「自己欺瞞」を含む日記 RSS

はてなキーワード: 自己欺瞞とは

2007-11-03

http://anond.hatelabo.jp/20071103030609

だよな

俺らはこんな生活でも幸せとか思ってるけど

それは大きな幸せを知らないだけ

勘違いなんだよな

上のやつは想像を絶する幸せが与えられてる

それを知ると生きていけないから

知らないことにしているだけで

俺らみたいなのは一生自己欺瞞なんだよ

2007-08-11

http://anond.hatelabo.jp/20070811181657

自分を大事にできない人が相手を大事にできるわけないでしょ!

ってのが真剣に疑問なので誰か理論として提示してくれ。何故?

相手しか大事に考えない→自分を犠牲にしても相手に幸せになって欲しい

でも相手はそう望んでいないことが多く、好きあった時点で二人で幸せにならないと不幸だからね。

相手のことを考えているようで、結局自分のことしか考えていない。自己欺瞞

相手を幸せにするためには、自分がまず幸せにならないとできないのですよ。

2007-08-03

http://anond.hatelabo.jp/20070803164712

普通なら、親、友達、職場人間なんかの周囲の人間に認められたり叱咤されたりながら成長していって、「全能感そのものが必要無いし、どんな馬鹿でも意外なことで俺が足元にも及ばなかったりするんだな、ぼくは砂粒のうちの一つだったんだ」ってことがわかるはずなんだけどなあ。誰かが「親の愛情が足りなくて一人必死になってる人みたい」って言ってたけど、本当にそうなんじゃないかと思ってしまう。心の成長の一番最初にコケてるから、社会の中に自分の居場所を作るのではなく自分の努力で周囲を振り向かせようとしてしまってて、それでも満足できないから自己欺瞞の万能感でなんとか生きてるとか。うちの子供がそうなったら、と考えるだけで胸が苦しくなって僕は彼をたたけません。

2007-06-21

自分は特別だと思っている人が、

自分は特別だと思っている人のブログを読んで共感するんだ。

で、それを揶揄する自分は自分で、俺は特別だと思ってる。

他人より自省出来るんだぞ俺はという特別。

自己欺瞞のど真ん中にいて気が付かないのも嫌気が差すが、

自己欺瞞自己欺瞞だと認識している状態もだから何だっていうんだといらいらする。

と言っている自分にまたイライラする。

2007-06-11

http://anond.hatelabo.jp/20070606095129

もう見ていないかもしれないけれど、

あなたの意見を踏まえて自分なりに更に感想を書いてみました

増田で続けようと思ったけど、自分のブログに書くことにしました。

うまくまとめられなくて4ページにもなってしまい、

読んでくださいというのも恥ずかしいけれど、

読んでくれたらとってもうれしいです。

http://yaplog.jp/mansikka/archive/133

あなたの意見を読んで、母親の思いが投影云々部分は勘違いと思ったので、

移設するにあたり削除しました。

人を陥れようとする悪意というのは、

相手に直接向けられたものとは限らないと思います。

世間や、自分を傷つけた人々に向けた憎悪と恨みと妬みと僻みが、

悪意となって、自他をかまわず傷つけていくという悲しい現象を、

私は何度も目の当たりにしました。

あなたがいう「他人の自己欺瞞」は広義で私の言う悪意に入るかもしれません。

私もあなたとやりとりするのは楽しかったです、ありがとうございました。

2007-06-07

http://anond.hatelabo.jp/20070606180148

山形氏も書いてるけど

 その後本書は、優生学の歴史をたんねんにたどり、生物学的な差や先天的な差という議論がどのようにこれまで優生学に利用されてきたかを克明に描き出す。どういった論調には気をつけなきゃいけないか、そもそも科学的には何が言えて何が言えていないのか。これを著者は、ダーウィンまでさかのぼって説明する。一方では、反差別論者の極論についても、本書はためらわずに指摘してゆく。ここらへんのバランス感覚が、この本のすばらしいところ。

