすぎるので
やっぱそれはねーなって思いました
ただ、経済的自由は欲しい。老後の資金も充分ではなく・老後後のキャリアの確立も安心はできていないけど、なんだかなってことの助けになれたらなと思います
一攫千金ネタねーものかしらね、あとAI時代だけど法律は最後まで既得権益として生き残ってくれそうな気するけどどうでしょうかね
こんなこと言ったら今の時代炎上してしまいそうだけど言わせてほしい。しんどすぎる。
私は現在20代で性別は女(なんかこの性別がっていうのも叩かれそうだな、まぁいいか)、散々多様性のことを言ってるくせにどちらかと言うと多様性よりの職業に就いている。
最近テレビでも新聞でも携帯でも、ついには先日読み始めた小説にも「今は多様性の時代」という言葉が出てくるようになった。
あまりにも多様性多様性言われるので正直うんざりしているのだけれどそんなこと言ったら炎上してしまうから言えないが、ここでは書くことを許してほしい。
「今時の若いもんは」「俺たちの若い頃は」、いわゆる昭和の人間と言われる人たちがそう言うと私たちの世代は途端に眉を顰める。「また始まったか」「もう時代遅れなんだよその理論」そんな感情だろう。
私は自分がどちらかと言えば今時の若いもん、に当てはまることを知っているしそれを自覚してもいる、典型的なゆとり世代的思考だと思う。
結婚はしたくないし子どもも欲しくない、人と関わることが苦手すぎてお茶出しさえまともにできず、社会に馴染めないことを自覚して今はフリーランスで仕事をしている。
そんな自分がこんなことを言うと矛盾してると言われてると思うが言わせてほしい、とにかく多様性の押し売りがしんどいのだ。
もちろんいい時代だな、と思うことはたくさんある。私は幼稚園から高校まで通ったが、その間一度も学校を楽しいと思ったことはないのにその自分の感情を押さえ込んだ結果ストレスが原因の難病にかかった。
その時の私は「学校に行かなくなったら終わりだ」「世間ではまともに生きていけなくなる」そう思っていたからだ。だから身体を壊してまでも学校に行っていた。
でも今の時代は必ずしも学校に行かなければいけないという雰囲気ではない。私の親戚の子が学校に行くのをやめて数年、高卒認定だけは取り、今はネイリストとして海外で元気に毎日楽しそうに活動してるのを見ると素晴らしいなとも思う。
周りにも学校に行かなくていい、という言葉を聞いてホッとしたような顔をして自分の好きなことに没頭して夢を見つけて、今はその夢に向かってる人も大勢いる。それを経て確かに思う、いい考え方だなと。
ただそれはちょっと?と思う考え方もある。
典型的なのがLGBTQ(以下のカテゴリはここでは一旦省かせていただく)の問題。
少し前に聞いた話だが、心と身体の性別が一致しない方達の主張。私が聞いたのはトイレや温泉の話だったと思う。
少数派の意見も聞こう、というのは大変素晴らしいことだと思う。この場所のように少ない考え方の人間の話を聞いてくれる場所は必要だとも思う。
では世の中の法律や規定をその少数派に合わせるのか、そうなると話は変わってくる。
学校でも議会でも会社でもなんでも基本的に何か困ったら多数決を取ることがある。それはなぜか、通常意見が多い方が優先されるからだ。
たとえば会社でAという案とBという案があるとして多数決では今回はAに決まった。ただBがダメだというわけでは全くない、だが何かしらの理由があって大多数の人がAがいいと思った、ではAを弊社の意見にしよう。
ここまでが今までの流れだ。ただ最近は「じゃあ少数派の案からこちらにも使えるものを少し取り入れよう」とこうなる、正直これはものすごくいいことだと思う。
人間はどうしても白黒つけたがる、これがよくてこれが悪いと考えがちだがそんな中いいところを見つけてよりよくしていく、素晴らしいことだと思う。
正直最初に多様性の話が出て来た時、私はすごくワクワクしていたのだ。いい方向に変わりそうだぞ、このままいけば、そう思っていた。
ただ、このままではいかなかった。
そのうち出て来た意見は「私はAの案は好きではない、少数派ではあるがB案を好きだと言ってる人はいる、だからB案を採用しろ」これである。
先ほど出したトイレや温泉の話はこれに近いものがあると思う。少数派の意見に合わせろと。その結果何が起きたか、それを逆手に取った犯罪だ。
もちろんLGBTQを全ての人がそうだとは全く思わない、人々の必死の主張を逆手に取る奴らが悪い。それはわかっている。ただこういったことがあるため、感情だけではどうにもならない問題なんだと言うことをわかってほしい。
心には形がない、定義もない、だから何にでもなれるし逆に何にもならない事もある。それはとても素晴らしいことだと思うし、大事にするべきことだと思う。
ただそう言った考え方が恐らく少数派であり、明確な定義ができないということを考えると、それを世論としてしまうにはあまりに危ういと思う。
