はてなキーワード: 利益とは
恣意的という言葉の意味を説明するにあたり、まず、この言葉の語源に着目せねばなりません。「恣意」という言葉は、「恣」と「意」という二つの漢字から成り立っています。「恣」は、「ほしいまま」「みだりに」という意味を持ち、「意」は「思う」「考える」という意味を持つ、いわば、cognitive functionを表す言葉であります。
ゆえに、「恣意的」という言葉は、「自分の意思や欲望に基づいて行動する」という意味合いを持つのです。しかしながら、この言葉が持つニュアンスは、単に自分の意思に基づいて行動するということだけではありません。むしろ、「恣意的」という言葉が使われる文脈においては、その行動が、社会的な規範や倫理、あるいは、客観的な事実や論理に反しているという含意が込められているのです。
例えば、政治家が自分の利益のために公共の資金を使った場合、それは「恣意的な行動」であると言えます。また、科学者が自分の仮説を証明するために、都合の良いデータだけを選んで発表した場合も、「恣意的なデータの選択」であると言えるでしょう。
このように、「恣意的」という言葉は、主観的な欲求や意思に基づいた行動が、客観的な基準からは逸脱しているという状況を表す言葉なのです。それは、言わば、個人の ego が、社会の norm を超越してしまった状態を指す言葉だと言えます。
この言葉が持つ意味合いを深く理解するためには、哲学や倫理学、さらには心理学や社会学といった、様々な学問分野の知見を総動員する必要があるでしょう。そして、その理解を通じて、我々は、個人と社会の関係性という、人間存在の根源的な問いに対する洞察を深めることができるのです。
この回で、寅子の父親(直言)が告白した色々に娘の寅子が「は?」って顔して、最後にはいい話で終わった。
直言がやったことの何がダメかわからない人もいそうだけど、パターナリズムだからです。
パターナリズムとは、
”権威ある人間の考え、行動が第三者のために決定し、その結果第三者はアドバンテージを得るかもしれないが、人生の自己決定責任を持てなくなる”
日本語では家父長制と訳されることが多いが、日本旧来の家制度を軸にした家父長制とは意味が異なる。
「最年長の男性が家族の長である社会。または、彼ら自身の利益のために能力や権力を行使する男性によってコントロールされた社会(ケンブリッジ辞書)」
なのでまた違う。
家父長制だから父親の行いというわけではなく、構造なので当然のように女性もその構造内で権力をふるいます。
姑や中高年女性が、若い女性や息子の妻に「男性優位家父長制のわからせ」するのが家父長制構造です。
話を戻して、寅子の父親が「娘のために」いい結婚相手を勝手に決めたり、配偶者の死を隠すのは、
娘の自己決定権を侵害し、人権を軽視し、所有物として扱う、してはならない行為。
それが、「娘を可愛がってくれるいいお父さん、いつも優しい、味方の、弱いところもあるお父さんが良かれとおもってやってしまった、本人も反省している」であっても
「お父さんだけが私の味方だった。ありがとう。しかしそれはそれ、これはこれ。私に対する侮辱であり許せない。よくしてくれたことのバーターにはならない。これからの私にも娘の代にも誰にも絶対させない」というジャッジと批判が必要だ。
日本ではお気持ち人情で構造的邪悪もグロスで許して安いいい話にしてしまいがちで、NHKもそういう価値観に迎合しているのだろうけど、
ダメなものはダメとやりすぎなくらいしっかり指摘していかねばならない。
NHKにそういうレベルとバカにされているから、ああいう報道をされているわけだし。
男性の弱さ愚かさゆえに女性や子どもの人権が踏まれるのを許していてはダメで、
社会構造的に男性は権力勾配の上にいるので、愚かで弱いことはそれだけで悪なんですよ。
優三さんという「都合のいい男」の使い方にも問題がある。
必要なのは「何でも許して受け入れて応援してくれる都合のいい階級の低い優しい男(女)」ではなく、
都合が悪くても思考して個として敬意をもって互いに対話と交渉ができる人間同士の関係だから。
弱さ愚かさを謝罪するのなら、責任を取ってさっさと妻や娘の無料衣食住マネジメントでもするべきで
「お父さん」の座でヨイショされながら謝っていい話にするのは全くもって違う。
https://x.com/Yuki27183/status/1795382218057289977
広告は対価などという馬鹿げた言説の弊害ですね。サイト支援のために広告を見るというのもある意味同じです。広告の役割を忘れています。
https://x.com/Yuki27183/status/1780197976721482047
すごく当たり前のことを言いますが、広告というのは何かを広告するためにあるんです。サイトが利益を得るのは結果であって目的ではありません。最近は減りましたが、収益にならない広告バナーを貼っているサイトもありますね。
本来、広告は閲覧者にとっても潜在的に有用です。「広告は対価」論がダメなのは、広告の役割に目もくれず、単にサイトの収益化手段としか見ていないうえに、対価と呼ぶことで「広告」を有害なものと認めてしまっている点です。
https://x.com/Yuki27183/status/1795384982342652162
ウェブではサイト運営者と利用者の利益は対等ではありません。利用者の利益が優先されます。https://w3ctag.github.io/design-principles/#priority-of-constituencies
おなじみのhttps://www.w3.org/TR/ethical-web-principles/#renderもそれを踏まえて読んでください。
純粋な疑問としてさ
インボイスって今後の技術次第で、コストかからずにスムーズに導入出来る余地あるやん
なんでわざわざ利益が損失を大きく上回るような段階で導入しちゃったんだ?