重要なのはバランスなんですよ。

頭の良さは生まれつきだ! 男女の脳は違う! なんてのはバカでも直感的に賛同しやすいから本も売れるわな。

それがマイノリティパフォーマンスを評価する時のバイアスになってきた歴史があまりにも長いから、

フェミニストの人とかマーティンルーサーキングとかがそれぞれ戦ってきたわけですよ。

ところが、こういう人たちの主張が行きわたり過ぎると今度は別の抑圧になる。

いつまでも賠償謝罪を求める国や、部下を飲みに誘った上司セクハラで訴えられる国とかね。

重要なのはバランスで、行き過ぎれば修正が必要なんだけど、

たまたま自分の直感に近いからといって元の極論を正しいと思い込んだり反対者を自己欺瞞呼ばわりするのは、

なんつーか周回遅れなわけ。

ただ、短絡的な人が「そうじゃん生まれつきで頭の良さ違うに決まってるじゃん」

と勘違いする余地を(たぶん意図的に)残してるところが山形氏の人の悪いところで、

だから「あまり真に受けないほうがいいですよ」と一応申し上げたのですよ。

2007-06-06

http://anond.hatelabo.jp/20070606173312

ああそうなの?

男女間の脳の違いなんて話題だと、頻繁に見るけどね。

それはさておき、

平等でなければならない→頭の良さに個人差は無い

みたいな思考はあまりに自己欺瞞がはげしすぎると思うのだけど、どうしても認められないって人が多いみたいね。

「『あまえる』ということについて」を読んでを読んでを読んでを読んでを読んで

anond:20070605234857

レスありがとうございます。

タイトルがずいぶん長く(笑)

> 自分を投影している部分があることは否めませんが、

> 他人を許すことを知っていて、こんなに聡明なさきちゃんだからこそ、

> 生き辛さを覚えてしまうような悪意が、

> この世には充満している気がやっぱりしちゃうんですよねえ。

> 余計な心配であることは重々承知ですけれども。

> だからここは自分の感想をあえて支持します。

> 生き辛さは大体の場合他人との関係から生まれることは確かですけれど、

> そこに起こる問題を解決していくためには、

> 自他を許すだけでは足りないと私は思うのですよ。

> そこの増田さんはどー思いますか?

さきちゃんがあのように達観するに至ったのは、人一倍苦しんで傷ついたからだと思いますが、一方で、しっかり愛されてもいたからだと思います。

さきちゃんと同じくらいかそれ以上に苦しんで傷ついている子供もたくさんいるはずです。

だけど彼らの大半は語る術を持ちません。

何もわからないまま「心をきつく」するしかないのです。

さきちゃんがあのように自分を表現できるのは、それを受け止めてくれる大人が周囲にいたからではないでしょうか。

だから私は、彼女幸福だと思うし、生きづらさも乗り越えられるだろうと感じました。

そちらの増田さんがおっしゃる「悪意」というのが実際にどのようなものを指すのか、あまりピンとこなかったのですが・・・。

私自身の考えでは、人の生命力のようなものを奪うのは、悪意ではありません。

明確な悪意であれば逆に、立ち向かうことで自分を奮い立たせることができます。

どちらかというと、人を生きづらくさせるのは、多くは善意の名のもとに、意識されずに行われる決めつけや差別や無神経さではないでしょうか。

つまり他人の自己欺瞞です。

例の作文でも、さきちゃんが傷ついたのは幼稚園先生の悪意によってではありません。

よかれと思っていながら結果的に彼女を軽んじた扱いをしたこと、それを先生自身がまったく気づいていないことに対して傷ついています。

だけど、さきちゃんは作文の中で、そのようなことをした幼稚園先生を許し、そのような場合に自分から働きかけて状況を打破することも可能ではないかと考えています。

そして彼女はがまんして自分を押し殺すことは自分のためにも他人のためにもならないということを理解しています。

そこまでできる子が自分を生きづらくなるまで追い込んでしまうとは思えないのです。

彼女純粋さは、硬質な潔癖さよりは、大らかな優しさに繋がっていると感じます。

生きづらさを覚えてしまうのは、さきちゃんと同じように傷つきながら、さきちゃんになれなかった人、のような気がします。

あくまでも私の考えですが・・・。

私はあの作文に励まされたように感じたので、希望的観測が多分に含まれているかもしれません。

> 懐疑的なコメントを書いている人についての、

> あなたの感想は面白かったし、とっても納得。

> 認めたくないという人たちの、嫉妬で胸糞悪くなる気持ちもわかるけどね。

ありがとうございます。

そういう人たちこそ、あの作文で書かれている「心にへんなものがたくさん入っている」「心をきつくしている」状態そのものだと思えて、何とも言えない気持ちになったんですよね。