これは逆の立場でも言えることだ。
どちらか一つの意見を世論にするのは非常に危険だと思う、だからいろんな意見を聞いてそれらをまとめる必要がある。
ただその際に少数派の意見を世論にしてしまうと上記に書いたことが起こったりしてしまうのだ。
ここから少し話は変わるが私はいわゆるバイセクシャルと呼ばれるものに該当して、恋愛対象が一つの性別には限られない。ただ別にその話を誰かにしようとは思わないし、知ってほしいとも思わない。
性別とか恋愛とかそう言ったことに対して隠さないといけない人がいるのはおかしい、という意見も聞くがはっきり言わせてもらう、私はどちらかというと隠させてくれと思うタイプの人間である。
一度飲みの席で「バイなんですよね」という話をしたら、いわゆるそう言った偏見がないとされているバーの店長から「そのこともっとアピールしていこうよ!」と言われた。
なぜ、なぜわざわざそんなことを言わなければならないのだろう。カミングアウトしたい人はしたらいい。同性婚と言われるものも全然いいと思う、ただ全ての人が自分に当てはまるように権利を主張したいとは思わないでほしい。
最初に言った昭和の人のお決まりのセリフ、これは今の時代にも当てはまると思う。
「今はもうそういう時代じゃない、多様性の時代だから」「もう古いんですよその話」私がもし令和よりももっと後に生まれた人間ならばきっとその言葉を聞いて思うだろう、出たまた始まったよ多様性の話、と。
昭和の人間には自分たちの考えを押し付けるなと言うくせに、結局昭和の人に自分たちの意見を押し付けているではないか。
正直、昭和時代を見ていれば同性同士が恋愛をしたり結婚をしたり、何か干渉すれば○○ハラスメントと囃し立てられたり、お笑い番組で体を張ったことをすれば暴力だと言われたり、
そんな時代が受け入れられないことは普通だと思う。だってそれが所謂普通だったんだから。
今の時代にそぐわない考えが理解できないのはわかる、ただだからと言ってその人たちを馬鹿にしたり揶揄したり、それは結局私たちがゆとりだと言われて来たのと同じことをしてるのではないだろうか。
普通という言葉が嫌いなのに自分も普通という言葉を使ってしまっている、こうして私も今嫌ってる人間みたくなっていくんだろうな。
そして結局何が言いたいかわからなくなるまでダラダラ話してしまった、これを見た人は言うだろう「これだから今時の若いもんは」と。
私は難病患者ですが、マッチングアプリで恋人を見つけました。結婚も考えてくれています。
避けては通れない結婚や出産の話題で、わたしが思うことを書きます。
まず前提として、SLE患者だけでなく難病患者の恋愛はかなり難しいものだと言えます。
わたし自身、マッチングアプリを使用している際に、病気であることを告げるとフェードアウトする男性がほとんどでした。
中には、「一緒に支える」と言ってくださる方もいらっしゃいましたが、それでもほんの少数派なのは確かです。
実際問題、介助者がいない状態での難病患者の1人暮らしは、不安が付きまといます。
体調を崩した場合も、家のことや入院する場合は手続き等、すべて自分でおこなわなくてはいけません。
両親もいつまでも元気ではありません。そんな時、近くで支えてくれる誰かがいるのといないのでは、全く心の持ちようが違うと思います。
わたしは幾度と入院と退院を繰り返して、1人で生きていくことの大変さを思い知りました。
人は、1人では生きていけない。
だから、結婚するためにマッチングアプリを使用し、恋人を見つけたのです。
もちろん、結婚がすべてではありませんし、1人で生きていけるほどの強い方がいるのも理解しています。
ここではあえて「結婚したいけどどうせできない」と諦めている方にお伝えしたくて書いています。
寝たきりの方でも、全盲の方でも、結婚している方はいらっしゃいます。
例えば医療用麻薬の類いを使って良いと言う要件があるわけだけど、その中にはもう回復が難しく他に方法が無い場合に限って使うと言うものもある
ここら辺は学会がガイドラインを公開しているから興味があれば読んでみて
https://www.jspm.ne.jp/publication/guidelines/index.html
誤解が無いように添えておくと、ここでは癌の話になっているけれども、他の難病でも考え方はほぼ同じ。痛みを抑えてQOLを上げる事を優先する治療が存在し、それが単に延命治療をする場合よりも寿命を縮めても優先することができると言う話だからね。
殺すために薬を使うわけじゃ無いから。
よくある誤解として、医療用麻薬を使うと即座に死ぬとか、段々と効かなく成って苦しむとか言うのものがある。ガイドラインではそれをどのように緩和して分かってもらうかという事が一章割かれて書かれているけど、ホントマジよくある誤解なんだよ。
猫飼ってる人に相談なのですが、猫の誕生日に何かお祝い事してますか?