理由はなに?
「俺を虐げるな」=「無条件で俺を世話して性処理をする女をあてがえ」
そもそも、誰かがそう主張すること自体は自由です。その主張を議論の俎上に載せて対話するのが民主主義です。もちろん、こんな主張を議論に乗せれば、それが通らないことは自明です(1人の人権を保障するために1人の人権を犠牲にするのでは社会にとって問題は何も解決しないからです。一般的に言って、無辜な何者かの生活を犠牲にすることによる解決は、少数意見を尊重する真っ当な民主主義においては認められる主張ではありません)が、それはそれとしてその「主張をすること」は自由であり権利です。逆に、その意見を封殺することは非民主的な行いです。
従って、
という態度は望ましくありません。意見が荒唐無稽だとしても、両者の意見のすりあわせと妥協点を探る(女性を奴隷にせずに、「俺」さんが「虐げられていない」と考える道は本当に無いのか?など)態度が民主主義です。このように、民主主義を標榜するなら「俺を虐げるな」などと言う人と対話しようとする姿勢が必要です。もちろん、相手がマサカリで武装しているなら、対抗言論上多少きつい言葉を使うことも許容されるべきでしょう。しかし、少なくとも人権と民主主義を尊重する近代人のふりがしたいなら、対話すべき相手を人間以前の生き物のようにレッテル貼りして言論を封殺しようとするべきではありません。そういう( 「弱者」男性に対する )マッチョな振る舞いが一部界隈では人気を博すのかもしれませんが、それは人権に名を借りたただの差別主義です。
差別主義とは何か。それは、社会に、本来は存在しない見えない線を区切ることです。そのような見えない分断は多くの人にとってはただ不都合でしかありませんし、特に、その区切りによって不利益を被る側には耐えがたいマイナスですが、その分断を強く主張し主導する人々にとってはそれが権力の源泉となります。たとえばエセマナー講師は、わかりやすいその一例です。奇妙なマナーを提唱して、社会を「"マナー"を知ってその通りに振る舞う人/"マナー"知らずで無礼な人」に区分けする、多くの人にとってはただ面倒が増えるだけですが、マナー講師にとってはその「社会全体の不利益」がそのまま「飯の種」になります。「流行・ファッション」などというのも、多くの場合これです。しかし、流行・ファッションを飯の種にする人は多くいて、そうなるともうこの「流行」なるものは実態のように振る舞い始め、被搾取者だけでなく受益者まで巻き込んで様々な悲喜劇を引き起こします。「文化・伝統」「宗教・信仰」もその類いであることは言うまでもありません(本来は信仰の守り手として受益者であるはずの行為の宗教家が、狂信者となることでどんな悲喜劇を引き起こすことか)。
ここで、しっかりと区別しておきたいことは、私はこのように振る舞うのが「好きだ」、私はこのような服装が「好きだ」、私はこのような文化が「好きだ」、私は神様を「信じている」……それは差別主義ではありません。しかし、人はこのように振る舞う「べきだ」、このような服装をする「べきだ」、このような文化を守る「べきだ」、誰もが私の神を信じる「べきだ」……となると、それはもう差別主義に足を踏み入れています。なぜならそれらは、そうする人としない人を区分けする考え方であり、しばしばまさに「区分けするため」になされる主張だからです。敵と味方にわけて闘うための思考が差別主義です。差別主義は戦いからこそ利益を得るのです。
同じく、私は人権を「大事だと思う」、人権は「大切だと思う」、はただの選好ですが、誰もが人権を「尊重するべきだ」、人権を守る「べきだ」、人権を信じる「べきだ」、人権に則って振る舞う「べきだ」……は、ここで言う差別主義に当たることになります。一見人権を大切にする結構な主張に似て見えますが、それらは社会に分断をもたらすことで結局は全体に不利益を与え、見えない壁を作り、そしてそう主張する者だけがそこから部分的な利益や権力を得る、そんな行いだからです。人権も民主主義も、この社会の構成員全てを等しく扱う考え方であり、「敵/味方」という思考法から最も遠いはずのものですから、「彼らは民主主義の敵だ」とか「我々は人権派だ(あいつらはそうではない)」といった主張は、本来存在するはずがないのです。