彼らが、実際に身近な子供と接するときに、あのような態度でないことを願いたいです・・・。

> しなやかな大人になりたいな、と思いました。

同感ですね・・・。

あの作文はとても興味深く、いい文章だと思ったので、そちらの増田さんとやり取りができてうれしく、面白く思います。

ありがとうございます!

2007-05-28

小さな幸せが降り積もった結果が大きな不幸

http://anond.hatelabo.jp/20070527051331

目先の小さな快楽を満たすことで日々を蕩尽して

人生そのものを日々腐敗させているのが、お前らの真実だ。

現実逃避幸せは違う。刹那快楽に「小さな幸せ

なんてレッテル張っているヤツは典型的な負け組だ。

社会の欺瞞には嗅覚が鋭いくせに

自己欺瞞には全く気がつかない・・・情けない。

2007-05-27

 一度持ち崩したら、自分の人生の真ん中を歩みづらくなる。

 自分の間違いや罪を認めその自責に耐えながら引き受けながら正道を行くのは、それなりつらく厳しいことだから、間違いや罪なかんずく自己欺瞞やひねくれをさらに欺瞞とひねくれで塗り込めて、思い描いた人生の形式からますますはずれることになりがちだ。その方がもっとつらいのだが一時の逃避が長引くこともしばしばだ。

 踏み外さないために耐えることは重要だってことだね。街道に戻るなら早いほうがいいし、思い立ったが吉日だ。

でも踏み外さざるを得なくなったら―

どうすればいいんだ。気持ちだけは日当たりのいい道に置いておくか。

2007-04-12

迷惑ですわ

あんたは何様なんだ?

あんたのプロジェクトコケたのは事実だ。

でもな、あんたがそのプロジェクトに参加したのはあんたの判断じゃねえか!

そもそもあの企画は素案の段階からおかしなことだらけだっただろ?

でも、あんたは内容をちゃんと理解しようともせずに部長の顔色を読んで話合わ

せてたじゃん。

今だって状況は変わってないんだぜ?

あんたの口から出てくる意見は相変わらず部長意見そのものじゃん!

あんたはプライドが高いくせに自分の頭を働かせることを知らないから

そうなってるんだぜ?

悪いことはあんたは一向にそれに気づいてない。

「私は自分の意思で参加してます。」

はいはい。そうでちゅね。

俺は自分の判断で別のプロジェクトに移動した。

んで、案の定、あんたのプロジェクトは失敗した。

1年目の段階でそれは明らかだったじゃん!

あんたは人がいいのか、訳が分かってないのか、

いや、訳分かってなくて人のいいふりだけはうまいだけだよな。

んで、失敗報告を堂々と社内プレゼンしたよな?

あれを聞いた時は今まで好意的だった人も「あれ?」って顔してたよな?

でも、あんたはその空気にすら気づかなかった。

ってか、モロに核心を突く質問をされてたじゃん。

なんであれで気づかないんだ?

「成功するまでやれば失敗じゃない」とか意味不明の返答したアンタを見て

みんな卒倒しそうだったんだぜ?でも、あんただけは誇らしげだったよな・・・

痛いよ。痛すぎる。

で、その後あんたがやったことは何だったっけ?

細かい改善策とやらをいっぱい提案してたよな。

それではや4年さ!

でも、あんたの改善策とやらは枝葉末節だろ?幹が腐ってたらどうしようもないじゃん。

それもこれもあんたは核心を決して見ようとしてないからだ。

部長意見を聞いたら不可能も可能になるとか言う顔してやがる。

狂ってるよ。

本当はあんたも嫌だったんだろ?

