はてなキーワード: 視覚障害とは
結婚(と離婚)にはたくさんのエネルギーを要するという話をよく耳にします。私の場合もまさにそうでした。今になって書けるような気がするのと、今になっても納得できない部分もあるのでまことに自分勝手ながらこちらに書いて見ようと思いました。それと、幸いまだ離婚を経験せずに済んでいます。
私は嫁と結婚する4年前から交際をしていました。しかし、相手の母親(嫁家は何年も前に離婚していたので)にお会いしたのは結婚する1年前くらいからでした。まずは私一人でご挨拶に伺いました。お爺様、お婆様、お母様と嫁で出迎えてもらいました。本当はお兄様もいるのですが、今は自立、結婚されて実家にはいませんでした。私は皆さんに嫁と真剣に交際をしていること、それと近い将来には結婚したいと考えていることを報告しました。
嫁家ではお爺様が全てを決めるような家で、お爺様の仰ることは絶対のようでした。義母は若かれし頃に某音大を卒業後、嫁のお父様とお見合い結婚、二人の子供に恵まれましたが、性格の不一致(しか理由って無いと思う)で嫁が中学生の頃に離婚しました。その後は実家に戻り、申し訳ないのですが自立してる私から見ると「随分と歳をとったパラサイト」に見えました。実際、働かず(今では孫の顔見たさにパート勤めらしい)、家事せず、みたいな人。
簡単な事情はこれくらいにして、無事に最初のご挨拶を終え、いきなり次は私の両親を連れてくるよう言われました。ここで事前に説明しておかなくてはならないのですが、私の家系はいわゆる被爆者の家系で私は3世になります。それと父は視覚障害者です。被爆が関係あるかはわかりません。私は最初のご挨拶の時にそれらを隠さず嫁家の皆様に説明しました。なんとなく、特に義母はそういうのにうるさそうに見えたのと、後でわかるくらいなら今言ったほうがいいだろうと思いました。それと義理の兄の娘さんがどうやら視覚/知的障害を持っていまして、義母は特に気の毒に感じているように見えました。あと、初めての挨拶で年収を聞いてくるのは非常識だと言う人もいるとは思いますが、これから結婚するのであれば、収入を聞くのは当たり前だと思いますし、勿論聞かれましたし、給与明細及び源泉徴収表を見せたりはしませんが、大まかに当時の私の年収をお話しました。
そういうことでしたので私は帰宅するや否や両親(山口県)に電話して、来てもらうことにしました。一応、それなりに軽くフォーマルな服装でいいよ。初めてのご挨拶だし、まだ結婚のお許しをいただいたわけじゃないから。と説明しました。そして当日、無事に挨拶も済み、私は再度、嫁と結婚したい意志を義母に伝えました。しかし、義母は口を濁し、お爺様もいるせいか何も返事をしてくれませんでした。私は(当時)新大阪まで両親を送っていきました。「まぁ、これからだね」と父に言われて両親は山口へ帰りました。両親を見送った後、帰宅してすぐに嫁家にお礼の電話をかけました、するとまたさっきと義母の様子が違い、いきなり「今日は結納金くらい持ってくるのかと思ったわ」とか「あんな目暗(メクラって視覚障害者の差別用語)の家になんか嫁に出せるか」とか「人の家に挨拶に来るのにあのラフな格好はなに?非常識な」とか(3番目は私に責任があると思います)耳を疑うような言葉を聞きました。普通なら心でそう思っていても口に出しては言わないと思うような言葉の数々を言われて、正直かなりショックを受けました。私はすぐに両親に電話をして「あのタイミングで結納金って渡すもんなん?」って聞いてみたけど「普通じゃない」と言われてさらに困惑。
そんな感じで義母は反対でした。しかし、全ての決定権を持つお爺様はなぜか私との結婚をむしろ「やるなら早くしろ」と。披露宴の費用も負担するとまで言ってました。今も当時もなんとなく甘えるのは気持ちが悪いですが…しかし、当時の経済的な状況を考慮して、無い袖を振るうわけにもいかず、足らない部分を負担していただくことになりました。義母とは会話が成立せず困りました。電話、直接お話しに行ってもお爺様がいるときは無言、いないときは無茶苦茶。前述した通り、お兄様のお子様が障害をもっているということで「絶対に子供は作るな」とか。「DNA検査を受けろ」だとか。(というかDNAを検査して異常を検出するような検査は当時も今もまだできないのではないかと思うのですが、義母曰くお兄様とお姉さまも受けられたとか。多分ウソだと思いますけど…)徐々に追い詰められてしまい、とうとう精神科に通うほどになってしまいました。鬱病で寝込んでいるときに私の家のドアを名前を叫びながら叩くだけならず蹴ったり。当時のご近所さんたちは借金取りと思ったと思います。
