はてなキーワード: レーベルとは
ラノベといえば書き下ろし文庫、と言われていたのは2000年代くらいまで。
というか、そんときでもC☆NOVELSファンタジアとかトクマ・ノベルズEdgeとかはあったわけで。
レーベルによる分類はともかく、文庫本サイズでない、新書サイズ(ノベルスサイズ?)の本をラノベにカウントしてんのが違和感。
ライトノベル・オールタイム・ベスト100を考える - WINDBIRD::ライトノベルブログ
https://kazenotori.hatenablog.com/entry/2024/04/14/210537
古の出版社業界では新書サイズのがライトノベルだったんだろうか?
そうするとライトノベルってマジで定義し辛い何かになってしまうが
もしかして宮部みゆきや京極夏彦をラノベって言っていたのは単なる嫌味ではなく本当にラノベと思っていた…?
具体的にどれ?と言われたので幾つか上げておく
https://kazenotori.hatenablog.com/entry/2024/04/14/210537
自分が本読んでた時期は少なくとも、アニメマンガ調イラストの格安文庫本のレーベル=ライトノベルと言っても問題ない状態だったのでこういう違和感を覚えた。
最近のは確かにソフトカバーのも多いけど、「空の境界」の講談社ノベルス版が出た頃には色々反発有ったことを考えるとノベルスってのはライトノベルとは相容れないジャンルなんだなって印象が強い。
「ジャンプルーキー!」っていう漫画投稿サイトがあって、そこでは「連載争奪ランキング」ってのがある。
「連載争奪ランキング」で人気1位になった作品はジャンプラで「インディーズ連載」枠として連載できる。
このシステムの成功例としては『ラーメン赤猫』とか『幼稚園WARS』があるが、そういう一部の成功例を除けば作家はアマチュア中心なので、そのクオリティも粗挽きなことが多い。
ジャンプラの読者層とも違うため、ルーキーではウケたものの連載時には鳴かず飛ばずってことも多々ある。
しかし『群青幽霊』の問題点はクオリティではなく、その内容がルーキー時とかなり異なっていたこと。
その作品が人気で連載権を得たのに、連載するのは違う作品ってのは、アリなんだろうか。
編集部が内容の確認をするって規約にも書いていて、それでこの作品が連載しているんだからアリってことなんだろうけど、ルーキー時からその作品を追っていた読者(連載権獲得に貢献した人たち)からすれば期待外れだろうね。
そうして“満を持して”連載された本作は1話から閲覧数が少なく、物議を醸すほど注目されてもいないんだけどね。
いわゆる「なろう系」と呼ばれるジャンルってアマチュア発のレーベルなこともあって、ある作品の設定や物語構造が流行ると皆それに乗っかって、検索で引っかかるよう関連付けして閲覧数を伸ばすって潮流がある。
結果、先駆け作品を表面上だけなぞったような、似たり寄ったりな作品が蔓延する。
まあ、これはなろう系に限った話ではなく、ジャンルや構造が同じなら似てる部分が多くなるのは当然で、その括りでパクリだなんだっていうのはナンセンスだと思うけれども。
それに、その程度のことは些末な問題だとメインの読者層も理解しているので、大半は“なろう系の手あか”を気にしたりしない。
でも、それが手垢まみれになると『田んぼで拾った女騎士、田舎で俺の嫁だと思われている』という作品ができる。
これの序盤がね、『俺んちに来た女騎士と田舎暮らしすることになった件』って作品と似すぎてるんだよね。
それぞれ原作とコミカライズ版があって、どちらとも『俺んちに来た女騎士と田舎暮らしすることになった件』の方が先にでている。
特にコミカライズ版は絵がついたことで、余計に似ている部分が顕著になっている印象。
両作品とも序盤の数話は無料で読めるんで、気になる人は検索してみるといい。
フォローしておくと、似ているのは序盤だけで以降は独自のストーリーを展開していくので、頭のてっぺんから足の爪先まで“やってる”とまではいわない。