期限が来ても中身のない報告書が山のように積みあがる状況は

いくら自己欺瞞を施そうと鈍感な振りをしようと嫌なもんだもんな?

結局山のような報告書には「色々やりましたけどダメでした」って

書いてあるだけだもんな。

失敗だと言うことが分かって良かったと言ってるのは部長だけじゃん。

その下の連中はそう思ってないだろ?

あんただって本当は文句言いたいんだろ?

みんなあの部長の顔色使って言えないだけじゃん。

成功するまでやれば失敗じゃない、とか言うんだったらそれは

そういう考え方も認めるさ!

でも、どうしたわけかあんたは俺にイチイチつっかかって来る。

あんたの言ってることは根拠もないし愚劣で意味不明だ。

俺がさっさと泥舟から逃げ出したことを非難してるだけじゃん。

俺の参加したプロジェクトがうまくいったのが妬ましいのか?

俺はあんたを非難しない。だからあんたも俺を非難するな!

騙された、とか言うんだったら部長に言えよ。

俺に八つ当たりしないでくれ。

あんたの人生はあんたの人生。俺の人生は俺の人生さ。

でも、あんたは違う。あんたは人に依存しないと生きていけないだけだろ?

部長と一体化しないと生きていけない。

でも、一方で部長はあんたなんていつでも切り捨てれるんだぜ?

俺のせいにすんな。怒りは本当の原因に向けろ。

自分の頭で考えろ。自分の責任で動け。人に、いや、俺に迷惑をかけるな。

それが分からないんだったらさっさと目の前から消えてくれ。迷惑すぎる。

2007-03-08

正義が大好きな人達

ペットブーム。高級品が売れているらしい。

久しく行っていなかったペット店が、以前は手広く商売していたのに、

今は犬の餌専門店に商売替え。

宮崎産地鶏のミンチとか、モンゴル直輸入の羊肉とか。どう見ても人間用の高級食材

うちの地域は普通田舎町で、その店だって有名なわけでも何でもないんだけれど、

こんなものがよく売れるらしい。

うちの犬に買って行った一番やすいフードが、レトルトで一食ぶん250円。

うちの病院で出している病院食が、常食で一食240円。これでも全然利益が出なくて、

何とかして食材を削ろうとして、栄養室は毎日頭を抱えてる。

お金がかかりすぎる」。老健施設なんかでは、コストに関するクレーム

後を絶たない。ペットの食事に250円を惜しまない人達は、家族が抱える老人には、240円を惜しむ。

大阪で、公園を占拠する浮浪者に退去勧告が出されたとき、大勢の市民が反対した。

公園に居座るのは、かわいそうな浮浪者の権利。」

みんな正義が大好き。でも、正義が好きなのと、問題を解決するのが好きなこととは話が別。

浮浪者の権利を声高に叫ぶ人達は大勢いても、浮浪者を自分の家に招く人は誰もいなかった。

かわいそうな老人が安らかに生きていくのも、人としての当然の権利。

正義感が強い家族の人は、入院中の寝たきり老人を点検して、すり傷ひとつ見逃さないけれど、

その人が「体の向きを変えて下さい」とお願いすると、手を出さないで黙ってナースコールを押す。

ペットブーム。犬の権利なんて主張しなくったって、かわいい犬には誰でもお金を払う。

お店大もうけ。ペットお腹いっぱい。飼い主大満足。みんな幸せ

浮浪者が臭くなかったならば、老人がもっと「かわいい」生き物であったならば、

問題は勝手に解決して、そこにはたぶん、正義の出番はなかったはず。

汚らしい浮浪者、寝たきりの老人みたいな存在には正義が集まる。正義を唱える人達は、

本当のところ、そんな人達を「どう」したいんだろう?

みんながぬくぬくと閉じこもっている、正義という自己欺瞞の箱。

正義の箱とダンボールハウス浮浪者を暖めるのに役に立つのは、どっちの箱なんだろう?

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