そんな状況でもなんとか根気強く義母と話し合い、子供は絶対に作らないということを守ってくれるなら結婚を許すというところまで行きました。私は嫁といられるだけでいいのでその時はそれでもいいと思いました。披露宴も近くなり、平日は仕事、週末はホテルで打ち合わせという日々を過ごしていました。お爺様が定期検査のために入院されたと聞かされました。つまり、お爺様が家に不在ということで、義母が早速電話をかけてきました。そしてこういいました「披露宴は中止してほしい」と。理由を聞くと「娘があんたみたいなダメな男と結婚するのに、どうしてわざわざ世間に披露しなくてはならないのか?恥ずかしいじゃないか。」と。そんなこんなでお爺様は大激怒でしたが披露宴をキャンセルしました。結構なキャンセル料も私が負担しました。嫁にはひたすら謝りました。楽しそうにドレスを選んだり、食事を選んだり、あの嬉しそうな笑顔を思い出すと涙が止まりませんでした。後日、記念撮影だけしました。嫁は「私はこれで充分だよ」と言ってくれました。間もなく私たちは入籍しました。
私は鬱病がひどくなり、とうとう生活に支障がでるようになりました。悩んだ末、当時の会社を退職し、両親のいる山口へ引越しました。しばらく療養し、今の会社に入り、まだ鬱病ではありますが、まともに生活できるようになりました。ちょうどこの頃、嫁から「そろそろ子供が欲しい」と言われました。私は仕事の都合上長期間家を空けることがあり、慣れない土地で嫁は一人でさびしいのだろうと思ったのですが(また、寂しいからと言って子供を作ることも間違っているとは思いますし)、嫁に「でも、お母さんがなんと言うか」と言いましたが「それでも欲しい」と。しかし、そう都合よく神様は授けてくださるワケもなく、月日が流れていきました。そしてある日、嫁が実家にひとりで帰省中に近所の病院で「おめでたですよ」と念願の子供を授かることができました。黙っておくわけにもいかないので義母に電話して嫁が妊娠したことを伝えました。すると「あんた種無しかと思ってたわ。あははっは」と。ただし「おめでとう」とは言ってくれませんでした。
嫁は2007年12月10日20:35に3,598gのかなり元気な男の子を産んでくれました。立ち会った私は涙が止まりませんでした。当時はがんばってくれた嫁に感動しましたが、まだ子供が自分の子供だという認識と責任感みたいなのはあまり感じませんでした。義母も出産前日から来ており、初めて世に出てきた和が子を見てこう言いました「指は1,2,3...あるな。うん。」と、しかし、しばらくしてから「おめでとう!」と言ってくれました。
息子の誕生から間もなく1年が経とうとしています。嫁家には2度ほど連れて行きました。お爺様&お婆様は「本当に愛らしい」と大喜び。ご両名が元気とまでは言いませんが、ご存命中に子供を見せることが出来て本当によかったと思っています。
しかし、義母があの時言った言葉の数々(今でも口が悪い)を、私は許せていません。そして一生許すつもりもありません。しかし、どんなに人のいいあるいは悪い両親(片親)であろうとも、言葉が良かろうが悪かろうが、人の家から嫁を貰うということはいつの時代もこういうものであり、皆乗り越えなくてはならないものだと思います。加えて現在の私も義母のことを除けばとても幸せに暮らしています。全てがうまくいく人生も珍しいと思いますし、面白みが無いと思うのと同じだと思います。私が向こうの親に結婚を反対されて、それでも結婚したときにまず思ったのは、嫁も含めて私も幸せになって証明するしか無いと思いました。今でも尖った言葉を義母より沢山頂戴しておりますけど・・・
以上、長い話にお付き合いいただきありがとうございました。また、最後にもし貴方に一生をかけて守りたい人ができて、結婚したいと思ったとき、あるいは今大切な人がいて、その人によく「いつか結婚しような」と言うことがあったり、その「結婚」とはどういうことなのかを考えたくなったときに、あまり参考にはならないとは思うのですが、何かの参考になれば幸いです。加えて皆さんも幸せになることを心よりお祈り申し上げます。
こういうの読むと結婚する気失せるわ
確かにしないほうが無難な場合もあると思います。結果論には激しく同意します。義母が許せなくて大嫌いだけど、なんとかやっていけるてるよということで・・・
あえて書きませんでしたが義母は精神を長らく病んでいたのだ(そして今も)と思い、昔から病院へ行くことを勧めてきましたが、なにより本人がそれを嫌います。まぁ、強制できないことですし、よくあるパターンだと思いますが・・・私が精神科に通っていると言ったときには「やっぱりアンタは基地外やってんね」って言われましたw
まだしてないなら、お祖父さんが亡くなった時点で、同居って言い出すから絶対拒否だよ。 負けるな。 奥さんとお子さんをお姑さんから守れるのは...