作家を目指して、みんなが好きそうなものを書いている。読者は順調に増え、評価も安定してきた。そんな中、好きなレーベルが賞レースを開催。応募しようと要項を確認して、直近の、一つ前の賞レースの受賞作をチェックした。そのほとんどはweb小説からではない作品だったが、一つだけweb小説から受賞しているものがあった。全く人気作じゃなかった。ただ、完結して人並みの評価を得たというだけの作品。読んでみると、とても面白かった。これだ。俺が目指していたのは。
どうやら、数字に捉われすぎていたらしい。そもそも、俺は何故、ランキングに入れば書籍化できると適当に考えていたのだろう。無名のレーベルから本を出して本当に嬉しいか?表紙に金をかけないレーベルもある。それに、書店に並ぶその自分の本を見て、自信を持って自分の作品だと言えるのか?書籍化のことばかり考えて、その先のことを考えてなかった。
俺は今、書きたかったものを書いている。急に作品の毛色が変わったからか、なかなか評価はされていない。けど、今はそんなことはちっとも気にならない。
日本の漫画文化は普通に出版社の雑誌文化の貢献が9割以上あるよ
200円以下で毎週読める数百ページの子供の雑誌があった国なんて日本だけ
それも道徳的や教育的な話に限らず何でもありでエンタメに振り切っていた
「子どもたちが待ってる!」を錦の御旗にして漫画家を缶詰にしてまでして原稿を落とさせないように描かせ続けて読者の漫画熱を冷まさせなかった
その雑誌を日本全国に遍く届けられたのは巨大取次による返本制度と物流トラックに便乗して本を届ける世界唯一の格安配送網があったから。
そうした土台があったからジャンプ黄金期も生まれてドラゴンボールも輸出され今のクールジャパンで世界的アニメ漫画ブームにもつながるわけだが海外では一部の研究者くらいしか日本の漫画雑誌文化の歴史に言及がなくて寂しいね。少年漫画と少女漫画の違いすら説明しても分かってもらえない。
スレイヤーズのTogetterまとめみてたらしたくなってきたー!
ということでしていきます
そもそもライトノベルの歴史というものを語る時に、ライトノベルというものが「オタクカルチャーの交差点である」という事実に目を向けなければなりません
ライトノベルというのはとかく、他のオタクカルチャー(漫画、アニメ、ゲーム、鉄道、ミリタリー、最近だとVtuberとか)にめちゃくちゃ影響を受けやすいジャンルです
まず前提としてライトノベルの前身として、「時をかける少女」や「ねらわれた学園」などのSF的なジュブナイル小説があり、
「なんて素敵にジャパネスク」を書いた氷室冴子や新井素子の諸作品による現代の口語体を使った文体表現を使った少女小説があり、
D&Dが日本に来て、派生のゲーム群であるドラクエやらFFが売れたりしたおかげで、TRPGが流行、それらのリプレイ集も人気になり、
さらにアニメで「機動戦士ガンダム」が爆発的なヒットをして、それのノベライズ(監督自身の描きおろし)も人気になり、
こういったものを一緒くたにまとめて扱ってたのが、角川スニーカー文庫であり、富士見ファンタジア文庫であり、角川の内紛やらで派生した電撃文庫なのである
つまり、レーベル説的な史観から見ると、その出自自体がオタクカルチャーのカオスの中から生まれたのがライトノベルなのだ
で、この中で出てきた「スレイヤーズ」がなんだったかというと、これらの要素を一通り取り込んで、かつ、「TVアニメ化」して大ヒットした作品だった、というところである
上に書いた通り、ラノベレーベルというのはリプレイ集だったり、ノベライズといういわば「メインのコンテンツの傍流」としての側面があった。
なので、オリジナルコンテンツ自体は作っていたにせよ、あくまで、二次的創作としての見方が強かったものであった。(ロードス島も元はTRPGリプレイの派生であるので)
ところが、そこから出た「スレイヤーズ」という作品は主人公のリナの視点の口語体で進行して、
ゲームのファンタジーのお約束を茶化すようなメタ的なコメディ雰囲気を持ちつつ、
そして強敵とバトルでの少年漫画的な要素という属性全部盛りながら、それをうまく調和した作品となっていた
つまり、傍流であったものの中からオリジナルな作品が生まれ、それが本流の方で大ヒットしたという意味で「スレイヤーズ」はライトノベルにおける大きな意味があったと言える
で、これが売れたおかげで、何が起こったかというとライトノベルで一攫千金できるやん!というバブルが起きて、90年代後半から00年代のライトノベルオリジナルの作品群の発生につながっていくという流れになる
これは個人的な見解になるが「元祖」というものを考えた時におそらく「ライトノベルの表現の元祖」というものを考える人は多いだろう
だが、何度も書くがライトノベルはそもそもその表現手法自体も他オタクカルチャーの影響を大きく受けるのでその起源や由来があまりにも複雑化している
なので、「スレイヤーズ」というものを評価するなら「ライトノベルの元祖」ではなく「ライトノベル文化が醸成していく上での(資金的にも、コンテンツ的な認知度としても)起点となった」という評価がよいかなと思う
それであったとしても、「スレイヤーズ」自体がライトノベルに与えた影響はいささかも揺るがないのだから
※2024/02/19
・少女小説のくだりでタイトルが間違っていたところを修正。すまんやで。
・あと富士見ファンタジアの発生の指摘があったからそこも修正。この辺り、角川のごたごたも相まって本当にござるか~?があるので助かる
ジャンプはそもそも編集部に男しかいないというのは有名な話だね。
あれはあれで業界の中でも特殊過ぎる環境なんじゃないかなと思う。わからんけど。
有名少年誌ほど連載志望作家が掃いて捨てるほどいる状況じゃないだろうから編集側が強く出れなさそうだし、作家のメンヘラ率も高そうだし、ってとこか
有名誌以外のレーベルはどっちかというと同人上がりのセミプロ/半分素人みたいな作家が多そうな感じが話を聞く限りする。
そういう作家は有名誌で連載取れるレベルでは全く無いので、むしろ編集側の方が強いと思う。
あれ一ツ橋グループだし。出版社のなかでも小学館ってまぁトップの一つだし。スポンサーもしてるわけだし
漫画産業が膨らみ続ける電子好調の出版社と違ってテレビ局は斜陽産業すぎる。
まあテレビ局全体が日テレの肩を持つのなら変わると思うけどフジはもう自分に火の粉かからないようにしてるっぽいよね。日テレのお仲間コメント出したりはしてたけど。TBSも状況しだいって感じかな。
あとネットで言われてるコナンは読売テレビだし…同じ一ツ橋グループのヒロアカも読売テレビが一番権利を持ってる。
読売と日テレは別に仲良くないし、小学館とは結びつきが強いので日テレのフリーレンだって2期から万が一移動したとしても読売になるくらいだと思うので、「コナンとフリーレン引き上げろ」は無知コメントすぎて意味ないかな。
まあ小学館も今回のプチコミックの騒動はレーベルを見ると「フラワーズ」の系統だと分かるから、フラワーズというと件の脚本家が参加してるミステリという勿れと同じ系統だし、本来は騒ぎにしたくなかったけどブログ許可出したってことはその辺も含めて覚悟してるもんだとは思うよ。
日テレは聞いてないって言ってるけどドラマ関連で編集局長が日テレに行くレベルのことはしてたそうじゃん?(事件起きる前に書いてる人がいるね)
プチコミックの漫画家たちも自分のアカウントで担当編集たちがいつもすごい頑張ってくれてるって擁護コメント出してるし、該当の編集も良い人だって庇ってる現担当の漫画家もいる(芦原先生とも面識がある漫画家だ)
森奈津子好きだったんだよなあ
子供の頃、漫画は読んでたけど、文章主体の本ではじめて読んだのは多分森奈津子のお嬢様シリーズ
主人公の綾小路麗花は、古典的な少女漫画を読んで、けなげで清廉な主人公よりも、きらびやかで意地悪で最後には潔く負けを認め「フッあたくしの負けよ」と言うような悪役令嬢に心惹かれて悪役令嬢をロールプレイしている
綾小路麗花はお金持ちのお嬢様なので、悪役令嬢の方が境遇が近くて感情移入して悪役プレイをしているが、根は育ちがよくお人好しなので悪役プレイにボロが出まくる
爽やかイケメンな彼氏や百合な従者やホモや男の娘が出てきてわいわいやる楽しい学園ラノベ
不登校になった時期があるため、不登校児が題材の「グースカ夢見る問題児」には救われた
不登校児たちが夜に眠ると、夢の世界の架空の学校に集められ、北海道や沖縄など遠く離れたちに住む子供たちがその学校内で交流を持つという設定が、インターネット普及前の時代に斬新に思えた
今だったらSNSで他県の子とつながるのなんか簡単だが、あの時代は雑誌で文通相手募集するぐらいしか手段なかったんじゃないか?
