はてなキーワード: 禁煙とは
俺、○と×がまったく逆だ。
エスカレーター → ×よほど誰もいない時以外、片側空けるべきだと思う。まあ誰もいなければ自然に空くけど。
電車の電話 → ×かけるべきじゃないと思う。俺自身は気にならないのに、何でだろ。
優先座席 → ×正直、座っている奴の気が知れない。
煙草 → ○まあいいんじゃないの?煙草くらい。禁煙スペースでなければ。俺は吸わないけど。
ここまで逆になるってこともあるから、マナー圧力が強いというか、東京は色んな価値観持ってる人いるから、それぞれに気を遣うと結果的にマナー圧力が強くなる、って感じなのかも。こういう○×って、多少は譲れるってタイプと絶対に譲れないタイプと両方いるから、後者を考えるとやむをえないのかな。適当でいいんじゃないかとも思うけどね。
先週同様、3つ出来れば勝ちってことで。
人間の性は善か悪か
太古の昔から続く論争に、人間の性は善か悪かと言う問いがあります。
人間の性は善であるとの説(=性善説)を唱えた代表は孟子です。
孟子は、
「人間ならば誰しも生まれつき人の不幸をあわれみ悼む心がある。目の前に今にも井戸に落ちそうな子供がいたら、誰に教わった訳でなくとも、手を差し伸べて助けるであろう。これこそが人間の本性であり、人間の元々の性は善なのだ。」
と主張しました。一理あると思います。
人間の性は悪であるとの説(=性悪説)を唱えた代表は荀子です。
荀子は、
「人は誰でも生まれつき欲望を持っている。利益を追い快楽を求めようとする人間の本能のままに行動すれば必ず争いごとが起こり、社会が混乱してしまう。だからこそ法律による指導や、道徳による教化が必要なのだ。」
と主張しました。これも一理あると思います。
一方、私の知人に、人間の性を一言で表現するとすれば弱である(=性弱説)と考える人がいます。すなわち
「人は元来弱い生き物である。禁酒や禁煙の誓いは簡単に破られ、ダイエット計画はすぐに中止される。夏休み初日にたてた学習計画を最後まで守ったと言う人にいまだかつて会ったことがない。うまくいった時は自分の手柄にするくせに、うまくいかなかった時は他人のせいにする。少々褒められただけですぐに有頂天になり、ちょっと叱られただけですぐに落胆する。自分の努力不足は棚にあげて、他人の成功を妬み嫉む。 -- (中略) -- だからこそ、自分自身を含めて、人は誰しも基本的に弱い存在であると言う前提にたって付き合う必要がある。」
との考えです。
最初の山は完全に越えた感じか。次の山に入ったんだろうけれど、この2番目の山はダラダラ続くんだよなあ。でも最初の山より全然楽。
夜に少し煙草が吸いたくなったが、この寒い中外に出て行きたくもないな、と普通の判断で吸わなかった。
部屋の中が煙草くさくなるのが嫌で、いつもベランダで吸うんだが、先々週だったか雪の日。くそ寒い中、部屋着に裸足で震えながらそれでも煙草を吸いに外に出てた。気が狂ってますよ。修行かよと。そういう意味では今日、寒いから吸うために外に出るのもダルいな、と普通の判断が出来たのはニコチンから離脱した感じで満足。
夜中に何度も目が覚める。珍しく寝付きも悪い。喫煙はそもそも副交感神経のバランスを崩すそうで、禁煙すると崩れてたバランスが戻るために一時的に睡眠障害になることがあるそうだ。
追記:
喫煙習慣者にとり昼間の喫煙行為は精神的なリラクゼーションをもたらし、副交感神経系活動量も亢進している。しかし、喫煙しない夜間及び1日単位で観察すると、累積副交感神経系活動量は低下する傾向にある。
副交感神経系機能からみた喫煙が生体に及ぼす影響についての検討(pdf)
http://www.shiga-med.ac.jp/education/ejournal/kango_vol_3/033-041.pdf
昼間に煙草のおかげでリラックスしてるのは何となく感じてたが、一方で夜はリラックス度が低かったとは……と軽く驚いた。それと、喫煙は抵抗力を下げて寿命も縮めるって結果が出てた。まあこれはよく言われてるといえばそうだけどね。
ニコチンが完全に体内から消えるのは3日かかるというので、今日が体内ニコチンレスの最初の日。
吸わずにはいられないはずのタイミングで、煙草のことを忘れてさえいることもある。特に会社で打ち合わせが何本か続いているときに、ニコチン切れの苦痛から解放されるのはありがたい。
つうか、「苦痛」とかバカかっつの。そもそも煙草をやめてろって。
夜は、一昨年同じプロジェクトだった連中と飲みに行く。他のやつらが全員吸わなかったのでそれほど禁煙状態に抵抗がなかったが、壁際に美味そうに吸うヘビースモーカーの女がいて、視界に入れないように気をつけていた。
モチベーションが途切れなければ、このまま半年やめていることは可能みたいだ。
半年禁煙、半年喫煙、のリズムで4年くらい暮らしていて、今年は9日から「半年禁煙」の方の周期に入ったはずが、微妙に失敗。あらためて16日に再開して、今日で3日目。
(12日に、「明日もし煙草吸ったら、ここに5000字の日記をアップ」と書いたせいか、その「明日」である13日には吸わずに済んだ。しかし14日に吸ってしまい、15日にも吸ってしまい、16日に改心した次第)。
3日目。ということで、今日はかなり楽。煙草の存在を思い出すことはあってもほとんど吸いたくはならない。ニコチンは3日で体内から消えるはずなので、そろそろ体の依存は消えるかな。一方で、精神の依存は自分の経験上半月くらいは消えないから、そっちはもう少し付き合わないといけない。
吸っちまおうかな?とも数え切れないくらい思うんだが、別に誰に命令されているのでもなく勝手に半年禁煙すると決めたわけなので、吸うくらいなら最初から禁煙するなんて決めなきゃいいのに。かっこつけやがって(←?)。ばーか。と思うと、何となく気持ちが続く。いつものことだ。
さて、ここにくさやのにおいがする「くさいカッター」があったとする。においがすると言っても、刃を出した時だけしかにおいは広がらない。けど、刃を出したら部屋の中にそのにおいは充満する感じ。刃をしまえばそれ以降はにおいは広がらないが、それまで出していたにおいはある程度残る。
この「くさいカッター」を持った人が喫茶店に入ってきたとする。この人はおもむろにその「くさいカッター」を取り出したと思ったら、刃を出した。そのカッターを暫く5分ぐらい手に持ったり、机に置いたりして後、刃を収めてそのカッターをしまった。
また有る時は、道を歩いていたら、その「くさいカッター」の刃を出して歩いている人が向こうから歩いてきた。広い道なので普通にすれ違って、特に何事も無かった。すれ違ったあとには、かすかにくさやのにおいがするだろう。
さて、この「くさいカッターを持った人」のことを「くさいカッターを持たない人」はどう感じるだろうか?
これは、煙草のある側面のみを取り出して書いてみた。その点とは「においを周囲に撒き散らす」、「先端に触れたら怪我をする」という点のみ。それ以外は全く考えていない。
においに関しては、嗅ぎたくない人にとっては、煙草のにおいだろうがくさやのにおいだろうが、「嗅ぎたくないときに、におってくる」という点は同じ。「先端に触れたら怪我をする」も、滅多に無いことだろうが、持ってる人の手元が狂ったら怪我をするという点は同じ。
別にここまではこれで何が言いたい訳じゃないくて、なんとなく思っただけなんだ。
たまに「喫煙する権利」を主張する人間がいるが、これは屋内においてはおかしいと思う。何故なら、こんなのを認めたら上記の「くさいカッター」を使う権利も認めないといけないし、他に線香やお香を焚く権利も認めないとおかしいことになる。ある程度いろいろな人が集める空間では通常、社会的に「他人に迷惑をかける行為はしない」という事で通っている。だから別に、においだけでなく音や見た目というのも「他人に迷惑をかけない」がデフォルトである。それを考えると「喫煙する権利」なんてのは元々は無く、あくまで「デフォルトは禁煙」でその空間の所有者なりが「けど煙草は吸っても良い」という流れになると考えるのが自然である。他にも「デフォルトは禁○○」だけど所有者なりなんなりが「○○しても良い」と認めているとなるんだと思う。
だから「喫煙する権利」なんて主張する人は、こういう「ここでは煙草を吸っても良い」が見えてないと感じるんだな。確かに、喫煙できる所ってかなり多くて喫煙が社会的に大きく認められてるかもしれないけど、それでもあくまで(吸っても良いと)認められているだけ、当たり前に感じるのって嫌なんだな。
半年禁煙、半年喫煙、のリズムで4年くらい暮らしていて、今年は土曜日から「半年禁煙」の方の周期に入ったんだが、今日突然煙草が吸いたくなって1本吸ってしまう。色々言い訳できることはあるが、誰に約束しているわけでもないので、言い訳する相手がいない。あえて言えば自分だけで、自分にはすでに言い訳したので完了。
意志が弱くて笑っちゃうな、ってそうでもなくて、意志だけで禁煙を続けられるくらいなら、今までだって成功していない。必要なのは事実を知ることと勘違いすることだけ。でしょ?
そして、
これだけで禁煙できる。本当に?本当だよ。念のために、「明日もし煙草吸ったら、ここに5000字の日記をアップ」とか縛り加えてみたり。5000字の日記は相当目障りだよね。もし吸っちゃったらごめん。
半年禁煙、半年喫煙、のリズムで4年くらい暮らしていて、今年は土曜日から「半年禁煙」の方の周期に入った。
いつも禁煙して1週間くらいは胃痛と頭痛がひどいんだけれど、今回はまったくそれがない。ない代わりに眠気がひどい。昨日の正午くらいに昼寝しようと横になっただけなのに、起きたら今(朝の7時)で、時間の感覚が分からなくなった。
喫煙には覚醒作用があるはずで、禁煙して眠くなるのは当然なんだろうけれど、あまりにもという気が。ちなみに、今までの禁煙では眠気はここまでではなくて、逆に中途覚醒が頻繁にあった。
今回はいつもと事情が違うなあ。あと、いつもと何より違うのは、どういうわけかまったく煙草を吸いたくならない。この半年、あんなに吸っていたのは何だったんだろう。こんなことならやめればいいじゃないか。とも言える。
そういえばうちの親は公務員なんだけど、公務員になったのがちょうどバブル手前かもうちょっと前あたりで、「このど貧乏な公務員が!」「公務員wwwwww」みたいな時代であった。ゆえに若かった頃のバブルを特に給料が上がるわけでもなくしょんぼりと過ごして、ようやく最近不景気になって「ざまあみやがらせ」と(こっそり)思ってみたものの、ところがどっこい減給に次ぐ減給で涙目、てな感じなのである。昇給は民間に合わせないくせに減給は合わせるのかよ、と絶望したそうだ。
この話を友人にしたら、「私なんか公務員って安定して羨ましい!みたいなことしか思ってなかったけど、そうかー『なんで公務員なんかに?』って時代もあったのかー」と言われた。バブルの頃なんか全然知らないからなー私たち。かつては金利が5-6%くらいあった、とかって聞くと、隔世の感がある。
そういえば、私たちの年代(80年代後半生まれ)は多分、公共の場の禁煙がかなり広まってから物心がついたので、電車の中でも普通に吸えてた、とか、歩き煙草普通、とか、会社でも席でばんばん喫煙、って物凄く違和感があるというか、許されてた時代があったのかー!などと思ったりする。特に電車内の喫煙。母なんかは、「それが普通だったから別にどうってことなかった」と言うけど、さすがに電車の中で吸われたら嫌だな。
あとは500円玉も最初からあった。そして消費税がなかった時代、というのがあまり記憶にない。気づいたら3%だった気が。
さりげないジェネレーションギャップの話。どの世代にも似たような話はあるんだろーなーと。