私たち一人一人は、弱く愚かです。間違いも犯す。だからこそ、いろいろと問題のある中で民主主義が選ばれ、尊重されているのです。たとえ自分が民主的で人権を尊重する人間であると自負していたとしても、私たちは不断に自らが本当にその名にふさわしい振る舞いをしているか、再確認する必要があるでしょう。人権や民主主義はありがたく飾っておけばすむ錦の御旗などではなく、常に実用の最前線にあり、限りない問いかけと異議申し立ての中で磨きぬかれてきた存在なのです。
市場の実勢価格と乖離した、買ってすぐに転売して利益が出るような(特に不動産はもろもろコストが大きいのにそれでも利益が出るような)価格で売り出した都が一番悪い。そこをちゃんとした実勢価格で売り出していたら、もっと都に資金の余裕が出来て、それを使って内地にまともな低所得者向け住宅を整備できたであろう。そもそも低所得なファミリーでは手の出ない価格帯のマンションなんて福祉政策にもならないんだから、都が直接供給するべきものではない。既に現物がある跡地利用だとしても、いったんまとめて業者に競争入札させるべきだった。都の財産を廉価で販売するというのは都民に対する背任行為なんよ。
現代の日本社会は有能なやつが能力に見合った報酬を得られる、能力と対価の交換が非常に効率的な社会になってるから、有能なやつがデモや一揆する下級側の組織に入って利益を得ることがない
なぜなら優秀なやつは稼ぐチャンスが豊富で稼ぐ手段も複数から自由に選べるから上級になりやすい
社会を変える力のある規模の組織的大規模デモや一揆は、優秀なやつが組織の下級側に燻ってる構造じゃないと起きない
優秀なやつは自力で成り上がるチャンスが一昔前に比べて爆発的に増えてるから下級で燻りづらい
一昔前は出身や学歴、人種、階級による差別が強く、優秀な人間が下層で燻る可能性が低くなく、知能が高くて優秀な下級が団結して社会変革を起こすことは可能だったが、
国境がほぼなくなり情報も海外から得られて移動の自由も保証された現代では、優秀な人間が上層に階級移動し、無能が下層に下落する社会効率が非常に高くなった。
なので社会を変えるような大規模デモは組織されない。何故なら、大規模組織を維持運営できるような有能は既に起業していたりして対価を得ることができる世の中になっているからだ。
そして無能は団結できないし、大規模組織を維持運営することはできない。無能が何百万人何千万人いても、彼らは団結できないし組織をつくることはできない。
だから自民党は下野しないし、多数決で議員が選出される議会政治で圧倒的多数の経済弱者が主導権を得ることができず、圧倒的少数の強者に主導権を渡しているのだ
https://www.nhk.or.jp/shutoken/wr/20240527a.html
私は晴海フラッグのあの激烈な抽選倍率の中運良く当選し、暮らしている者である。
抽選に申し込んだ部屋は確か五十倍程度だったと記憶している。それでも私が申し込んだ販売期においては倍率としては中ぐらい程度であった。
確かに価格としては割安で一億の部屋が七千万から八千万程度で買えるものではあったのだが、それにしてもここまで人気になるほど住みたい人がいるものなのかと驚いた。
それはただ金を持った法人や投資家やらが札束を振りかざして応募をしまくっていたと言う訳だった。
何という倫理観の欠如だろうか。
確かにルール上、応募に関しては「当選したら購入が出来る範囲の件数であれば問題無い」とされていた。
故に投資家や不動産屋が、一般の個人では到底出来ない数の応募をすること自体はルールに反していない。
しかし、そこで立ち止まって考えてほしかったのだが、それは経済的には正しい行為だろうが、人間として正しい行いだろうか?