昔、犬を飼っていた時に、毎年、ペット用のケーキを買ってお祝いしてあげてて、もちろんお祝いの意味でもあったのだけど、10歳くらいの時に難病を患って、お医者さんからあまり長生きできないよ、と言われたことで、なんとか長生きしてほしいと思って、年に1回、特別なオヤツがもらえるイベントがあるって思ってくれたら、来年まで生きようって思ってくれるかなと思ったから。
実際に、19歳の誕生日を迎えて、寝たきりで目もほとんど見えず、耳も遠くなっていたけれど、喜んで最後のケーキを食べてくれて、それから2週間後にお別れできたので、やっぱり毎年誕生日のケーキを楽しみに生きてくれてたのかなあと。
だから、今飼っている猫にも、毎年楽しみがやってくる特別な何かをしてあげたいと思って。
おめでとうを言えるのも、もうそう長くないので
これが1000万円で売れれば、5年くらいは不自由なく暮らせるだろう
たとえば、月々3000円でその人が死んだら300万円貰えるみたいなのを。逆に70歳まで生きたら100万円貰えるとか。難病の人に手術が成功するかどうか賭けるとか、いろいろ考えられる。
この辺の金額設定は、確率の専門家が計算して、保険会社の利益になるようにする。宝くじや競馬と同じ
これが合法になれば、生産性のない高齢者や障害者などでも経済に貢献できる。
競馬の市場規模は2兆円だが、競馬と違って競走馬を育成するコストがかからないし、保険商品の購入もネットでワンクリックでできるようにすればいいので、もっと行くと思う。
何度もあちこちで書いてるけど大箱埋めるアイドルのライブ行って思ったことと似てる
増田と似た(似てはないかも)思考で、人気アイドル推すより、同程度に好きな人気微妙アイドル推すほうを選んでた
選択権があるという驕りやら、コスパ(席の近さ、覚えてもらいやすさ)が良い、単純に小さな現場の雰囲気のほうが好き
など理由は他にもさまざま
で、たまに大人気アイドルの数万人埋めたり埋まらなかったりするライブにも誘われたり暇だったりしていったのだけど、
凄い区切りのライブの時に、いろんな理由つけていかないオタクの割合が増えればこの景色が見れなかったんだと思って
それ以来、区切りにライブには行くようにしてる。単純に久しぶりだと楽しいのと、昔のオタクに偶然会えたりするのと、後々マウント取るためと
という話はあんまり繋がってなく、それでも寄付とかもそうで、と続けるんだけど、
Aがβだけ支援するのはαに悪い(とか何とか理由つけて)と支援せず
2対2ではなくABCD……Z と αβγ……ω で考えると、どこかで取りこぼしや重複が起き、救われないものも出てくるだろうが
それでもなにもしないよりはいい
今目につくことに支援するという流れが出来ていないと、自分が目についても支援されないという風潮になる
なので、自然災害のピンポイントでもいいし、難病で海外で手術の子供でも犬猫でもなんでもよいので個々が目について救いたいところに寄付したらよいなどと
そのために節約とかまでする必要はないが、節約したとしてその帳尻は内部留保溜めてる企業とかぜいたく品扱ってるまあ経営に問題の無い企業やお店に行くだけだろう
電気代とか節約したり、酒や馬鹿カロリー飯を控えると節約行為自体がプラスにもなるし
もちろん、寄付とか嫌いなおっさんが、地元の飲み屋で飲み歩き、スナックやらラウンジのねーちゃんに金払うのもそれはそれでよい
で、どうしても救えないところが出てくるので、そこは(ある程度)お国でなんとかしましょうと
残酷なことだけど、国の制度では救いきれず(そこを拾いだすと莫大なコストがかかってしまう)、さらに募金も集まらない、みたいなケースも残って当然
寄付募って生きながらえるなんてあさましいと考える人間、そういう親元に生まれてある意味であがいてもらえずに見捨てられた形になる難病の子供も居ても仕方ない
対策の目的が災害自体に生き残るか、避難生活を乗り越えるか、増田の目的次第だが避難生活を乗り越えるなら物資の備蓄は基本として、山道縦走できるくらい歩けるなら次点で金を貯めるだと思う。