ありがとうございます。幸い今は同居しておりません。が、その可能性はひしひしと感じております。お兄様はお子様でいっぱいいっぱいな様子で、恐らくあちらで同居はできないだろうと思います。が、私だけならず嫁も自分の母親ながら同居に耐えられないことはわかりきっていますので、同居は拒否します。今のところ、義母はお爺様が買ってくれたマンションで暮らすと言っています。今は本当にそうなってくれることを祈るだけです。玄関にウ○コですか・・・また大変そうですね・・・
人の家から嫁を貰うということはいつの時代もこういうものであり、皆乗り越えなくてはならないものだと思います。 まったくそうは思わないけど。 そもそも「結婚」という形式にこ...
そうですね。「皆乗り越えなくては」は必ずしも当てはまることではないかもしれませんね。子供もできるまではあまり欲しいとは思っていなかったのも事実です。産まれてから可愛く思えるのにしばらくかかってしまったのは私だけでしょうか。なんというかなかなか実感がわかないというか・・・しかし、経済的援助は勘弁してほしいですね。気持ちが悪いですから・・・
割と良家のようだから、財産目当てでは? 義母が離婚後働かず実家に子連れパラサイトでも許されたり、旦那が鬱病抱えているのに嫁が呑気に子供欲しいとか言える辺りも 親の財力あっ...
確かに嫁家は良家だと思います。少なからず私の家と比べたら・・・仰られた通り真剣に縁を切ることも考えたことがありましたが、嫁にとっては親に違いないワケで、そこを無理やり切ることも無いかなと思いました。できることならウチの子供にも会いに来て欲しくは無いです。
それと財産に関してですが、まったく興味ありません。出来ることなら(有価証券やら不動産が多そうなイメージなので)とっとと現金化して、私と関係無いところに生前贈与でもしといて欲しいくらいです。それも私が心配することではないのであまり気にしていませんけど・・・
欠陥品の私がきましたよ。
これ、実はほとんど先天的とみなしていい能力です。まわりのひとがふつうにできることなんだけど、私が「同じように」やってできるわけじゃない。
どうしたら僕は、他人に興味がもてますか?
どうしたら僕は、他人の気持ちを理解することができますか?
どうしたら僕は、感受性の高い子になれますか?
この叫びに共感できる。
私は真面目に自分を障害者だと思うことにしました。他人の心が見えないという意味での視覚障害者。そうすると、おのずとどうすればいいかがわかります。目が見えないなら手で触り音を聞く。他のすべての感覚を総動員するだけなのです。
心が見えないから感覚がばかだから私は、智慧を尊ぶことにしました。
見えないものを見ようとするから無理。手で触り音を聞くことに熱心になったよ。でももし何かの断片が、たとえばほんのちょっとの明るさの違いでも目でみえたなら、それは絶対に大事にする。
感じ取れるものが少ないのだから、それを最大限に活かそう。幸い((秀才といってよいレベルには))頭がいいらしい。先入観を排除すること。透明な論理に従うこと。公平さで自分を裁き続けること。もって知恵に従うのです。でももし表情や声の調子に違和感を感じ取ることができたなら、それは絶対大事にする。
他人の心を見るために頭を総動員する。同様に、他人の心に伝えるために頭を総動員する。まちがってももう、ジブンヨリガクレキノヒクイ人たちを前に早口で煙に巻くなんてことはできない。ゆっくり丁寧に。まわりのひとがふつうに - あたかもハードウェアで処理してることを - 私はソフトウェア処理するだけ。だから私はゆっくり。
そのとおりです。自分にハードウェアが備わっていないことに気づいたら、まずは絶望しましょう。マジョリティには「なれません」。ずっとこのハンデを背負いながら生きていくんです。
この記事を書いたものです。怖れていた事態になってしまいました。こういう風に話が流れて議論にならない事態が一番嫌だったのですが。だからネタということにしておけば、誰も見下された気になどならずに済んだのに。
だいたいね、わかってるんですよ。高学歴だとか、あるいは話のテンポとか、そういうことで事実を挙げただけでも血圧を上げる人がいるのが。東大生は「大学どこ?」って聞かれると「東京です」と曖昧な答え方したり、「一応、東大です」と言ったりするんですが、そういう風に答えないと「お前ら俺たちのこと馬鹿にしてんだろ」といきなり言いがかりをつけられたりするんですよ。
そもそもね、プロ野球選手が「素人の野球の指導をするのは難しい」「我々から見れば普通の学校の野球部員も運動音痴君も五十歩百歩」とか、将棋や囲碁のプロから「アマチュアは自然な手が見えていないことが多いから、指導対局では手加減が難しい」「アマ有段者でもプロにはハンディ抜きでは勝てない」とかそういうことを言っても誰も怒らないでしょう。それと同じように受け止めてもらえればいいのに、絶対そうはならない。IQだとか学歴だとかが、人間性の僅かな一面だけを切り取ったものでしかないことは明らかなのに、どうしてそんな感情的に反応するんです?