晴海に住みたい一般家庭、私のような庶民は一件しか応募出来ないわけである。二件入れて二件とも当たってしまったら生活が破綻するのだから当然だ。
そこをすぐ高値で転売する前提で、投資家や不動産屋が大量に札を入れてきたらまず当たる訳がないのだ。私が買えたのだって奇跡だと思う。
そうして、本当に買って住みたい一般庶民を金の力で押しのけて、手に入れたマンションを高値で売り抜けようと必死に今彼等は画策している。
マンションの付近には「晴海フラッグ○○円です! 御電話はこちらまで」のような、捨て看板が掃いて捨てる程置かれ、それの値段を見ると買値から四千万近く乗った金額なわけである。
まず捨て看板は行為として違法であり何という恥知らずだろうか。当然捨て看板には正式な法人名は書かれていない。電話番号も050と明らかに販売主体の法人に結びつかないような番号になっている。
本当に欲しくて使いたい人を金の力で押しのけたお前らは、金の亡者である事を自覚しろ。
ルールとして出来た事かもしれないが、倫理がある人間はいくらお金があってもこんな事はしない。
そうしてただ金だけがあり、人の気持ちを考える事をしなかった彼等のせいで、どうなったか。
街は寂れたのである。
晴海フラッグは今ほぼ誰も住んでいない。体感では2割程度しか住民がいない。
私が住む部屋の両隣は空き部屋である。上は住んでいる気配があるが下は分からない。
夜晴海フラッグを歩くと、マンションの明かりはぽつぽつとしかついていない。
新しくできたららテラスも常に活気が無い。客もまばらで平日夜の飲食店などどこもガラガラである。この近辺では他に飲食店は無いと言うのに。
ららテラスから試験的に運行されていたららぽーと行きの無料シャトルバスも廃止となった。乗客が少なかった事が原因だろう。当然だ人が住んでいないのだから。
いずれテナントも撤退を始めるだろう。そうなれば、晴海フラッグの近くには何もなくなる。本当に何もないのだ。
「まともな」商業施設と言えばららぽーと豊洲であるが、歩いて四十分近くかかる。頼みの綱のららぽーと行きのバスも、上述した通り無くなった。
BRT(使いやすいバス)は運行前にこそ増便が叫ばれていたが、実際始まってみればその声は無くなった。当たり前だ人が住んでいないのだから。
そして結果二十分に一本しかBRTが無い。どこの地方都市だろうか。
そうしてネットで晴海フラッグを検索すれば、賃貸やら売買でとんでもない件数が募集されているわけである。
全て金の力で庶民を押しのけ、ただ金が欲しいと言う感情だけで買った転売ヤー達の物件である。
そしてどれも呆れる程高い。
お前らの物件に人が住んだり、買うわけないだろ。だってお前らのせいでゴーストタウンになっている訳なのだから。晴海の魅力をお前らが消している訳だから。
こうして晴海フラッグは活気が無い、人の居ないゴーストタウンになった。
さて、こうして街を一つ殺した転売ヤー達、こいつらにこれからでも対抗、天罰を与える方法はある。
賃貸も売買も街が死んでいる以上全て割高なのだから、そもそも住むべきではないが。
彼等は高値での転売を目論んでいる。当然高値で買わなければその目論見は潰せる。
賃貸で出しているのは恐らく、税金対策だとかそんな所だと思うが、それも賃貸で借りなければ彼等の目論見は潰せる。
もし長期的にこの物件を空のまま持つ事になれば、バカ高い管理費・修繕積立金など(月十万近くする)で、彼等を大損させる事が出来る。
そうなれば彼等は安値でも売らざるを得ない。彼等は利益を求め晴海フラッグを買い漁ったのだから、買い手が付かなければどこかで諦めなくてはならなくなる。彼等の中には融資を受けて買っている者も少なくないだろう。管理費に加え金利も損失として膨らませる事が出来る。
そう、奴らに対抗すべく、買わない、借りない、つまりこの街に住まない。これをやるべきなのである。
じきに、彼等はギブアップをし始め、物件は売出し当初の価格、一般庶民でも住めるような価格へと戻るだろう。
そうすれば10年20年後ぐらいには住みやすい街になってるかもね。
売って引っ越したら?と心配のコメントをいただくが特に売るつもりは無い。今もそして将来もだ。
そしてもし仮に今売ったとしても、実は税金面(個人は不動産短期譲渡をすると40%の課税がされるし、取得に関する税金も払っている)や仲介手数料、短期返済違約金で、利益の大半が失われるからだ。