金さえあれば避難の選択肢が広がる。避難解除までどれくらいかかるかわからないが1か月以上の滞在費くらいは欲しい。
歩けるけど体力がないっていうなら今から体力つけるのがいい。俺はスポーツのほかに有事に備えてトレイルランや山登りをしている。
それらが被災時必ずしも役に立つとは限らないとわかっているが、体力はないよりはあったほうがいいだろう。
避難所生活をするにしても体力の余裕は気持ちの余裕につながる。
避難所生活と割り切っているのであればほかの人に貸し出せない、借りられないものを自前で用意するのがいいと思う。
消耗品はよっぽどのことがなければ分け合うことになるだろうが、ある程度身を切ったほうがほかの人から受け取りやすくなるだろうし避難所生活もやりやすくなると思うので他の人に分ける前提で用意するのはありだと思う。というか分け合ったほうが絶対得。
・車
・発電機
車持っていないならこっち。モバイルバッテリーだけでは話にならない。
ネッククーラーや空調服つかえるといいね。容量によってはポータブル冷蔵庫にも使えるが、発電機が大きすぎて避難に支障をきたしては本末転倒なので用意するものは増田の体力次第。
・ろ過装置
言わずもがな、夏場における水不足は冬場のそれより死活問題だろう。
灯油やガソリンもある程度用意できればいいが多すぎると盗難リスクが出てくるから管理できる稼働が次第。
まあ電力や燃料などのリソースがあれば好きにできるだろう。
それよりも
水害の教訓?ねーよそんなもん。
んなことあるか、もっと探せ。地域の資料館なり図書館なりに過去の資料残ってんだろ。教訓は自分で見つけるものだぞ。
増田が自分で何一つ見つけられないパープリンならほかの大人に考えてもらえ。
なんか一橋行った同級生が内定決まらない就職浪人するかもって凄く病んでて、
「今どきは高学歴でもそんなこともあるんだなー」って親身に話聞いてみたら
どうやら「(一橋卒に相応しい超大手優良企業以外は全く受けてないから)内定が決まらない」ってことみたいで、
俺専門卒なんだが、「え、俺らが行ってるみたいな大多数の中小受けたら一瞬で終わるやんしょーもな……」って内心めっちゃ思いながら聞いてた。
この手の奴の悩みってその人が苦しんでいる状況よりもより下層にいるけど普通に生きてる人間はどういう気持ちで聞けばいいんだろうな、
99%の男を足切りしてるから婚活で苦労してる女とか、結婚というハードルを乗り越えた上で子育てに悩む夫婦とか、大手しか受けてないから内定決まらない就活生とか、慶応落ちて学歴コンプに悩む明示大学生とか、
言っちゃ悪いけど、医学部入試の差別で点数下げられた人とかのニュース聞いても「多分医学部なんて目指してる時点でこの人達が落ちた先に待ち受ける人生って今の自分よりずっと上位に存在するんだろうな」って思うとなんとなく同情する気が失せてしまった。
どこかの美人が「私には私の地獄がある」なんて発言をしてたけど、とはいっても「じゃあもし自分程度のブスになれる機会があったら今抱えてる悩み全部開放されるけどなる?」って聞かれたらそんな奴いるわけないわけで、その時点で自分の方がずっと悲惨度が高いのでは?って感じてしまう。
いやこれが「難病で常に歯が痛い」みたいな悩みであれば金があるモテるとかで解消できる問題じゃないし、別軸で同情できるのだが、
なんか似たような感じで生きてたけど、ある日とつぜん原因不明の難病を発症したからマジで人生わからん
最初は意味が分からなさすぎて現実を受け入れられなかったもん(医師がなんか難しい診断名を言ってるのを聞いて、こいつ何言ってんだ、よりによってこの私がそんな聞いたこともない希少難病になる訳ねーだろ?とガチで思った)
健康的な食事や生活することは病気のリスクを低下させることはできるけど、ゼロにすることはできない
「健康に良いこと」にこだわって生きてたからさ、治療薬として必要不可欠なステロイドの内服も抵抗あったもん
内服ステロイドによる副作用のデメリットよりも、抗炎症・免疫抑制で身体を守るメリットのほうが上回るって医師から言われても、それまで医薬品と縁のない生活してたからすぐには受け入れられなかった
でも最終的には受け入れたんだけどね