2007-06-05

「『あまえる』ということについて」を読んでを読んでを読んでを読んで

http://anond.hatelabo.jp/20070605233211

エントリ増田です、どーも!

ああ、なるほど、母親は客体化されているかなあ、確かに。

この部分は私の勘違いだったなあと思いました。

ご指摘ありがとうございます。

> さきちゃんはもう他人を許すことを知っているのだから、

> 生きづらくなったりはしないでしょう。

> 弱い大人が勝手に自分を投影して心配してるだけでは。

> それはかえって彼女に対して失礼な気がします。

自分を投影している部分があることは否めませんが、

他人を許すことを知っていて、こんなに聡明なさきちゃんだからこそ、

生き辛さを覚えてしまうような悪意が、

この世には充満している気がやっぱりしちゃうんですよねえ。

余計な心配であることは重々承知ですけれども。

だからここは自分の感想をあえて支持します。

生き辛さは大体の場合他人との関係から生まれることは確かで、

そこに起こる問題を解決していくためには、

自他を許すだけでは足りないと私は思うのですよ。

そこの増田さんはどー思いますか?

懐疑的なコメントを書いている人についての、

あなたの感想は面白かったし、とっても納得。

認めたくないという人たちの、嫉妬で胸糞悪くなる気持ちもわかるけどね。

しなやかな大人になりたいな、と思いました。

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