はてなキーワード: PSPとは
俺は30歳だが、天才だ。
まだ知名度は低いが、そのうち一躍有名になる。
有名になる準備だけはしておいてある。
チャンスさえあれば、1年後にでも有名になれる。
ただ運が悪く、まだそのチャンスがない。
ともあれ、俺は天才なのだ。
俺がこれまで手掛けてきた仕事は、某ミリオンセラーのゲームと、
某大好評ゲームなどだ。俺の手掛けたゲームはすべて名作となっている。
だが、手柄を横取りされてしまったため、俺の知名度はまだない。
ともあれ、俺は天才なのだ。
中学校の頃から俺は俺の天才性に気づいてしまった。
あまりにも天才な自分に気づき、そのまま中学を中退しようとした。
が、高校ライフが楽しそうだったので一応高校へ進んだ。
…学歴なんて関係ない。
だって俺は、ジャンルで言うとクリエイティブ畑の天才だからだ。
まだ有名になれずにいる俺を、誰か援助してくれ。
そしたら俺は天才だからすぐに有名になって、恩返しをしてやる。
俺に投資してくれたら、アイフォーンでもアイモードでもPSPでもDSでも、
何でも超名作を創ってやる。
天才な俺の将来を知りたければブックマークしてくれ。
なんだって、俺は天才なのだから。
いつだって、俺は天才なのだから。
http://anond.hatelabo.jp/20100217174648
んでどーなったの?
実はまだ言えてない。
昨日は妻の機嫌が良くなくて、いま言っても泥沼だな、と思ったから。
まさか、こんなに反応がくると思わなくって、今朝みてびっくりしてる。
専用区画か、いいね。それ。でも、リビングでDVDを観るようにゲームがしたいだけなんだ。
妻は妻の時間がある。俺もそれがあればいいだけ。ゲーム”だけ”に過剰反応するのが納得できてないところなんだよな。
でも、
バカか。一人でニヤニヤやってるのが気持ち悪いだけだろ。
否定できない自分が悔しい。
家庭内で他人の目って「夫の目」しかないんだからさ。夫が妻を評価しなけりゃ、誰も評価しないわけだよ。家庭にいると妻はどんどん自分の価値が下落していくように感じるから、夫が引き上げてやらんと。PSPのゲームより夫婦のゲームは攻略が難しいぞ。がんば。
サンクス。たしかに、一日中子供と一緒にいて、ほとんど他人と接する機会がない時期っていうのもあるし、もう少し妻の立場で俺を俯瞰して考えてみるよ。
俺んちは違う!といいたいけど、最近(というか、子供が生まれてから)そんな気がしてきた。
諦めて「奥さんを愛してあげる夫」を続けるか、分かれるかの二択だねー。
だいぶ話が大きくなっちゃったけど、最終的にはそういうことになっちゃうのかな?
ただ、もう一度いいたいのは、家事も育児も放棄してるわけじゃない。むしろ授乳以外は俺に任せろくらい。毎日とは言わない、息抜き程度にゲームをやることを非難してほしくない。ということ。
みんなの貴重な意見を参考にもう少し考えてみるよ。
http://anond.hatelabo.jp/20100217174648
マジか? それ言っちゃダメだよ。基本、妻ってのは、夫が自分を見ていさえすれば、ほかに楽しみなんかいらないんだ。ゲーム売るから、本も、テレビも、みんな売れなんて言ったら「ばんざーい」って喜ぶよ。じゃあ、何を見るんだって? 妻を見るんだよ。今日の妻は美容院に行ったのか、きれいになったか? 今日妻が作った料理はどうか? 妻ってのは、そういう話をしたがっているもんなんだ。自分大好きなんだよ。一日一回は自分の話をしてくれないと枯れちゃうと思ってるんだ。
ゲームについてとやかく言われないようにするためには、家に着いたら、まず、妻が朝と違うところを探して指摘する。それについて感想を述べる(褒め言葉であることが望ましい)。家庭内で他人の目って「夫の目」しかないんだからさ。夫が妻を評価しなけりゃ、誰も評価しないわけだよ。家庭にいると妻はどんどん自分の価値が下落していくように感じるから、夫が引き上げてやらんと。PSPのゲームより夫婦のゲームは攻略が難しいぞ。がんば。
imodeについてお前は何を言っているんだ
メガアプリなどといったものを提供することで昔の携帯を振り落としているdocomoさんなのに…
ちょっと昔の携帯になんか一生適応させる気ねーんだろってレベルでアプリによる振り落としをしているんだが。
アプリのセンスが昔っぽくて新しいものが出ないという意味ではまあ、一理あると思うけど。
それとは全く別の話でつぶやき。
iphoneはいらない。
私のやりたいゲームが出来ないから(このゲームとは、DSやPSPで発売しているレベルのものをさす。あるいは携帯で提供される聖剣伝説などといった既定の路線のゲーム)
匿名ダイアリーでiphoneと形態の違い、メリットなどを分かり易く箇条書きにしてくれた人がいたとおもうけど
アレを見てもやはりいらないナーって思う。
携帯+ipod(的な音楽ツール)orゲーム機があればいい。三つ全部持ち歩くことはまれでどちらか二つを併用すればことたりる。
日本では、老若男女1人1台携帯電話を持っている世の中になったといっても過言ではない。
今では小学生でも持っているのが普通だろう。小学4年生くらいになれば、
「パパとママのせいで友達できないよ」と言われ携帯電話を買わされる。
親としても防犯上の理由で買い与える。
(PSPとかニンテンドーDCも同じ、持っていなければBluetoothの輪に入れなく友達から置いてけぼりをくらう)
副作用といってもそれが良いか悪いかはハッキリしていないので、
ここではそれを銘々で考えて欲しいとしておく。
ゆえに、いつでも人との繋がりがリセットできるので、
深い話をあまりしないフラットな付き合い方、広く浅い付き合い方をするようになる
そのことで何が起きたかというと、
空洞的な気持ちに陥る現象が起きた。そのことが切り口となり過剰の同調が起き、
どこか私の知らないところで悪口を言われてないだろうか。
返事が直ぐ返ってこないから嫌われてるのではないだろうか。
このこで分かる通り、昔みたいな地域共同体や家族、親戚、友達の中に埋め込まれているリアルな繋がりではなく、
例えば、悩みや情報などは昔だと家族、友達などから収集、相談をしていたのが、
今はそんなことせずに情報ならネットで調べるし、悩み相談なら面識の無いメル友やSNSの相手などで満たされる。
ということは、どこにいても不自由せずに暮らすことができる概念が生まれてくるわけで、
例えばアキバで一時一世を風靡した個人が自分のコレクションを売る小ケース制度というものがあった。
それに紛れ込んでくるレア商品を目的にオタクはアキバに通いチェックしていた。
しかし、ネットオークションが当たり前になった今では小ケース制度はなくなり、
つまり、アキバに行かなくても情報ツールが満たしてくれて、アキバへ行く必要がないとなるわけだ。
今はまだ、携帯電話という低レベルの情報ツールしか蔓延していないが、
これからはもっと技術が発展しどうなるか分からない。一つの例としてコテハンがある。
言うならばリアル世界で役職や場所、性別、アイデンティティが変わってもコテハンだけは変わらずネット内で存在し自分を維持できる。
時期尚早となったセカンドライフがコテハンの発展版と言っていいだろう。
確かにまだ時代の流れとして社会に溶け込まなかったセカンドライフだが、
コテハンにアバターがつき臨場感ある3Dの世界へ在住する人は少数ながらいる。
もしこれから、こんなネットのアチラ側在住がマジョリティになればどうなるだろうか。
ネットに魂を置きリアルではご飯と入浴、排便をするだけみたいな、
リアル社会よりネット社会が主になる考え方にシフトしていく可能性も否定できない。
宮台氏がもっとも視座していたのが、昔の非流動型共同体(場所に拘る)と現代の流動型人間関係(場所に拘らない)、
どっちが良いか分からないが、こういうことを知って考える必要があるのではないかと示唆している。
でないと、ネットのアチラ側に在住した場合、リアルの場所には拘らないわけだから愛国心すら希薄になる。
この先IT技術や科学が発展し、言語と稼ぎ方の革命が起きるとより暮らしやすい海外に行くのは必然になるだろう。
別に、愛国心でも愛郷心でもどちらでもいいのだが、茹で蛙で愛郷心になるのはどうかと思う。
現在ではまだ、技術も発展中で非流動型もかなり残っているわけだから、
今一度、友達がいるけど寂しい状態ではなく本当の寂しさを補う事とは何ぞや、
本当の絆とは何ぞやと、改めて意識する必要があるのではないだろうか。
アイマスMADのことを語るときよく言われるのが表現の幅を広げるための技術の革新で、これを語る時には決まって抜きとかエフェクトとか用語が頻出する。
そこには初めはただ単にステージで踊っていたアイドルを、その動きを切り貼りして別の音楽とシンクロさせたり、編集ソフトで作ったエフェクト効果やらアイドルのダンスをステージから切り抜いて、背景を自由に書き込んで肉付けしたりして、PVとしてどこにでも出せるような映像を作るという、今まで中心にあった狭義の意味でのアイマスMADの文脈がある。
現在ではそうした技術も高い水準に達していて、抜きの技術は公式側の援護もあって効率化され、AEなど使ったプロ級のエフェクトも専用サイトで共有化されようとしている。ここにおいては一部の人間の技術向上ではなくてそれが広い範囲で共有化されたということがわりと重要で、新人Pでも過去の時代と比べると格段のレベルの動画を上げることができた。
技術の向上によってPVの表現の幅が広がったという意義もあるけれども、むしろ「技術の向上」ということ自体にロマンを感じてしまうような内側の推進力のようなものがあって成り立っていた部分があった。
一方で抜きは765コマンドが出てしまったり、エフェクトも水準に達してしまって、3D背景ですらばりばりできるようになってる現在、技術が天井に達してしまったのではないか、そうするとこの文脈が成り立たなくなってくるのではないか、そうなると動きとして停滞してくるんじゃないか、などと心配していたが、よくよく考えてみるとこの技術向上の文脈は、アイマスSPの発売によって、ようやく今まで故意に見逃されてきた「箱○モデリングの限界」にメスを入れる段階に達するのではないかと考えた。
PV系動画はダンス時の顔の表情のバリエーションが足りなくなってきた感じ。 - とつかしね☆なの。(仮)
本物のPVと見まごうほどのハイクオリティな作品が出るほど、(俺の目には)まさに今言った「人間とアイマスキャラの違い」が気になるようになった。
特に上で書いたような明らかに公式曲に無い雰囲気の曲を使うとき、背景や演出やダンスが曲にマッチすればするほど、その薄笑いの顔が気になる。
気になる。
俺だけ?
いや、もちろん普通にマッチしてていい感じのPVもたくさんあるですよ。
でも!有名なアレとかコレとかですら!
アレちょっと怖いんだよ!
最新情報が日々注目されてるアイマスSPだけれど、その中でニコマス界隈でよく話題になったのが箱○のモデリングとの差異だった。たしかに携帯機であるPSPのスペックからか箱○版発売の衝撃ほどはないが、その分よく見れば後発であることもあって表情パターンが豊かだったりアーケード版に近い手触りのあるモデリングで、箱○版とは違った魅力がある。そしてこの両者のモデルの、こうしたバランスがすごくいいのだ。
今後このモデルを使ってアイマスMADを作ろうとしていく動きは出てくるだろうし、そうすればこっちのモデルのよさもニコマス内で広がっていくと思う。そうした時に何が起こるか。
先に言及したような形式の狭義のアイマスMAD以外でも、別の手書きで作られたアニメーションやらのPVや、アイマスの3Dモデルを作ってしまって広い意味でこれらをアイマスMADと言ったりしている。正直なところこっちの方が受けがいい。
これが従来のノーマルPVを編集して飾って光らせて抜いての狭義のアイマスMADを注目して作る/見るしている人が「ああやっぱり一般人には手書きのほうが受けるんだよね、やっぱりあれがああなったりそうなったりする技術の文脈が理解されてないと受けないんだよね」とかぶつくさ言ってるのを最近よく見るんだけど、こういう人達は「ゲームの中にいる彼女が本当の彼女達」という意識が前提にある気がする。
そうした中でPSPモデルと箱○モデルといった、バランスの良い優れたモデルが「並び立つ」というのはこうした絶対性を急激に相対化していくだろうと思う。
箱○モデルが絶対的な存在であり他のモデルがそれに追随するといった構図は崩れ、各3Dモデルは相対的に異なる魅力を持つ存在として受けいられていくだろう。
PSPと箱○モデルが相対的に優れているように、ユーザーの作った造形も「技術はすごいけど本家に比べたら」みたいな印象は以前よりもいっそう薄れていくだろうと思う。そうしていくと
一方で3Dモデルが複数共有されていくとなると、ノーマルPVを装飾していくという狭義の意味でのアイマスMADという言葉は徐々に衰退していくだろう。公式のモデルの絶対的な価値が失われると、一方にある公式モデルの限界ばかりが目についてしまう。
彼女達は創作者の意図における二次創作を目的として作られた存在ではないからだ。あくまで彼女達はゲームの中で踊っていることを目的として作られた存在であり、過去に作られたそうしたMADは、彼女達が別の意図で微笑んだことに対して、その外面をとりこんで、創作者の個人の物語に外挿したものであり、だからこそその笑顔は不自然なのだ。彼女はPCの画面の前のあなたに微笑んだのではなくて、目の前の、プロデューサー、それも「ゲームの中に存在している」プロデューサーに微笑んでいるのだ。アイマスMADの根幹にある不純さはここにあると思う。