こちらの方も見事に誤解しておられて、
そもそも何を告発したんだ。「頭のいい人から見ればお前らも話にならんほど知能が低いんだよ」という事実を認識させることが差別的な人間を批判することになるだなんて本気で思っているのか。
と言ってらっしゃる。違います。「自分がやられて嫌なことは人にもするな」と、それだけの話です。たとえば、「運動神経が鈍い奴は草野球や草サッカーを楽しむ資格はない」とか「音痴はアマチュア合唱団やアマチュアオーケストラに入るな」ということを公然という人がいれば、プロが出てきて「我々から見ればお前らも五十歩百歩のヘタクソだ」と一喝することも必要ではないでしょうか?それを屈辱と感じれば、同じアマチュアを「ヘタクソ」と侮辱したことを反省もするでしょう。それだけの話なのに、どうしてわかってもらえないんだか。
正論を正論で語れない、いちいちネタ化しなければ何も言えない風潮と、ネタと言えば何でも許されると思っている風潮が。それがヒトをどれだけ傷つけるとも知らずに。
と言います。その指摘は正しいです。だからこそ「ネタ化」してものを言ったし、しかし意図は真面目だから「ネタ逃げ」せず、批判には面倒でも何度もこうやって答えている。ところがあなたは
見当違いな非難? どう見ても傲慢そのものです。本当にありがとうございました。
さーすが高学歴様、俺たちにできない事を簡単にやってのける。そこにしびれるあこがれるぅ。
なのに何故執拗に食いついてきたか? 結局、自分は賢いと言いたいだけなんじゃないの。
だの、邪推に基づいて「煽り」を繰り返すばかりです。不誠実なのは一体どちらですか。
あなたみたいな確信的な揚げ足取りがいるから、
あんだけ堂々と自説の正しさを主張できるなら、最初から理屈捏ねくり回さずにど真ん中直球ストレートで正論ぶちかませばいいのではないでしょうか?
ということができないんですよ。あなたが血圧をあげていらっしゃる
そういったことを直接的に書けば「煽り乙ww」、前もって断り書きをした上で丁寧に書けば「どこを縦に(ry」と言われるだけだ。所詮、「平均的な人」は「わかりやすい話」でなければ理解できないのだ。そこで苦肉の策として、わざと人目を引くような形で、一人称体の風刺小話を書いてみただけのことだ。要するに形式はネタでも意図は真面目だったわけだ。
という箇所が、あなたみたいな方への皮肉だということがおわかりにならないですかね?だいたい、
「煽り乙ww」、「どこを縦に(ry」とか言われるのが嫌だから暴論と承知で暴論を使ったのか? それも匿名で、そんなにチキンなのか?
って、ああいうことを増田以外で書けば、たとえば
ってことになるからですよ。
蛇足
こちらの人いわく、
[トンデモ]「軽度の知的障害者と『健常者』の違いはほとんど認識できなかった」「十分賢い人を連れてこれば『健常者』も障害者同然」。自分が「十分賢い人」だと思っているんだね。これはすごい。
こんな書き方をした以上、そういう風に誤解されることは覚悟していたが、それのどこが「トンデモ」なのか理解不能。
蛇足2
それからもう一つ補足しておくと、「健常者」と「障害者」の境界は必ずしも明確ではない。例えば強度近視の私は、メガネの発明以前なら「視覚障害者」でしかなかったはずだ。「健常者」といえども「障害者」以上に社会生活に支障をきたす側面があるのは決して稀ではない。自虐的に言えば、誤解を生まずに無難に世渡りをするという面では私は大抵の「障害者」以上だろう。