2007-06-06

「『あまえる』ということについて」を読んでを読んでを読んでを読んでを読んで

anond:20070605234857

レスありがとうございます。

タイトルがずいぶん長く(笑)

> 自分を投影している部分があることは否めませんが、

> 他人を許すことを知っていて、こんなに聡明なさきちゃんだからこそ、

> 生き辛さを覚えてしまうような悪意が、

> この世には充満している気がやっぱりしちゃうんですよねえ。

> 余計な心配であることは重々承知ですけれども。

> だからここは自分の感想をあえて支持します。

> 生き辛さは大体の場合他人との関係から生まれることは確かですけれど、

> そこに起こる問題を解決していくためには、

> 自他を許すだけでは足りないと私は思うのですよ。

> そこの増田さんはどー思いますか?

さきちゃんがあのように達観するに至ったのは、人一倍苦しんで傷ついたからだと思いますが、一方で、しっかり愛されてもいたからだと思います。

さきちゃんと同じくらいかそれ以上に苦しんで傷ついている子供もたくさんいるはずです。

だけど彼らの大半は語る術を持ちません。

何もわからないまま「心をきつく」するしかないのです。

さきちゃんがあのように自分を表現できるのは、それを受け止めてくれる大人が周囲にいたからではないでしょうか。

だから私は、彼女幸福だと思うし、生きづらさも乗り越えられるだろうと感じました。

そちらの増田さんがおっしゃる「悪意」というのが実際にどのようなものを指すのか、あまりピンとこなかったのですが・・・。

私自身の考えでは、人の生命力のようなものを奪うのは、悪意ではありません。

明確な悪意であれば逆に、立ち向かうことで自分を奮い立たせることができます。

どちらかというと、人を生きづらくさせるのは、多くは善意の名のもとに、意識されずに行われる決めつけや差別や無神経さではないでしょうか。

つまり他人の自己欺瞞です。

例の作文でも、さきちゃんが傷ついたのは幼稚園先生の悪意によってではありません。

よかれと思っていながら結果的に彼女を軽んじた扱いをしたこと、それを先生自身がまったく気づいていないことに対して傷ついています。

だけど、さきちゃんは作文の中で、そのようなことをした幼稚園先生を許し、そのような場合に自分から働きかけて状況を打破することも可能ではないかと考えています。

そして彼女はがまんして自分を押し殺すことは自分のためにも他人のためにもならないということを理解しています。

そこまでできる子が自分を生きづらくなるまで追い込んでしまうとは思えないのです。

彼女純粋さは、硬質な潔癖さよりは、大らかな優しさに繋がっていると感じます。

生きづらさを覚えてしまうのは、さきちゃんと同じように傷つきながら、さきちゃんになれなかった人、のような気がします。

あくまでも私の考えですが・・・。

私はあの作文に励まされたように感じたので、希望的観測が多分に含まれているかもしれません。

> 懐疑的なコメントを書いている人についての、

> あなたの感想は面白かったし、とっても納得。

> 認めたくないという人たちの、嫉妬で胸糞悪くなる気持ちもわかるけどね。

ありがとうございます。

そういう人たちこそ、あの作文で書かれている「心にへんなものがたくさん入っている」「心をきつくしている」状態そのものだと思えて、何とも言えない気持ちになったんですよね。

彼らが、実際に身近な子供と接するときに、あのような態度でないことを願いたいです・・・。

> しなやかな大人になりたいな、と思いました。

同感ですね・・・。

あの作文はとても興味深く、いい文章だと思ったので、そちらの増田さんとやり取りができてうれしく、面白く思います。

ありがとうございます!

記事への反応 -

記事への反応(ブックマークコメント)

ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん