はてなキーワード: みかけとは
二十代後半くらいまでについた階層格差がその後も固定されてしまうような社会に今後もどんどんなりゆくのだとしたら、いっそ死にたいと思ったやつは簡単に安楽死できる制度を整えてくれればいいと思うんだ。別に自殺に倫理的タブーのある国じゃないんだしさ、日本。
俺、今大卒フリーター二年目。パラサイトしつつ、そこそこ楽しい暮らしをしてる。だけど、多分あと二〇年もしたら生きてるのが辛くなってくると予想してる。両親が死んだらまずきついだろう。だから、生きてるのが辛くなったらさっと気楽に死にたい。
あとさ、今高齢者の自殺が増えてるって言うじゃない。実際、厳しい暮らしをしてる老人も近所でたまにみかける。なんつーかさ、そのひとたち、もういいんじゃないかな。そろそろ「自分の生きた時代は苦しいことばかりだった」みたいな老人いないよ。一瞬だけでも楽しい時代を生きることができたんだから、その美しい思い出を胸に死んでいきたい、というひとは国が補助して死なせてあげらんないかな。
……という考えが夜勤明けの頭に降りてきた。できるだけ強烈な反論が書き込まれることを願って寝ます。おやすみなさい。
議員先生のブログを読んでいるとたまにとんでもないのがある。主張以前に頭が悪い・バカで教養が無い。こんな頭の悪い文章載せるくらいならちょっと文章の書ける子供をゴーストライターとして雇ったほうがマシだろう、と他人事ながら心配になってしまう。
ブログだからコメント欄やTBの機能がある。バカなので当然ツッコミが入る。それに対する受け答えも酷い。ツッコミに対して話を逸らそうと的外れな質問で返してみたり、自分の都合の悪い部分には徹頭徹尾口を閉ざしたり、まあネットでたまにみかける典型的な「頭が病気」の人だ。
対立する人たちに馬鹿さ加減を暴露される、というのではなく、自分から進んでブログを通じて馬鹿さ加減を宣伝しているのだ。全く恐れ入る、というか理解できない。
ちなみにこういう議員先生、「党の捨て駒」臭がプンプンしててなんか気の毒になってくる。どうしてこの人は自ら進んで嬉々として党の捨て駒になっているのだろう。というかそういう自覚はないんだろうか?
しかし、こういった考え方は間違っているのだ。それはこの議員先生が議席が減らされた選挙でも勝ち残っているからだ。
つまり、こういう人には立派な存在価値があるのだ。世の中は馬鹿な人間のほうが多いからかもしれないし、バカにはバカなりの利用価値があって、この議員は利用しやすい捨て駒としての評価が高いからなのかもしれない。
あるいはこの議員は自分の支持層として数の多いバカな層をターゲットにしていて、わかっていてそういうキャラを演じているのかもしれない。
原則としてはこうこうだが、実際の細かい運用規程は個別に定められており、実社会では後者が採用されることが一般である。歴史の産物でもあり、大人の知恵の集積といってもいいだろう。にもかかわらず、大元の憲法の条文を持ち出して、大上段に構えているいい大人をみかけた。伝家の宝刀のように振りかざしているが、そのように一刀両断できるほど簡単なことなら誰も苦労はしない。
google:大上段から「正義」押しつける左翼な人々ぐらいだとまだいいけど、自分の正義を正当化するために、奇妙な議論をしている大人とは困ったものだ。その他google:詭弁のガイドラインに当てはまるところが散見されるなど痛々しい。
ASIN:4334032524(「みんな」のバカ! 無責任になる構造 )から引用すると、
「立場」に付随する「責任」論とは違って、「xがyに対して責任がある=往々するべきである」という形での「責任」論は、xとyの双方を具体的な特性を持った「誰か」として特定しないで進めていけば、いつのまにか「みんながみんなに対して責任がある」、というどうしようもなく曖昧な話になりかねない。
「みんなの正義をみんなで守ろう」という形をとるのが日本的な“みんな”の考え方であるのに対して、西欧個人主義というのは、社会的「正義」をいったん可能な限り個人の「権利」に分解したうえで、責任主体としての「個人」にそれぞれの守備範囲内で守らせていこうとする思想である。
法化された社会では、ある意味で、徹底的にエゴイスティック(自己中心的)にあることこそが、「わたし」の「責任」として---「みんな」から---与えられた領分を守る意味で倫理的なのである。
ナチス体制の暴走とは関係ないことはなく、めちゃめちゃ関係がある。それを関係ないと言い切っているのだから、読解力に相当問題ありと見なされるだろう。ついでにもたらされた結果の善悪に言及している時点で終わっているといってもいい。問題はプロセスとして通ってしまったことが主題なのだから。
心に残る言葉があるのと同様に、いつまでも心に残る沈黙というものもある。いや、残ってしまうというのが正しいのかもしれない。きみがあの時何を言いかけたのか、僕は未だにわからないでいる。
そもそもそんなに近しい間柄ではなくて、僕が帰ってきたときにみかけたらちょっと立ち話をする程度で、それでも仕事の用事でたまに来るメールは、同い年のよしみもあったのだろう、すごくくだけた感じで、僕はそれが好きだった。
その時も、偶然に君をみかけて、玄関まで歩いていくついでに世間話をした。めずらしく僕が話を振ったりして、その後ふと訪れた沈黙のあとにきみは何かを言いかけて、やめた。僕は一応問い返してみたのだけれど、きみは「んーん、何でもない」と言ったっきり黙ってしまい、僕は沈黙に耐えかねてほかの話題を振ったりしたのだけど、そのうちに道のりは尽き、きみは「じゃあねー」と軽やかな一言を残して引き返していった。
きみが会社を辞めることを知ったのはそのすぐ後のことだったと思う。僕はそれを同期宛のメーリングリストにきた、いつもどおりのかるい文面のメールで知った。
送別会という名で久々に開かれた同期会で、僕はこの前言いかけたのはこのことだったのかと聞いてみた。するときみは、「うん、この前はなんだか言いそびれた」といかにも歯切れ悪そうに言った。このとき僕は、飲み込まれた言葉は二度と口にされることはないのだろう、とそう思ってしまった。
多分それは僕の勘違いなのだろう。そして、きみが話した事がすべてなのだろうとも思う。だけど、そのときありもしないものの存在を信じてしまった僕は、それが何なのか今でもたまに気になって、そしてきみの事を思い出してしまう。しかし、残念ながら、あるいは幸いなことに、それを確かめるすべはもうない。
http://anond.hatelabo.jp/20070129004156
少量販売でみかけの価格を下げつつ利益率を上げてるshop99と比較すれば、そりゃ安く買える。
でも、都会だって市場と産直を賢く使い分けて仕入れてくる八百屋で買えば、同じ金額でそれなりに買える。
田舎で「探せば安く買える」というなら、都会も「探せば安く買える」という形で考えないといけない。これが最初の落とし穴。
「同じ金額でたくさん買える」ってところが次の落とし穴だ。
たくさん買えることで単価を比較するのではなく、同じ個数の値段で比較しないと。
もし都心のshop99と比較するなら、トマト1個売り、白菜1/4売りで比較するべき。当たり前だがジャスコあたりにいかなければ白菜1/4売りなんてしてくれない。
もちろん、田舎で農家漁師と知り合いになれば、安く譲ってもらったりただでもらえることは多い。
ただ、それはそれで知り合いになるためのコスト、知り合いを続けていくコストを払っているだけのことなんだよ、と。これが三番目の落とし穴。
久しぶりに池袋へと足を運んだ。池袋といえば乙女ロードである。というか、これ以外の用事で池袋に行ったことがない。あ、いや待てよ、そういえば反対側に演劇を見に行ったことがあったなあ。まあ、それはともかく。
そんなわけでやってきたまんだらけ。前々からよしながふみの本を読んでみたいなと思っていたので、まあとりあえず一冊、アンティークの本を買ってみた。わけで。
同人誌のことだからあんまり内容には突っ込みたくないんだけど、もうとにかくすごかったのだ。いや何がすごいって、このよしなが節とでも言うべきか、台詞とエピソードがどんどんたたみかけてくる感じが。下手な少女漫画よりもよっぽどきゅうんと来た。泣きそうになった。えーとあの、買ったのは七夕のお話しなんですけどね。
人にはそれぞれ「萌えツボ」ってのものがある。今回の本は私の「萌えツボ」をこれでもかってくらいグリグリと押してきた。内容的には切ないというか、報われない感じだったのだが、とにかく萌えた。萌えて、きゅんときて、泣きそうになって、同人誌ってこういうものだよなあとつくづく思ったのであった。
春コミは机の上のもの全部買おう。
そのあと「オタクとデザイン」を買うためにとらに行ったのだが、いつ行っても三階はおっぱいがポロリしてる女の子だらけで壮観だなあと思った。女性向けでちんこがポロリしてる表紙なんてめったに見かけないからな(あれ、そういう問題じゃない?)。
http://anond.hatelabo.jp/20070116163556
悪意なくひどいことをやってるところが面白かった。
とくにここらへん。
普段も「Kさんやさしいから、わたしつい甘えちゃうよー!」とか(もちろん冗談で)言ってしまうこの状況、
男の人は私を女だと意識してしまうのですか?
ひとつだけ、シンプルだけど大切なことを書いておきます。男は男友達には(たぶん女友達にも)甘えたりしません(注)。頼りに思ったりすることはあるかもしれませんが、甘えたりしません。恋人には甘えるかもしれません。女は女友達に甘えることがあるのでしょう。そういう相互的な関係をよくみかけます。そういう意味で、男友達に甘えるというのはあるのかもしれません。しかし男にとって、「甘える」という行為、単語自体が男女の関係の文脈でしか出てこないものです。
やー、本人(Kさん)がどう思ってるかは知らんけどね。
(注)客観的にみて甘えているという状況はあるかもしれませんが、本人にそういう意識は無いでしょう。
ジーンズにブーツスタイルという女の人をたまに見かけますが、あれはアリですか。作業ズボンの上にゴム長を履いている農家の人や作業員を連想してしまうんですが。
あと、今年はマイクロミニスカートが流行ってたんでしょうか。ミニスカート以外にも半ズボンのようなスカートをはいていた人が目立ちました。例年より3割り増しくらい、ミニスカート人口が増えていたような気がします。
寒くなってきて今度は、デニムの短めのキュロットスカートにブーツスタイルの女の人をよくみかけます。
来月にもなれば、忘年会シーズンですが、ブーツ愛好者にはつらい季節ですね。座敷だった日にゃ。
この病はmixiのアーキテクチャーに利用者がだまされることによって生じる。「チカシイけれど日常的にコミュニケーション出来ない相手の消息を常に確認出来る、というところに価値を見いだしてる」といった、mixiのサイト構造(=ナビゲーション設計)との距離の取り方を会得すれば、おのずと改善される症状である。
ある利用者にとって、あるコミュニティはそうかもしれないし、またあるコミュニティはそうではないかもしれない。
mixiは日本国内におけるSNSのデファクトスタンダードになっている。「確かに入ってる人の数が多いんで身近にやってる人もちらほらいる」ということこそがコミュニティ系サービスにとって重要であり、人が集まらない二匹目のドジョウサービスはサーバースペースの肥やしとして朽ち果ててゆくのみ。
はてな匿名ダイアリーがまさにそれであると私は感じています。
すみません、何が言いたいのかよく分かりません。