お嬢様シリーズはレモン文庫という学研のレーベルから出版されていたが、1996年にレモン文庫は突如消滅
森奈津子はお嬢様シリーズの連載構想がブツ切れになり、他に拾ってくれるラノベレーベルもなく「ラノベ界に棄てられた」と感じたという
ラノベに見切りをつけ、レズビアン寄りのバイセクシャルであることをカミングアウトし、百合小説を執筆するようになった
東京のセクシャルマイノリティの事情について語るエッセイなども発売
「女性はセックスについては語るがオナニーについては秘す。もっとオナニーについて語れ。私は女性がオカズにできる本を書く」
と官能小説を書き、また百合が精神性重視のものが多い中で官能百合を書く
百合SF、エロSFなどを手掛け、「SFの定義についてうるさい奴がいるが、エロ本はチンコが勃てばエロ本なのである、SFチンコが勃てばそれはSFなのである」と主張
小説業界の中で森奈津子は「おもしれー女」として扱われ、ミステリ作家の西澤保彦は森奈津子を主人公とするナツコシリーズを出した
百合ジャンルやTL小説はその後盛り上がっていくが、森奈津子はそのムーブメントの中央にはいられなかった
悪役令嬢ものが早すぎたように、ジャンル自体への需要はあってもいまいち世相と噛み合わず第一人者にはなれなかった
バイなのだから異性とも恋ができるのは当たり前なのだが、「ビアン寄りのバイ」としてのキャラ立ちは失った
「女が男と恋愛して男と結婚するなんか普通じゃん、所詮なんちゃってじゃん」という扱いになる
ビアンやバイやノンセクとして活動していた女が普通に結婚して、経済的安定を得て家庭の中に埋没して表舞台から消えていくのはよくあることだ
だが結婚してしばらく、森奈津子の夫は重度身体障害者になってしまった
そんな身の上になった森奈津子からすれば、「若くて健康だけどセクマイだから辛い」「セクマイにも安定した結婚生活を得る権利を」などと言っている、かつての仲間は甘えたクソガキにしか見えなくなったのだろう
かつてはセクマイの集まりの中で生きていたのに、「同性婚は不要だ」と言い切り、その手の活動家を批判する側になった
その手の活動家の中に過激で頭がアレな奴がいることは確かではあるが、明らかに矛先は「一部の過激な奴」だけではなく穏健派にも向けられている
小説「耽美なわしら」の中でノンセクを肯定的に描いていたのに、今や「異性婚しない独身おじさん」すら叩いている
「普通に男と結婚した」ことでフェードアウトしていったかつての支持者への当てつけで、「普通に結婚できない同性愛者・独身主義者・非モテ」は敵になったのだ
そういう活動によって本を出したり団体活動したりで生計を立て森奈津子は夫との暮らしを送ることができている
「あなたの発言はLGBT差別では?」と言われたら「いえ、私はLGBT当事者です」と森奈津子は答える
作者を嫌いになると作品も自動的に嫌になって避けるタイプなのだが、それは作品の方もそれほど深く好きだったわけではないから起こる現象で
森奈津子本人は今は明白に嫌いにはなっているが、作品を愛好していた時代のほうが長いので、お嬢様シリーズは今でも好きだ
レモン文庫崩壊前、作家として食っていけるようになり希望を持っていた頃の森奈津子は今の森奈津子とは別人のようだ
今の森奈津子の全てを否定するわけではなく、一理あると感じた発言もないではないが、がっかりすることの方が多いのでブロックしてなるべく見ない
だが最近新しく裁判やってるそうでスクショが流れてきて森奈津子を思い出す
ヘイト界隈って不寛容の極みであるように言われるけど、淫夢界隈と似たようなもんで「合言葉」を一緒に唱えさえすれば誰でも受け入れてくれるというある種の寛容さはある
反ヘイトの集まりなんてのはすぐ正しさを巡り喧嘩するけど、ヘイトの集まりはそうでもない
ラノベやセクマイやSFやら、あちこちで排斥された者でも受け入れてくれる寛容で優しい人達のもとで居心地はいいのかもな
綾小路麗花は結局は優しいお人好しで、誰かと対立しても最終的には和解するいい子で、金網に風船が引っかかったとかで泣いてるガキがいたらエナメルの靴をガビガビにしてでも金網登って風船取ってやるんだよ
名興文庫という同人レーベルが極々狭い一部の界隈で盛り上がっている。
一発変換でレーベル名が変換できないことに対してセンスがないなあと思うことはさておいて、ここ最近で上記レーベルについて感じたことをぽつぽつ書いてみる。
・出版社を名乗る割に本出してなくね
レーベル立ち上げは去年頭くらいだったような気がするが(するだけ)、現在販売されているのは2冊のみ。ちなみに、刊行されます!というお知らせはいっぱい出ている。
過去には他の作品も出されていたが、すでに販売停止となっている。とは言ってもトータルで5.6冊しか出ていないが。
このレーベル(もはや変換もめんどくさい、一発変換できないのセンスが以下略)は誰が関わっているか不透明で見えてこないのだが、役職に就いている2人は名前(といってもペンネーム)が出ている。もちろん、Twitter(現X)でも代表、相談役はその役職を前面に出しアピールしている。
普通はさ、レーベルの名前背負ってたら迂闊な発言しないよね、できないよね……?未来の顧客になるかもしれない人達を敵に回すその姿、なんとも痺れる。