それに晴海フラッグを売ったところで次にどこへ引っ越せば良いという話である。マンションはすでにバカ高くなっている。
最初から転売するつもりのカス転売ヤーには無い問題が私達住民にはある。奴らは法人で買っていたり、賃貸で5年持つことで税金面の問題を回避し、実際に住まないのだから次の物件についてや家族について考える必要も無い。
そしてそいつらのせいで私たち住民は割を食っている。街の発展性が失われている。このままでは街が寂れ完全に死に絶えるかもしれない。
ならば死なば諸共だ。
大学2年生になった。
最初の週から既に休んでしまって、既に5回も休んだ授業が9割になってしまった。
夜更かしは中高よくしていた。そのせいで度々遅刻していたが、寝坊をしたら必死に急いで準備をして家を出て、登校し、1時間目もしくは1時間目が始まる前の休み時間、朝読書が終わったあととかに登校していた。
なのに今は寝坊しても急ぐ気が起きない。
去年の夏、あまりにもお金がなかった私はガールズバーの求人に応募した。そしたら、セクキャバで内容はほぼ風俗だったのだ。めちゃくちゃ分かりやすく騙されたが、出勤するだけで5000円以上は貰えていたので少し続けた。しかし、プライドの高いお金持ちに隙を見せたら席で挿入された上に店外要求までされた。挿入されたのだから何か私に利益がないと!と焦ったのが悪かった。店外で2回会うがほぼあんなのはレイプに等しい。今まで使ったお金を返せと父と同世代に怒られ恐怖で許しが欲しい一心でホテルに着いてくのはとても悪かったと思っている。その後もう会いたくないため全て無視して店に相談したのも悪かった。鬼電は来るわ、脅迫に近いLINEは来るはで怖かったのだ。店の人にも怒られるし、ただ優しかったので別エリアの店舗に行き少しハードな店に入った。多分ここからおかしくなったというかなんというか、凄く、削れていく感じがした。
これ以上は書かないが、ソープまでは行かずとも、な感じである。お金は貰える。それに見合った内容ではあった。
ここで男に身体を差し出し身近な人には相談せず抱えてた色々がある上で、学祭で自分の所属する2サークルに板挟みされ、疲れた。
バイトがなければ大学に行き、大学がなければバイトに行き、趣味のものを隙間に入れる。そうすると休みがないのだ。
休みを無くしてるのは自分だ。病院や美容院に回すお金もあまりなく、しかしながら食欲はあるので食べ物は買う。物価高により食品も安くはなくなってきた。
サークルの飲み会もちょくちょく行くのもお金的にとても良くない。
しかしながら、行かなかったら後悔があるし、自分がこれ以上嫌われるような気がして行ってしまう。あと、楽しそうだから行ってしまう。
今まで私はがんばって高校まで過ごした。
高校は1時間。中学は30分。小学校は20分。家を出たら着くのはこの時間だった。
大学になってから不登校になるぐらいなら、今まで1回ぐらいなっておけば良かった。この先どうしたらいいんだ。学校に登校してないことを親にも言ってなければ、奨学金も貰えるのか分からない。
かつ、奨学金も将来的に返さなきゃならないが、私は返せるのだろうか。
このまま就活もしっかりできるだろうか。将来の職業のために大学に入ったのにこのまま大学を辞めたいとは思わない。
一人暮らしをしたくても家にお金が無いらしく言い難い。辛い。辛すぎる。
推し活にもお金がかかるし、大学での暮らしのためにもお金がかかる。
私はまだ恵まれてる方だから、あまり文句を言うべきじゃないし、定期代とプラスで少しはお小遣いをくれるし、欲しいものはある程度は貰えてるので、こんなにも欲のためにお金が欲しいと思っているのは、良くない。良くないけど。思ってしまう。
こんな考えを中高でも少しは考えてた。だが、中高の頃はしっかり学校に行ってたのに、今の私は起きられなければずっとTwitterかYouTubeショートを見ている。今まで以上に。おかしい。どうした。今まで、どうして人間らしく生きていたんだ?
東京って都知事選に限らず、アレな人が出馬したり当選する事が多い土地柄なのよ
なんでかっていうと、東京って政治家が何もしなくても人や物や金と言う「利益」が集まってくる場所だから。
だから政治家の力量による勝ち負けではなく、知名度による勝ち負けになっちゃう。